徹底研究・丼メニュー 吉野家=売上げ全店で1日平均30万食
丼もののマスマーケットといえば、周知のとおり、日本最大の牛丼チェーンの「吉野家」(本社東京・新宿)が存在する。本年2月末現在(九一年度)、直営二三四店、フランチャイズ(FC)一一一店の計三四五店(売上げ五七一億円)を出しており、全店で一日平均三〇万食以上を売り上げる。
すでに今期(4月以降)に入っても直営八店、FC四店を開設しており、牛丼市場の需要の強さを物語っている。吉野家が牛丼のチェーン展開を始めたのは、昭和48年からでこれはまた国内で初めて丼メニューのチェーン化をスタートした年でもあった。
吉野家は明治32年の創業で、この当時の牛肉メニューはまだ「牛鍋」、あるいは「開化鍋」と呼んでいた。吉野家(創業者松田栄吉氏)がそれをごはんの上にのせて一体化して、天丼、カツ丼の例に倣って「牛丼」と称したもので、和と洋の合体で珍らしがられ評判となった。
創業当時の吉野家は日本橋の魚河岸にあったが、大正に入るころには築地市場の中に移転していた。古い話であるが、朝の早い市場通いの商人たちにとっては、安くてうまい手短な朝めしとして、重宝がられ連日の大入りだったそうである。
和製ファーストフードの出発点であったわけであるが、以来店は順調に発展し、昭和に入って戦後は現在の吉野家チェーンの土台を築いた、二代目の松田瑞穂氏が店の経営を引き継いで、吉野家ののれんを守ってきた。
昭和40年代は東京オリンピックのあと、大阪万博があり、日本経済が上昇気流に乗り出した時代で、同時に消費、レジャー、外食などのニーズが強まってきたころである。この時代はまたアメリカから小売流通やホテル、レストランビジネスなど多くを学んだときでもあった。
吉野家の松田氏もアメリカに多くを学び、触発された一人であったが、とくにレストランサービスの合理性にはおどろかされた。ウエイター、ウエイトレスたちの手際のよいサービスぶりはもとより、店舗の明るさ、清潔さ、メニューのラインアップと値段の明確さなど。
当時の日本のレストラン事情といえば、デパート食堂やパーラ、グリルなどと名のつく店がハレの場所で、一般的には厨房も客席もうす汚れた状況にあった。とくに厨房はウラ方にあって、見せないという伝統が守られていて、料理がどう作られ、どうディッシュアップされるのか、まさに“クローズド・キッチン”の形態にあった。
アメリカにあっては厨房は常に整然としており、最新の設備機器が使われ、“オープン・キッチン”の思想で明るく清潔そのものであった。しかも、チェーン店の場合は水を使わないという“ドライ・キッチン”の思想さえあり、究極のレストランビジネスを展開していたのである。
ドライ・キッチンとはもちろん水を使わないということでもあるが、原則として店では素材のカッティングや加工をしないということである。半加工(二次加工)されたものを調理し、盛り付けするキッチンシステムなので、ゴミが出ない、水を使わない調理なので常に厨房内が衛生的である。食器類はマンパワーではなく、ディッシュウオッシャーで洗浄するということでもあるので、徹底してクリーンキッチンなのである。
話は長くなったが、吉野家はアメリカのレストランビジネスを参考にして、店舗経営の「ムリ」「ムダ」を徹底して排除し、そして調理の効率化とシステム化をはかった。
すなわち、丼の一定量の盛り付けの訓練、厨房設備の合理的な配置、調理スピードの短縮化(オーダーからテーブル出しまで三分以内)など、店舗の運営をシステム的におこなっていくために、「マニュアル化」を実現したのである。
もちろん、値段も安い。このころで一杯一二〇円。ファーストフード商品は週刊誌一冊分の値段という定説であったので、マクドナルドのハンバーガーも一〇〇円台の時代で、マスプロダクツにあるマスセールスを意図したチェーンビジネスのスタートであった。
前述したように吉野家は48年にFC展開を開始したのであったが、こうした店舗運営のシステム化、マニュアル化が決定的な要素になって、52年7月に直営合わせて一〇〇店、53年6月には倍の二〇〇店、54年に二七〇店(直営一四四、FC一二六)と出店策に大きな勢いをつけたのである。
そして、前後して吉野家は牛肉の輸入および食肉加工の問題と絡めて、アメリカ・コロラド州デンバーにビーフボール(牛丼)と称して、米国市場でのチェーン展開にも乗り出したのであった。
しかし、急激なチェーン展開が災して、55年7月に倒産するという事態になってしまった。店舗の出店や設備投資で借入金が大きく負担になったためであるが、会社更生法の適用で西武流通(セゾン)グループが経営を引き継ぐことになり、56年から出店を再開するなどその後は順調に推移してきている。
直営二三八店、FC一一五店の計三五三店。前述のとおり、九一年度の出店数であるが、どんぶりブームで牛丼ニーズは底固いので、店舗展開は大都市での出店に加えて、郊外ロードサイド立地や地方都市での出店も活発化してきており、九二年度は三〇〇店を達成する勢いにある。
吉野家のメニュー構成は、牛丼並四〇〇円、牛丼大盛五〇〇円の二本立で、これに並、大盛の弁当(持ち帰り)、牛皿メニューをラインアップしているが、昨年10月、全店に新メニュー「徳盛」(六五〇円)を導入し、これが見事にヒットして、店の売上げを大きく引き上げる原動力になった。
全店平均のメニューの売上げ構成比は並五〇%、大盛三五%、徳盛一五%で、大盛でもの足りない客層を掘り起こすことに成功している。徳盛は肉が「並」の倍、ごはんが「大盛」のボリュームという商品コンセプトで、もう少し肉を食べたいという客のニーズを掴んだのである。
平均客単価五一〇円。同月商一五〇〇万円前後。イート・インに加えて、最近の弁当ブームに乗じてテイクアウトも好調で、店舗当たり二五~三〇%がこの分野の売上げだという。店での滞留時間七、八分。オーダーから食べ終えるまで僅か一〇分前後の速さで、一日平均二五~三〇回転はする。
吉野家の標準店舗は、店舗面積一〇二平方㍍(約三〇坪)、カウンター席のみで四〇人収容。一日の平均客数九〇〇~一〇〇〇人。荒利四八%、純益一一%。