シェフと60分 フランス料理「モン・ジャルダン」森田幸二料理長

1995.03.06 71号 7面

関西出身。昭和31年生まれ。高卒でホテルに入り、その後は本文中の通り現在に至る。エスコフィエ協会会員でもある。突然にまかなうのではなく、コツコツと仕上げていく料理が好き。古典的ブラッスリー料理を得意とする。某民放のTVチャンピオンにも出場するなど、チャンスがあれば自分の可能性を試す。最近ではアルパージョンというフランスの料理コンテストにリヨン代表として縁があり、参加、五位となる。

たびたび渡仏するが、彼の地に行くと快食快眠快便になり体調がすこぶる良好になるという。若いコックに「料理を作ることがわずらわしくなったらコックをやめなさい」と指導。チーム料理は「皆が同じ気持ち」を持つことが第一と説く。

「時代環境が劣悪な時代に洋食・フランス料理を繁栄させた先達のシェフは大変だったろうと思う半面、羨しい部分もあります」。洋食開花に思いを馳せると尊敬の念と同時に持ち前のフロンティア精神が刺激されるようだ。

今は一フラン一九円だが、当時は六〇〇円の時代、しかも船で何十日もかけて彼の地に行き、日本に帰ってはホテルにフランス料理という異文化を確固と定着させた。その後、数多くのシェフが渡仏し最近では八〇年代後半から九〇年代初めにかけてフレンチレストランという新分野が確立される。数々のフレンチのスターシェフを輩出したのは周知の通り。では昭和30年代生まれのシェフはフランス料理にどのような新風を吹き込めるのか‐‐暗中模索である。

ホテルに勤めていた森田さんに転機が訪れたのは二九歳の時の渡仏と、その後の一年間のプリフィクスレストランの経験である。フランスに渡ってその生活とレストランの密接な結びつきを垣間見、「自分もお客と直接ふれあえる仕事をしたい」「料理はサービスまで含めた自己表現でありたい」と体にフツフツと湧き出ずるものを感じたという。

一年で日本に戻ったところ、「コック一人で店をどこまで切り盛りできるのか確かめたい」という人から東京・渋谷の道玄坂に一五席くらいの小さな店を任される。「自分をためす最高のチャンス」であった。

パワー全開で小ぢんまりと、しかも一〇〇%客と接することを理想としたレストランに挑む。しかし、意外にも最初に出た答えは「一つの料理を作るには膨大な時間が必要」という現実。出来る範囲が狭められ、「皿にきれいな盛り付けが出来なかった」と回想する。ただ、ボリューム的な満足感、おいしさは十二分に表現できた。「自分が作った料理を自分の手で客に出すということはコック名利につきる」貴重な体験をする。

ディナーのオーダーストップは午後9時30分にしたが閉店時間は決めていなかったので、11時、12時までくつろぐ客もいた。客との接点は苦にならなかったという。後にも先にもただ一度、寝過ごして店に昼の12時過ぎに着き、客が数人待っていたことがあった。「以後、それまで以上に自己管理には気をつけた」夜更かしして体調の悪い時には作る料理も冴えがない。チーム料理ではあまり気にならなかったが、一人だと如実に現れる。

一人でレストラン運営に少しずつ慣れて来た頃には常連客もついてきた。昼はオバ様達、夜は若いOL。味方にすると心強いが、敵にまわすと恐いという非常に扱いに苦慮するのが女性。そんな中で、「きれいな人も普通の人も扱いが平等」という評価で森田さんを支持する女性が多かったという。「お客様と気まずくなりたくない。一日中店にいるので会話はお客様としかできない」状況下での自然な接客である。

「お客様にも気さくな方とちゃんとした方と二通りいらっしゃる」。気さくな方には気さくに対応。「お金を払って食事をしていただいたほかに、掃除やテーブルサービスを頼むこともしばしば」というお客も出て来た。「手伝ってくれる女性はいろんなエプロンをして来るんです。それで、OLも“食”に関心があるんだなと思いました」。OL観察も怠っていなかった。

そのほか、お客様の自宅への出張コース料理や、土曜日は営業を中止してフランス語教室の生徒さんにフランス料理を教えたりと、レストランの枠を越えてお客とフランス料理の仲介にトライした。「あの店での経験が血肉となって今日の自分の一部を形成しています」と語る。

六本木・鳥居坂ガーデンの「モン・ジャルダン」は勤めて五年目。「バブルが弾けてフランス料理は高級すぎるという声もありますが、店のレベル、施設を踏まえた中での妥当な値段、サービスのレストランはお客様に支持されています」とフランス料理低調説を否定する。

同店は一階がブラッスリーで三三〇〇円のコースから、二階はレストランで同七〇〇〇円から。二階のレストランはサービス税を支払ってもらうが一階はなし。「妥当なサービスがあってのサービス税」なのである。

また、同ガーデンは知る人ぞ知るレストランウエディングの名門。二年前に施設の一つとしてチャペルをオープン。チャペル、レストラン、宴会場でガーデンを形成しており、宿泊施設のないホテルのような機能を持つ。

以来、レストランウエディングブームに乗り、順調に売上げを伸ばす。レストランで前年比四〇%増、宴会場で三〇%増という伸びがここ三年続いている。「宴会でもレストランが出す料理」がうけている理由のため、たとえ宴会料理といえども手が抜けない。厨房スタッフ一三人で土・日は約六〇〇人の食事をまかなう。

プリフィクスの店をしていた時に「生涯一職人で生きるのか、スタッフを使ってチームでやっていくのか」の選択を迫られ、大海での修業を選んで現在のレストランに勤めることになった。「シェフがいてスタッフがいて店が成り立つ」を貫く。

文   福島厚子

カメラ 岡安秀一

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