DATAにみる外食マーケット動向 喫茶FC

1995.05.01 75号 15面

喫茶店関係のFC(フランチャイズチェーン)は、一九七一年(昭和46年)から始まる。ちょうどそのころ、喫茶業界は毎年一万店ずつ店数が増えるという“喫茶店ブーム”の真っただ中であった。ブームというと華やかに見えるが、実体は開業者の多くが失敗するという状況にあった。そんな中で、大きな成功を収めていたのが“コーヒー専門店”という業態。「その成功の秘訣を教わりたい」という要請が増え、それを受ける形で喫茶FCが誕生した。

コーヒー専門店が成功した要因は、高品質のコーヒーを提供したこと。七〇年代初頭のころはモノがあふれ、消費者は「より良いもの」を求めるようになっていた。そのニーズがコーヒー専門店の戦略とぴったり一致していたわけである。

こうして始まったコーヒー専門店のFCは、たちまちのうちに急成長をみせる。これを見た企業が喫茶FCを始めるといったこともあり、七一年~七三年の三年間に八社がFC展開を行っていた。もっとも、いわゆる“後追い企業”(その多くはコーヒー焙煎メーカーと有名喫茶店)は数年を経ずして消えてしまった。「単なる“開業屋”ではないか」と批判されるほど本部体制づくりとシステム構築がお粗末で、結局長続きしなかったのである。特に七五年~八五年の一〇年間はファストフードとファミリーレストランが急成長した時代であり、いわば同業種間の競争に追われるだけでなく異業種からのチャレンジを受けるようになり、その荒波に耐えきれなかったのである。

JFA(日本フランチャイズチェーン協会)の統計によると、七九年当時の喫茶FCは一六チェーンあり、その総店舗数は九〇五店、総売上高三四一億円であった。その後も喫茶FCはほとんど横ばいで推移する。九四年3月末現在でも一二チェーン、一二三六店舗、五二九億円のマーケットを形成しているにすぎない。

喫茶FCの生き残り競争は八〇年ごろから始まっているが、その戦略で際立った二つの企業がある。一つは「珈琲館」を展開するマナベ、もう一つは「カフェコロラド」を展開するドトールコーヒーである。

マナベが採った戦略は、あくまでコーヒー専門店としてのマーケットポジションを堅持すること。そのために他店にないオリジナルコーヒーの開発に力を入れた。その典型的な例が「炭火珈琲」であり、その後も次々と高価格のオリジナルコーヒーを発売、高いブランドイメージを構築していった。珈琲館は現在三八六店を数え、コーヒー専門店業態では日本最大のチェーンとなっている。

一方、ドトールコーヒーはファストフードに対抗できる新業態を開発する。開発された新業態は、立ち飲み・挽き売りコーヒー店、いわゆる「一五〇円コーヒー店」だ。この新業態店は「ドトールコーヒーショップ」と名づけられたが、その特徴はまさにファストフード店そのもの。たとえば、限定メニュー、薄利多売、機械装備率を高めて生産性を上げる、客席数に限定されないで売上げを上げるためにテークアウト商品(持ち帰りコーヒーや挽き売りコーヒーなど)の取り扱い、高い原材料費率・低い人件費率などである。別表をみてもわかるように、ドトールコーヒーショップとカフェコロラドでは機械装備率が大きく違うし、原材料費率・人件費率でも大きな違いがある。同じようにコーヒーを売るといっても、両業態の間には隔絶した違いがあるのである。ちなみに、ドトールコーヒーショップの平均的な月間売上げは約一〇〇〇万円、カフェコロラドは四五〇万円と、ほぼ二倍の開きがある。

ドトールコーヒーショップの一号店が出店されたのは八一年だが、急成長するのは八五年あたりから。現在同チェーンは三六九店を数えるまでに成長した。この成功に刺激されて、八八年ごろから低価格の立ち飲みコーヒー店のチェーンが続々登場する。現在、立ち飲みコーヒーショップのFCチェーンは九社ほど。しかし、あまり成功したチェーンは現れていない。ただし、九四年にはアメリカで成功したジャワトレーディングやグロリア・ジーンズなど外資系の喫茶チェーンが日本に上陸、FC展開を始めており、立ち飲みコーヒー分野でも生き残り競争が激しくなることは確かである。

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