ハンバーガーチェーン稼働100店突破 明治サンテオレ・黒川孝雄社長に聞く

1995.07.03 80号 11面

ハンバーガーチェーン明治サンテオレ(株)は昨年、創立二〇周年を迎えて二一世紀に新たなスタートをきり、このほど稼働一〇〇号店を突破した。中小チェーン店の中でいち早く三桁出店を達成、店舗数では業界第五位だが、財務内容は非常に良く「山椒は小粒でピリリと辛い」を地で行く。明治乳業の物流をバックボーンに、他業界に先駆けてショッピングセンター、リゾート地などにFCを積極的に出店、商品開発にも力を注いでいる。稼働一〇〇号店を機に、価格破壊が起こる激動下のFF業界をどのような戦略で乗り切り、二一世紀につなげていくのかなど、黒川孝雄社長に聞いた。(聞き手は本紙・今野正義社長)

‐‐黒川社長はサンテオレの生みの親とお聞きいたしました。

黒川 私は当時、会社が持っている不動産を開発する明治乳業の開発課長をやっておりました。ちょうどそのころ勃興してきた外食産業に、明治乳業の仕事からいっても乗り出すべきではないかと提案したんです。チェーン化も大きな魅力でした。特にハンバーガーマーケットは大きい。ちょうどマックさんが昭和46年に銀座に一号店をつくられて、当時大変な勢いで伸びていました。マクドナルドとロッテリアの二社で、あとはほとんどないに等しい状態でしたので、「このマーケットに参入すれば私の目算では一〇年後に三〇〇〇億円のマーケットになるはずである。その一〇%のシェアをとれば三〇〇億円になる」という。膨大なプランを立てました。これがそもそもの創業時にトップを説得したテクニックであったというか、だましたテクニックなんです。(笑い)

‐‐黒川青年は自ら新規開発の課長について当時としては未知なハンバーガー事業に取り組まれたわけですね。

黒川 私は昭和48年の4月から50年の3月までプロジェクトチームに所属してサンテオレの立ち上げを行い、昭和50年から61年までは明治乳業に従事。ですから、61年に社長に就任しました時には一一年ぶりに戻ってきたと感概深かったです。

‐‐就任後、赤字を黒字にされたわけですが、その辺のことを聞かせてください。

黒川 直営方式からフランチャイズ(FC)ビジネスへの転換を図ったからです。頂点を過ぎた業界で赤字会社を黒字会社にするのは、ほとんど不可能な話なんです。明治乳業も新規投資をしてくれませんし、私はFCビジネスで生きていく以外に方法はないと思いました。FCを展開するには、わが社独自のものが何かなければいけない。それで小さな投資で、損益分岐点を低く抑えて、採算がとれるような小型店中心政策をとりました。

‐‐急に方向転換するということは、ご苦労の多いことでしたでしょうね。

黒川 問題は社内体制が追いつかないということなんです。頭の切りかえにやはり四、五年かかりました。FCに転換していく場合には、徹さなければだめ。ですから直営店は打ちどめ。これでFC主体の展開に踏み切りました。直営店の店長を志していた人には、やはり戸惑いが生まれましたし、いろいろありました。

‐‐黒川社長の経営哲学として微動だにしないものがあって、今日を迎えたんですね。

黒川 何としてもオリジナルでいこうと苦労しました。メニューで言うと、パンをメッシュバンズにかえてみたり、すき焼きバーガーというような変わったメニューを出してみたり、いろいろトライしました。その中で成功したのは九三年にリニューアルしたハンバーガーです。

恥ずかしい話ですが、一店舗当たり一日に一〇個といった程度の量しか出てないんです。私は「こんなにしかハンバーガーが売れてないんだったら、ハンバーガーはやめろ」というような話を社内でしました。そうしたら、商品開発が大変ハッスルしてくれました。いろんな野菜類をいためてつくってブラウンソースというのを開発して、ケチャップ味からの大転換を図りました。

これはハンバーガーの味の常識を変える極めて危険な話です。ピクルスも抜きました。「今までのケチャップ味をお好みの方は、どうぞ隣のマクドナルドに行ってください。私どもはブラウンソースを出すだけです。それで良いという方だけご来店して下さい」というふうに割り切りました。切りかえたところ、九三年の10月というのは不況のどん底でしたが、売上げはどーんと上がりました。

‐‐価格面ではどうだったのでしょうか。

黒川 昭和48年のハンバーガーのプライスは一二〇円です。現在は二一〇円です。また、私どもは業界では「コロッケバーガーのサンテオレ」と言われているんです。今は、私どものまねをしてあちこちでいろいろ出していますが、私どもはこのコロッケバーガーを二〇年来売り続けています。サンテオレと言えばコロッケバーガーと言われるゆえんです。

‐‐商品の中身や重量などの質的変化は…。

黒川 そう大きな変化はありませんがハンバーガーのパティは当初、一二〇円という価格では一〇〇%ビーフは残念ながら力不足で出せませんでした。ですから、ポークなどの混じったパティを使っていました。これを途中で一〇〇%ビーフに切り替えるというように、質は少しずつ高品質となっています。

‐‐現在、経営の柱となる商品は何ですか。

黒川 三本柱という言い方をしていますが、二〇〇円のコロッケバーガー、二一〇円のハンバーガー、二四〇円のチーズバーガー、この三つがダントツの商品に育ちました。実は、これはこの三年間ぐらいのことです。チーズバーガーは昨年九四年の7月に出した商品です。チーズはプロセスチーズと決まっているんですがとろけたチーズが一番おいしいはずだということで、「明治乳業に“十勝とろけるチーズ”という国産牛乳を使っていいチーズがあるから、これを使おう。しかしコストが相当高くつく」など、いろいろ問題はありましたが、この「十勝とろけるチーズ」を使ったチーズバーガーをつくったところ、7月、8月と二ヵ月のキャンペーン投入で、チーズバーガーの売上げが二倍に増えました。今でも単品で三割増えています。これからの課題としては、やはりパンをもっとよくしないといけない。バンズを上質化することが必要だと思います。

‐‐最近の円高は、御社のビジネスにとってはどんなメリットあるいはデメリットがあるんでしょうか。

黒川 円が一〇〇円ぐらいまでの間は、確かに円高で資材価格が下がり、フードコストが下がるといういい環境でした。ところが、八〇円という現象はやはり価格破壊なんです。

マクドナルドさんがハンバーガーを一三〇円にし、チーズバーガーを一六〇円にしました。最大手が低価格路線を走っているので、これからは価格競争の激化は避けられないと思います。

‐‐御社はこれからどんなものを武器として闘っていかれるんでしょうか。

黒川 メニューという意味では非常に身軽ですので、例えば手づくり的なものを開発していきます。価格競争の中でもあくまでも質を追求したい。「おいしさの追求を忘れたビジネスはだめになる。絶えず商品の上質化を図り、サービスの上質化を図る」この二つを伴った低価格化ということを両立させないと、ビジネスとしてはうまくいきません。現に低価格路線というのはみんなうまくいっていません。

‐‐御社の強力な独自戦略はありますか。

黒川 物流を明治乳業の配送にすべて乗せることが出来るという最大の強みを利用した出店地の展開です。今、ショッピングセンターは特に売上げが伸びています。組織的には、オーナー会の明和会があります。これは私が着任した翌年の昭和62年にスタートさせています。それまでは、フランチャイジー同士が話し合うのは本部としてはこわかったわけです。資材価格を下げろとか何とか、いろいろ要求が出てきますからね。私は明治乳業で労務担当をやっていましたので、全く困らない。そういうことで、オーナー会をつくりました。これが加盟店と本部との対話、そして信頼関係において非常に大きな力になっています。

‐‐二一世紀への布石は着々と進んでいますね。御社は環境問題にも大変ご熱心な会社だと伺っています。

黒川 六年前から環境対策については、三つのステップを踏んで進めてきました。最初はゴミ処理が容易にできるようにという視点からの素材の切り替えです。プラスチックの包材を全部紙製品に切り替えました。これは業界では私どもが最初です。第二段階はごみの削減です。その決め手が陶器カップとグラスの導入です。これで一店から出るごみが大体三分の一に減ります。私は環境問題とPLが企業の将来を決定するだろうと見ています。

‐‐二一世紀へ向けたサンテオレさんの姿はどういうことになるでしょうか。

黒川 二〇周年記念のときに、すかいらーくの横川章副会長からご祝辞をいただいた中で、「一〇〇店近い店舗になったけれども、まだ店舗は少な過ぎます。三〇〇店を目指してください」と言われました。私どもとしても、生存分岐点を一〇〇店とするならば、一応企業として認知していただける、お客様の企業認知分岐点は三〇〇店だろう、というふうに考えていますので、将来的にはとりあえず三〇〇店まではつくりたい。戦略としてはあくまでもオリジナルな領域を持っていないと、われわれが存在できる社会的意義はないと思っています。「お客様に信頼される経営に徹する」という経営理念を貫いて成長していきたいと思います。

‐‐この5月には日本フランチャイズチェーン協会の会長にご就任されて、お忙しくなりますね。ますますのご活躍を期待しております。ありがとうございました。

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