トップインタビュー 日本バーテンダー協会技術研究局・長谷川馨局長
‐‐あらゆる飲食店でカクテルメニューが増え続けています。バーテンダーというプロの立場から見た感想をお聞かせ下さい。
長谷川 ここ数年で、カクテルの銘柄や魅力に対する認知度が急速に高まっている。愛好家が主力であったユーザー層についても、いまでは老若男女に広がっている。以前にもカクテルブームはいく度かあるが、今回は女性層への広がりがとくに目立つ。それらに応じてあらゆる飲食の場面でカクテルの需要が増えている。市販品や居酒屋の大衆カクテルから専門店(バー)における本物志向のカクテルまで、幅広くラインアップされたことでカクテルが確固たる市民権を得たといえる。
‐‐需要増の要因は何ですか。
長谷川 海外渡行者の急増によりカクテルを気軽に楽しむ海外のスタイルが上陸していること。アルコール一辺倒の飲み方が減って雰囲気を楽しもうとする若者が増えていること。手軽な市販品が続々と発売されてシャレたTVCMが活発化していること。これらが要因と見ている。とくに市販品の登場やTVCMの効果はわれわれにとって格好の追い風だ。認知高揚はさておき、それらの影響でカクテル需要の裾野が広がれば、それだけ本物志向のカクテルが引き立つわけで、バーテンダーにとってはプロのテクニックを鮮明にアピールすることができる。バーテンダーの存在価値が再認識されると同時に、バーテンダーに対しても技術向上を促す好機だと思う。いずれにせよそのような周囲の動向がわれわれの活性剤となっていることは間違いない。
‐‐最近はバーテンダーのレベルアップが著しいと聞きますが‐。
長谷川 若手バーテンダーの成長が顕著だ。技術向上についてはここ一〇年間増え続けているコンペ(カクテルコンペティション)が大きく寄与している。コンペの開催が増えればそれだけ参加者が増えてカクテルに対する勉強熱が高まる。コンペがイベントとして注目されることよりも、コンペを目指してバーテンダーが勉強に取り組むことの方が、価値のあることだ。
‐‐コンペを通じて具体的にどのような技術向上が図れますか。
長谷川 素材の相性の把握と創造力。見た目についてはフォームの定着だ。最近、VTRの普及により練習時におけるフォームのチェックが容易にできる。フォームが固まれば見た目以外にも、ムラや無駄のないスムーズな動作が身につく。フォームのパターンはさまざまだが、私的に指導する時は、目はやや遠くを眺めるように、足は直角に開き体はカウンター正面に向ける。シェーカーを振る角度は斜め四五度、上下のシェークは目の高さから乳にかけて、とアドバイスしている。
‐‐かたやバーテンダー志願者も増えていると聞きますが。
長谷川 以前に比べると一~二割ほど増えています。新卒の志願者が増えていることは喜ばしいことだ。なかでも女性の志願者が目立つ。現在はNBA会員の一割が女性で占められている。バーテンダーという男の世界に挑んでくる女性は、つらいことに覚悟を決めているので取り組み方が真面目。男性よりも技術の習得が早い。去年のJr(ジュニア)対象のコンペでは、女性が入賞者の半数を占めたほどだ。そうした女性が職場にいると男性もうかうかしてはいられない。おのずと練習に励みお互いが切瑳琢磨するという良い傾向も生まれている。
女性バーテンダーは女性ユーザーに対して店に入り易い雰囲気を与えるし、いうまでもなく男性にも喜ばれる。こうした役割も大きい。女性軽視というわけではないが。
‐‐活気づくバーテンダーですが問題点や課題はあるのですか。
長谷川 カクテルが流行し始めたり、コンペで技術が向上するなどバーテンダーにとり最近の傾向はいいことずくめに見える。だが、一方では、コンペの入賞などでプライドが高くなり過ぎて通常の営業面に支障を来たす、という好ましくない事態も起きている。技術のレベルアップばかりが先行して、人間性を磨くことについてはおろそかな部分もある。バーテンダーは技術職であると同時にサービス職である。コンペで技術面の向上が図れた今後は、人間性を磨くための指導が大切だ。協会としてもシニアを先導にしてそうした課題に取り組むつもりだ。
‐‐具体的にどのような指導をなさるのですか。
長谷川 信義、礼節、友愛という紳士なバーテンダーのあり方を残して行くことだ。自分一人の力で自分があるのではなく、お客、先輩などさまざまな人のおかげで自分が成り立っている、ということを自覚させ、敬いの機運を高めなければならない。コンペについていえば、入賞するための努力や達成した時の喜びも大事だが、同時に影で支えてくれたスタッフや競い合った相手に対して敬意を払うことも覚えておくべきだ。入賞者が華やかな舞台に立っていても、それは皆で業界を盛り立てている一部分に過ぎないのだ。
‐‐カクテルに関わる食の傾向を聞かせて下さい。
長谷川 以前はかわき物一辺倒の軽いおつまみで通用したが、女性客が増加したいまはそうもいかない。二軒目、三軒目とはしごの後に来店する男性客のパターンとは異なり、女性客は、落ち着いた雰囲気を目指して一軒目に来店する方がほとんど。空腹を満たすためのメニュー開発も必要だ。バーの小規模な厨房で本格的メニューを開発することは難しいので、われわれも支部ごとに料理研究会を開いてさまざまな食材、調理の工夫の情報交換を行っている。時には専門の料理人を招き講習会を開いている。いずれにせよ食については業界としても取り組むべき課題の一つだ。食をベースとして、それに合うカクテルの提案もありうる。
‐‐最後に、バーテンダーのあるべき姿を聞かせて下さい。
長谷川 バーテンダーはサービス業の最先端であると自負している。技術だけならば機械にやらせた方が正確な味が出せるが、お客の顔を見てその時の状況、体調などに合わせて最適なカクテルをつくるサービスは、人間対人間の関係を深めているバーテンダーでしか実現できない。人間対人間の信頼関係を積み重ねて、より満足できるカクテルとサービスを追い求めることが、バーテンダーの永遠の課題だと思う。
‐‐ありがとうございました。
日本バーテンダー協会は、飲料文化の開発、会員の技術向上、会員相互の連携を目的に、昭和4年、発起人一五人で発足。同時に現在の機関誌「ガゼット」の前身「ザ・ドリンクス」を発刊した。
昭和19年、戦争のため自然解散するが、23年には再建される。「信義、礼節、友愛」を信条に、昭和30年代の高度経済成長に沸く洋酒の揺籃時代、協会もともに発展した。
その後、国際バーテンダー協会へ加盟する団体と社団法人として認められる団体とに分裂するが、目的を果たすには小異を棄て団結する必要から62年に合併し、名称を(社)日本バーテンダー協会(NBA)とする。
長年にわたり引き継がれて来たバーテンダー検定試験事業も、平成3年には厚生省認定バーテンダーの資格証書を認められた。また、来年10月には、ICC東京大会が開催されるなど、内外ともにますますその進展が期待される。
昭和14年、群馬県に生まれる。昭和33年、銀座・貿易会館内クラブに入店。その後数店を経て東京オリンピックの年である昭和39年、現在の地大井町で独立し現在に至る。
かつて初めてカクテルを作った時、緊張のあまりジンフィーズに砂糖を入れ忘れたこともあるというが、今では、バーテン歴四〇年のキャリアを生かし、協会発展のため日々奮闘する。
時には忙しい協会の仕事の合い間を縫い、ブラリと出掛けたバーで好きなジントニックを楽しむ。ゴルフ歴三〇年だが、年に数えるほどしか行けず、現在はハンディ25。
(文責・岡安)