外食史に残したいロングセラー探訪(18)万惣フルーツパーラー「ホットケーキ」

2008.05.05 342号 08面

 江戸時代、弘化3年(1846年)に果実商として創業した万惣は、大正末期に「万惣フルーツパーラー」を開業した。当時のいわゆる「モボ・モガ」や文人たちが多く訪れたという。小説家・池波正太郎氏も好んだといわれる同店の「ホットケーキ」は、昭和の歴史とともに歩んできた、真のロングセラーである。

 万惣フルーツパーラーの名物「ホットケーキ」(630円)が作り始められたのは、昭和初期のころ。だが、万惣商事(株)の取締役料飲部長・萩原和生氏によると、同店の創業や、ホットケーキに関する資料は残念ながら一切残っていないらしい。

 しかし、「万惣では高級果物を扱っているため、帝国ホテルなどの一流ホテルや上流家庭に出入りする機会が多く、そうした場所で『ホットケーキ』を知り、商品化したのでは」と萩原氏は推測する。伝えられている話では、和菓子職人の考案で、表面が香ばしく中がしっとりとした生地に、黒みつベースのシロップをかけるという万惣オリジナルのホットケーキが生まれたという。

 ナイフとフォークでケーキを食べるといったことも当時は珍しく、文人や女優といった有名人やおしゃれな“モボ・モガ”たちから、またたく間に人気となった。

 当時、同店のある神田須田町交差点付近は、国鉄の駅が近く、都電も行き交う交通の要衝であったため、繁華街としてにぎわっていたという。下町っ子たちにとって、この「万惣のホットケーキ」はあこがれの一品だったことだろう。

 ホットケーキに使われるのは、小麦粉と卵、牛乳、砂糖といったシンプルな材料だが、どの時代でも常に品質のよいものを厳選しており、池波正太郎氏も「むかしの味」というエッセーの中で、それをたたえている。

 「ホットケーキのタネは生き物ですから、湿気や温度によって日々状態が変わる。そのため、微妙な調節は欠かせない」と萩原氏。朝一番で作られたタネは冷蔵庫で寝かせておく。焼くときには常温に戻し、その都度、牛乳で硬さを調節する。そして、厚さ13mmの赤銅板に、薄くショートニングをひいて焼き上げられる。

 7種類の材料をブレンドして作られたシロップは、黒みつをベースにした優しく懐かしい「和」の風味。これもその都度、とろみを調節している。バターは、塗りやすいように常温に戻したものを提供する。

 こうして手をかけて作られたホットケーキ、シロップ、そしてバターが一体となったとき、幸福な味わいが口いっぱいに広がり、思わず顔がほころぶ。この幸福感を味わうために老若男女を問わず、多くのお客が同店を訪れるのであろう。親子3代、4代でホットケーキのファンというお客も少なくない。この懐かしく優しい味は、これからもずっと求められていくはずだ。

 ●店舗データ

 「万惣フルーツパーラー」/経営=万惣商事(株)/店舗所在地=東京都千代田区神田須田町1-16/開業=大正末期/営業時間=午前11時半~午後8時(LO)/定休日=日曜、祝日/坪数・席数=80坪・86席/客単価=1000~1100円/1日来店客数=平日300組、土曜800組/平均月商=900~1000万円

 ◆こだわりの食材

 「シンプルな材料だけに、その品質は確かなものでなければならない」と萩原氏。

 例えば、こんなエピソードがある。ファミリーレストランなどのチェーン店が勢いを伸ばし始めた1970年代のこと。当時は品質よりも大量生産を目的とされた卵がほとんどで、同店でも当然のように使っていた。

 そんなある日、ホットケーキを試食したオーナーから、「こんな恥ずかしい味ではお客さまに失礼になる。しばらく店を閉め、原因を追求してみたらどうか」と言われてしまう。萩原氏は、たまたま訪れた老舗の寿司屋で卵焼きを、そしてそば屋で卵をのせたうどんを食べ、卵の味一つで全体の味も変わってしまうことに気付く。そして寿司屋で紹介された業者の卵を使ったものをオーナーに試食してもらったところ、「これなら大丈夫」と、店の営業を許可されたという。

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