加藤サチコのアグリカルチャーレポート(1)プロ御用達の千住葱
世襲制度といえば思い起こすのは、歌舞伎などの伝統芸能の世界ですが、この平成の東京に、血縁でなければ継ぐことができない商人の世界がありました。それは「葱商」。東京の足立区千住には、長ネギだけを扱う専門市場(通称やまがしわ)が今も残っていて、そこに出入りするネギの専門卸業者のことです。
毎朝6時過ぎ、この市場には埼玉、千葉方面から五〇人ほどの生産者がネギを持ち込み、競りが行われています。集まった葱商はたった九業者。小さな小さな市場ですが、外部の人間が立ち入ることはできません。しかし、ここで取引されるネギは「千住(千寿)葱」と呼ばれ、首都圏の有名なそば屋や焼き鳥屋、すき焼き屋、料亭のほとんどがこのネギを使っているという、プロのみが知る「ネギの中のネギ」なのです。
競りは、葱商たちの目利きで行われます。ネギのツヤ、キメ、巻きの数、太さ、硬さなど、目に見える微妙な差や手触りで品質を鑑定します。よいネギを見極めるには経験が必要で、そのために世襲制が重んじられてきました。もしくは葱商のもとで一〇年以上修業を積まなければ、葱商にはなれないという厳しい規律があります。
彼らは得意先から「ネギ屋」と呼ばれ、競り落としたネギを店先まで配送して回ります。顧客の要望にこたえる最高の品質のネギを届けるのが葱商の役目であり、誇りなのです。そのため、やまがしわで取引されるネギは、昔から一般の市場の一・五~三倍のいう値が付きました。
この市場に出荷する農家も、ネギの品質にかけては「おらが一番」を自称するツワモノぞろいです。ネギの栽培は一一~一三ヵ月もかかる長丁場。
その間、手塩にかけて育てたネギはわが子も同様で、丹念に皮をむかれたネギは輝くばかりに磨かれています。そして昔ながらの「マルキ」という方法で、ひと束ずつ縄で丁寧に縛られています。
千住葱の特徴は、「肌がきめ細かく、白身の巻きが硬く引き締まっている」「手でポキッと折れて、みずみずしい汁がほとばしる」「火を加えればトロッと甘くて口の中でとろける」「薬味用に刻むと、ほかのネギより歩留まりが良く、一・五倍以上取れる」など、一般の根深ネギに比べ評価は歴然と高く、品質的に進化したブランドといっても過言ではありません。
卓越した栽培技術を持った生産者と、目利きする葱商、こだわりの料理人、この三者の厳しいプロによって育まれてきたのが千住葱というブランドなのです。
しかし今、この世界に変化が起きはじめています。業務用だけではなく、一般消費者にも販路を開こうと、果敢に営業を始めたのが、葱商「葱茂」の三代目の安藤将信さん(31)です。
「この素晴らしいネギを多くの人に食べてほしい」
その背景には、個人飲食店の不振や世代交代によりネギの販売量が落ちていること。生産農家が高齢化し担い手が少なくなっていることがありました。消費者に千住葱の評判が広がれば、販路が広がり、生産者の励みにもなるに違いないと安藤さんは考えています。
また意外なことに、これまで葱商と生産者は個人的な交流がありませんでした。安藤さんは葱商としては初めて生産者のもとを訪れ、千寿葱のことをもっと知ろう、消費者の声を生産者に伝えて、双方の掛け橋になろうと頑張っています。
産地の生産者も、「やまがしわのネギの扱い量が減って、生産者も離れていくようになってしまった。業務用にこだわらずもっと販売量を増やしてほしい。安藤さんには期待してるんですよ」と安藤さんが訪れるようになってから、出荷にも一層精を出すようになりました。
安藤さんはインターネットを使って販促し、チラシやポスターも製作し、最近は少しずつ効果がでてきました。葱商三代目の新しい血が、二〇〇年以上続いた千住葱の世界を変えようとしています。
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◆(有)葱茂(東京都足立区千住一‐七‐六、電話03・3881・0160、http://www.senjunegi.com)
(農産流通ジャーナリスト・加藤サチコ)