ああ無念!私の閉店物語:甘くなかったラーメン店開業
ラーメン店での独立・開業はそれほど甘くはない。だれもが自分の成功を夢見るものである。よもや、失敗するなどとはこれっぽっちも思わない。「本格的で難しい調理は苦手だが、ラーメンくらいなら素人の俺にもできるさ!」という安易な取り組みがあだになる。現在も次から次へと、ラーメン店の個人開業が続いている。がしかし、残念ながら素人の開いたラーメン店のほとんどは、いつの間にか閉店に追い込まれてしまう。今回ご紹介する古山さんも、その中の一人である。あろうことか、彼は既に二店舗のラーメン店をつぶしてきた。だが彼は不屈である。その不屈の精神力で、再び立ち上がろうとしている。周囲は必死に止めるが、彼は成功を夢見ながらラーメン三号店を着々と準備中なのである。
高校を出てから印刷会社に勤めた古山氏は、昭和60年ごろから「いつかラーメン店を独立開業し、大きな夢を手にしたい」と思うようになった。それから休みのたびに関東近県の評判のラーメン店を食べ歩いた。その数おおよそ一五〇軒。そこで独自のラーメンの味を思いつく。それは、「煮干し」でだしを取り、化学調味料は使わない。「薄い醤油味」であっさりしたラーメンを目指した。
家庭で実験を繰り返し、醤油・味噌・塩の三種類のラーメンの開発に成功した。いよいよ会社を辞め、大繁盛の「Tラーメン溝の口店」でアルバイトをしながら、店舗の物件探しをはじめる。たまたま、調布の駅前で飛びこんだ不動産屋に「自分の手持ち資金にぴったりの物件」があった。それは、東京都狛江市のさびれた商店街の一角にあった。新築の三階建てビルの一階八坪。保証金が一四四万円、家賃が一四万円。礼金等が条件であった。
不動産屋が車で連れていってくれた物件を、雑誌でよく見ていた内装業の社長に見てもらったら、「古山さんがやりたいなら、ぜひおやりなさいヨ!」と言われた。周りの商店街がさびれていて、ちょっと不安があったが思い切りやってみることにした。
契約が終わり、工事に入った。資金は一二〇〇万円くらいかかった。自己資金は七五〇万円である。あと父親から二五〇万円を借り、オリエントファイナンスから三五〇万円を借りた(金利二八%の借入金)。平成5年12月15日が、運命の開店日である。
新聞に、「開店二日間は半額!」というチラシを入れた。その二日間は一〇〇食を売った。両日ともスープが無くなった時点で営業終了。開店以降はだんだん売上げが落ちてきた。二週間後の12月末には、一日三〇食を切る状態になった。客単価が七五〇円なので二万円の売上げである。1月になると七〇〇〇円になり、3月の最後のころには一日一〇食を切るようになった。
メニュー品目を広げたりしたが、売上げはいっこうに上向かない。4月ごろには退店を考え店舗専門業者に相談し、「内装造作譲渡つき店舗」として売ろうと新聞広告もしたが売れなかった。7月に大家さんに退店の申し込みをし、8月には造作など一切を「権利放棄」して閉店し退出した。
その夜「これで終わった」と思うと、正直ホッとした。その後、オリエントファイナンスの借金が残っていたので、アルバイトをし、必死で働き返済した。
アルバイトをしながらつくづく考えたが、これ以上アルバイトしても先がないし、サラリーマンに戻っても大したことはない。では残る道は再びラーメンを究めるしかない。そこで第二号店開業を目指して物件探しにまい進する。
小田急相模原の駅前の不動産屋で、良い物件を見つける。ただし、間口が二mしかない。おまけに地上と段差があり、二段の階段がある。こうした致命的な欠陥も、自己資金の少なさ故に目をつぶった。
保証金一〇〇万円、家賃一四万円である。国民金融公庫から三五〇万円を借り入れた。自己資金は二〇〇万円、総資金五五〇万円で、平成9年3月に開店したのである。
什器・備品は中古品を購入し何とか間に合わせた。メニューは以前とほとんど同じ。一二坪一二席の規模である。開店時はお金がなかったのでイベントは何もしなかった。そのため一日三五食しか売れない。しかしドンドンじり貧になるので、年を越えた2月に横浜の店舗専門業者に依頼し、造作付きで売却し平成10年5月に閉店したのである。
●人物紹介● 繁盛店づくりに再々チャレンジする古山さん。二店舗目では「店舗売却の話がまとまった後、お客がつきはじめた」と、悔しながらも手ごたえを感じている。「こだわりの定番ラーメンこそできたが、あまりにもPR不足だった」と自戒の念を込め、今度は定番と名物ラーメンの二本柱で展開する意向だ。二度の失敗をバネに意気揚々である。
◆失敗の原因5つのポイント
われわれ取材班が考える失敗原因は、以下の五要素ではないだろうか。
(1)ラーメンの「最適な店舗立地」を考えず、あまり調査も勉強もしていない中で決定するのは無謀であり、失敗するのは目に見えている。
(2)店舗の立地条件より、手持ち資金を基準に物件を決めているが、仕方ないこととはいえ、これでは失敗する。
(3)一般のお客が行列するような、そんな強力なラーメンメニュー・味・具材の研究が全く不足である(古山さんのラーメンを食べた知人が言うには、「生臭かった」ということである)。
(4)本人に申し訳ないが、古山さんそのものに客商売向きの「はつらつとして輝くような人間的魅力」がない。故にこの人はサービス業向きではないようである。
(5)同じようなことだが、古山さん本人に、客をアッと喜ばせるようなサービス精神と商売のセンスが決定的に欠けている。
商売は、「人=店主」と「商品」と「店舗力=立地・デザイン・雰囲気」の三位一体が融合して、初めて繁盛という花が開くものなのである。
だから古山さんのラーメン独立は、まず「古山という人間」を徹底的に磨くことから再スタートしたらいかがであろうか。
今のままもう一度チャレンジしても、また同じ結果になってしまうような気がして仕方がない。
古山さんの今後に大いに注目したい。なにしろ頑張れ! FURUYAMA。