だから素敵! あの人のヘルシートーク:ジャズトランペッター・日野皓正さん
日野皓正さんが、音楽のためにゴルフやスキーでトレーニングし、驚くほど若い身体を保っていることは有名だ。しかしそのスキー、ニューヨークと日本を往復する多忙を縫って一昨年、59歳にしてSAJ検定1級資格を獲得するほど本格的に取り組んでいたとは驚きではないか。1月末に岩原ピットイン(新潟県)で行われたライブを挟んでのプライベートタイムに、おじゃました。
‐朝からリフトが止まる頃まで練習しますね。いつからのことですか。
ここ岩原スキー場に初めて来たのは二五歳の時。『ジャズ&スノー』という、いろんなゲレンデでライブをするツアーが一〇年続いたこともあったし…。けれど本当に本格的に取り組み始めたのは、この『ピットイン』のオーナーが指導員資格をとってスキークラブができてからで、七~八年になりますね。
先生の憧れの人はステンマルク。僕らもそういう滑りに近づくために、同じことを五〇〇回くらい練習させられました。最初はなんだか分からなかったのが、少しずつ分かってきて。終わると「何月何日。外エッジの使い方。内エッジの使い方。俺の悪いクセ」、その日のことをノートして。今年はもう6月頃からヘルメットやグローブ、最新のビデオを買って、早く冬が来ないかな、と待ち遠しかったですよ。
スキーと音楽は似ているかって? それはすべて、人間のやることだから同じじゃないですか。基礎が何より必要なわけで。取っ払ってしまうと自己流のヘンなクセがつく。基礎と道理が分かれば、最後は力を使わないでいい所に到達できる。そこに行くまでに苦しくていろいろ試行錯誤するけれど。音楽で分かっているから、スキーでもハの字の初歩的なプルークボーゲン、「ああこれが一番モトで肝心だよな」と分かる。ラッパの世界でもいきなり「曲吹かして下さい」なんて若いのがいたら、「バカヤロー!」だからさ(笑)。
‐四五歳でお酒をやめるなど摂生に努めているとか。夜の世界の現場で大変なことでしょう。
お酒の雰囲気、ジャズの本場にはさらに麻薬やギャンブルの匂いがあるくらいだもんね。それに浸った音楽で、「あいつのブルースはいいねぇ」なんていうのもある。でも長続きはしない。昔、天才といわれた人を街で見かけて、シワだらけのやつれた顔にやるせなくなること、よくあります。
僕の目標は七五歳になった時、現役で「あのジイちゃん、まだあんな風に吹いてるの? ええっ!」と言わせるようなトランペッターでいること。死ぬまで楽器を離さないでみんなに感動を与えるには、健全な肉体と精神が必要。そうやってジャズに立ち向かって愛し続けていった人たち、僕にとっての神様、サッチモやマイルス・デイビス、アート・ブレーキー、デューク・エリントン。彼らは健全な肉体と、人を救ってあげられるだけのキャパシティーを持っていた。
テクニックだけじゃ人は感動しない。僕らは何もサーカスをやってるわけじゃないんだから。一つの音に、その人の人生が込められている時に、人は感動するんだ。
‐「キープ・イット・コンテニューが大切」と日野さんはいいますが、持続がつらくなる時はないのですか。
体力がなくなって気力がなくなる危機は誰にもあるよ。乗り越えるには、常に清水の舞台から飛び降りて、冷水に身を投じる度胸があるかないか、ただそれだけ。スキーでも「こんな所でこんなことをやっちゃあ、転ぶよな」と思うけど、やってみると意外と大丈夫だったりする。そこでいままでの自分をクリアしたことになる。
ラッパもそう。ステージでウチの若いアルトサクソフォンがエンディングを長く出してきて、競争する時もある。向こうは四〇代、こっちは六〇代。延々とやると「もう死ぬかも」くらいになるわけよ。肺の中にはもう空気はない、でもやらなきゃいけない。それをやり終えた時に、自分の立っている位置が上がるから。いつもカラを破っている人は、いくらでもどんどんグロー(成長)する。
七五歳になれば、やりたくたってそんなことはできないよ。間をとるだろうし、音数は少なくなる。でもそこで例えて言えばフジツボやカキガラがいっぱいついて重しとなった船、そんな音をひょんと出して余韻と空間を醸し出せたら、すごいよね。そのために体力あるうちに若さにもっとチャレンジしておけば、小さくなった時に普通の人よりも大きくいられる。
‐生まれのながらの練習好きなんですね。
トランペッターのオヤジから九歳の時、「やれ」って言われて始めて、学校に行く前に三〇分、帰ってから二時間練習してたけれど。そうね、昔は練習の鬼だった(笑)。
でも練習し過ぎるとダメになる場合もある。ステージの上で練習しちゃうから。ステージの上は“無”、白いキャンバス。そこで三人なり五人なりの誰かと「どうだい君、きょうは?」と“会話”する。もし「練習してきたあれ、吹いてやろう」なんて考えたら、もう人の流れと合わなくなっちゃう。
補聴器つけて死ぬまでドラム叩いてたアート・ブレイキーに僕も若い頃、教えられた。「自分を証明するな」ってね。こんなこともあんなこともできるって、カッコ良く見せちゃいけない。
スキーもそうなんだろうね。白いゲレンデの上、かたい雪、柔らかい雪、どうやって滑るかは滑り出してからの雪との対話だよね。いや、スキーはまだラッパのようにはできないよ。でもそういうイメージでいれば何十年かしたら、そうなるかもしれないしね。
神様は意地悪でラッパを二日休むと、人間を元の形に戻してあげようとする。一日でもあるよ。マウスピースを押しつけるとちょうどいい唇の裏のタコ、土台がね、なくなっちゃうんだ。ラッパは家の中では吹けないから、スタジオ借りたりしてやる。不思議なことに自分でお金出して練習すると、その日なにかしら天が教えてくれたりする。死んだオヤジか弟の声かな、「そうか、唇ってこうやって使うのか」とかね。
自然体で肩はらずバランス良く生きれば、この世界はハッピーでストレスないはず。ギブ&テークというけれど、まずはギブだよね。まずあげるの。そしたらみんな返ってくるから。笑顔だったり拍手だったり、そうすると僕も嬉しくなるから。
(取材協力=岩原スキー場/岩原ピットイン)
食べ物は粗食。疎開から東京に戻り焼け跡で、おばあちゃんに言われて粉が吹いている草を弟と採った。そんな具の味噌汁なんかを飲んで育った。その後、僕がオヤジと弟のご飯を作っていた時期もあったので、料理はできます。けれど子供たちが小さい頃、ある日作ったエビ餃子がすごくウケて「また作って」とねだられたけど、絶対にやらなかった。凝り性だからはまり出したらどうなるか、分かっているからね。音楽にスキー・ゴルフ・絵、これで料理なんてなったら!
粗食で大丈夫なのは、「あんまり贅沢して早死にするなよ。長くラッパ吹くんだな」と神様に言われてる気がしますね。
◆プロフィル
ひの・てるまさ 1942年、東京都生まれ。9歳からトランペットを学び、13歳からは米軍キャンプでバンド活動を始める。67年初のリーダー作『アーロン・アーロン・アンド・アーロン』を発表、人気を博し、一躍「ヒノテル」ブームを巻き起こす。75年渡米、ニューヨークに拠点を移し現在に至るまで、世界的トランペッターとして第一線で活躍。最新作は『ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン』(ソニー・ミュージック)