ヘルシー企業の顔:養命酒製造・塩澤祟浩社長

2003.11.10 100号 12面

今年は江戸幕府開府四〇〇年、開府の一年前の慶長七年(一六〇二年)に『養命酒』は誕生した。機械化されたりはしているものの、その製法は基本的に四世紀にわたり踏襲されてきており、今では“薬酒”の代名詞として普及している。「『養命酒』で誰もが健康生活を」という養命酒製造(株)の塩澤崇浩社長に、その商品の魅力と健康長寿のための活用術を聞いた。

“薬酒”という言葉は、いまでは珍しい分類になると思いますが、アルコールはもともと薬でした。現在でも酒の主成分エタノールは麻酔薬として認められています。文字を見ると、酒のつくりの部分(酉)は酒壷からきた象形文字といわれており、医の旧字「醫」の文字には酉がついていました。ですから、酒と医学とは切り離せないのです。さらに、薬という文字は草冠に楽と書き、飲めば身体が楽になる草というのが元の意味です。薬酒というのは、アルコールに身体に良い薬草類を浸して造る、たいへん理にかなったものといえます。

また、漢方では煎じて飲む「湯」、粉にした「散」、練った「丹」「丸」などがありますが、特に薬酒は、毎日煎じなくても保存が利き、冷たくてもアルコールの作用で身体が温まるという特性があります。

社長就任時からの考え方として、『養命酒』の本質の維持と品質の向上を最優先にしいます。より良い品質の製品を提供することは、ご愛用者の期待に応えるための前提条件だからです。そのために良質な原料の確保と最適な製造環境が求められます。

『養命酒』は、原料となる一四種類の生薬(自然の薬草類を精製加工したもの)がすべて天産品であるため、その年によって収穫量などが変わります。ものによっては何年分も貯蔵しておく必要があります。発祥の地と同じ長野県伊那谷(駒ヶ根市)にある工場は、高原に位置し乾燥が保たれ、貯蔵にも適しています。さらに、酒は水が命。中央アルプスに囲まれ良質な水が湧き出る自然環境も品質安定の一助となっています。

私がおすすめする健康法は、『養命酒』を朝・昼・晩の食前に飲み、これを習慣にすること。三食バランスのとれた食事を決まった時間に食べる日課をつくるのです。これだけでも、健康的な生活を送れると思います。

また、歳をとると「ここが痛い、あそこが痛い」と、どこかしらおかしな所は出てきます。医者に行けば、血液検査、尿検査、レントゲン、MRIなどで数字が示され、どこも異常がないといわれる。しかし本人は痛いんですよね。これは不定愁訴(ふていしゅうそ)といわれており、心と身体の両方に起因するものです。心の病になると人は自律神経に変調を来し、体性神経もおかしくなる。そこで、お酒(養命酒)を適量飲むことで神経を程良くリラックスさせ、精神的ストレスを軽減し、同時に体性神経も正常に働かせる。心と身体の健康法にもつながるのです。

適度に休み、栄養をとって、適度に運動するという理屈は分かっているのですが、最近は運動をしなくなってしまいました。強いていえば、毎日『養命酒』を飲んで食事を腹八分目にしていることでしょうか。

というのは、歳をとると摂取エネルギーと消費エネルギーの収支が崩れるのです。一番エネルギーを使うのは脳です。例えば、中年太りの人は、人生の経験を積んで世の中のことが分かってきて、頭を使わなくなるんですね。そして人を使うことばかり覚えて、頭も身体も使わなくなる。摂取量が変わらなくても消費量が減らず、その結果太る。そうならないように注意しています。

◆プロフィル

しおざわ・たかひろ 1935年3月19日生まれ。57年養命酒製造(株)入社、89年取締役、92年取締役広報部長、96年常務取締役、98年専務取締役、2001年社長就任、現在に至る。趣味は、昔は鮎釣りによく行ったが「この歳になると愛(鮎)も恋(鯉)もおしまいですよ」と笑いながら、いまでは散歩や囲碁が楽しみだという。

◆『養命酒』誕生秘話

『養命酒』は、慶長7年(1602年)信州伊那の谷(長野県上伊那郡中川村大草)の塩澤家当主、塩澤宗閑翁によって創製された。慶長年間のある大雪の晩、宗閑翁は雪の中に行き倒れている旅の老人を救った。食客となっていた老人が3年後、塩澤家を去るとき薬酒の製法を伝授した。宗閑翁は“世の人々の健康長寿につくそう”と薬草を採取して薬酒を造り『養命酒』と命名した。翌年江戸幕府が開かれ、徳川家康に献上したことから「天下御免万病養命酒」と免許され、その象徴として飛龍の目印を使用することを許可された。これは最も古い商標の一つといわれている。

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