伝統食の激変が人類を蝕む、世界中で肥満が急増

2001.01.10 65号 2面

京都大学の家森幸男教授らWHO循環器疾患予防国際センターでは、一九八五年から世界六〇地域で、血管系の病気を食で予防できることを証明するフィールドワークを開始。現在、変化の激しい各地の追跡・調査、「モナリザ研究」を展開している(注1)。その研究成果として分かった地球各地の実態に関し、家森教授は以下のように述べている。

「いま世界中では大変なことが起こっています。この一五年かけて分かったことは、地球各地の都市化、工業化、近代化、言い方を変えれば欧米化の実態です。食生活もどんどん変化しました。日本もそうですが、開発途上国は特にその傾向が顕著。もう一つ、感染症を克服した人間がどんどん高齢化しているという現象もあります。高齢化した人間が、環境の著しい変化にさらされており、健康問題・生活習慣病が世界中で蔓延している、それがいまの世界の現実です」。

ある出来事に関して、すぐ涙ぐむ人もいれば、何も感じない人もいる。そういうことを私たちは「感受性が強い、弱い」と表現するが、これは食習慣に関しても同じことがいえるのだという。例えば食塩の例で考えてみたい。

「一九八六年、アフリカのタンザニアでマサイ族の血圧を測定したところ、ほとんどが正常だった。比較のため、世界中で五〇代前半の人のデータを取っているのですが、世界の五〇代前半の人は二〇%、五人に一人が高血圧(WHOの基準で上が一四〇、下が九〇以上)となります。何人測定しても一人も高血圧の人がいないというのはおかしい。私は血圧計が壊れたのかと思って自分の血圧を測ってみたら、針がぐーんと上がった。槍を持って検診に来るマサイ族の人たちの前で、私は緊張していました(笑)。血圧計は壊れてはいなかった。このマサイの人たちは素晴らしい伝統食のおかげで、最良の血圧を保っていたのです」。(注2)

ところがこの一〇年余り、地球上の変化は本当に激しい。「一二年たって再調査をしたら、状況は全く変わっていました。高血圧が一二%に上がった集落があった。他の集落でも三%。調査してみたら、この間にマサイ族もマーケットで焼き肉を購入するようになっていたんです。それに塩をつけて食べている。一二%になった集落は塩をつけ始めたところ、三%のところは食生活に変化はありながらも、まだ塩はつける習慣のない集落でした。マサイ族のように、これまで全く塩をとっていなかった人にとっては食塩の影響は非常に大きい。ほとんど塩のないところで、節約して生活していたので、少しの塩でもため込んで生きていけるように身体ができている。そのバランスが崩れ、とたんに高血圧になってしまったのです」。

マサイ族は食塩に関し感受性が人一倍強かった。急激な生活習慣の変化に身体がついていかない、というわけだ。塩分、脂質などが長い歴史の中で十分とれなかった民族は、それらのわずかの増加にも反応し生活習慣病を招く。

このほか、食物摂取過剰の影響を受けて、多くの地域で共通して爆発的に起こっている現象がある。それは「肥満」だ。「食以外の生活習慣の変化も追い打ちをかけています。アフリカは概ね農耕地帯で労働は厳しく、例えば何キロも母親が水を汲みに行くことが毎日の日課になっていた。子どもたちもこれを手伝う。ところがタンザニアの首都・ダルエスサラームなどではいま急激に生活が変わって、こうした労働の習慣がなくなりつつある。その結果、日本では想像できないくらいの肥満が出現しているのです。タンザニアで一九八七年に最初の調査をし、一一年後の九八年に再調査したところ、男女とも肥満が明らかに増えていた。女性は五〇%以上、二人に一人が肥満(体重=キロ=を身長=メートル=の二乗で割り二五以上)、その影響で五〇代前半になると五〇%以上が高血圧になる。悪いことにこうした地域は薬が不足しているので、昔の日本がそうであったようにある日突然、脳卒中で死亡するということになります」。

肥満はことアフリカだけでなく、開発途上国、先進国の違いを問わず、ここ一〇年で全世界的に増大している問題という。スコットランド・ブラジル・アメリカなどでも顕著で、これはやはり食を中心に生活習慣が大きく影響しているからだという。

家森教授らの世界調査の研究名「モナリザ」は、ラテン語の「MONEO ALIMENTATIONIS SANAE=健全な食生活の保全」の短縮語だ。それに人間性を象徴するあの有名な絵の名前をかけている。「健全な食生活を心に留めて下さい、具体的にはいま世界中で失われつつある各地域の風土に合った伝統的な食文化を大切にして下さい、と世界に訴えています。それはいったん失えば取り返しがつかない。何としてもこれを次の世代に伝えていかなくてはならない。食にはすべての人を健康にする力があるんだと、確信しています」。

それでは私たちの伝統食・日本食の実力を、現在の状況と合わせ見ていきたい。その国の長寿度を考えるにあたって、いま指針とされているのが「健康寿命」という考え方だ。障害期間を除いて寿命を計算したもので、日本は男女平均で七四・五歳。平均寿命七九歳とともに世界一の数字となっているが、それでも五年ばかりは障害者としての寿命になる。

「障害期間でもっとも問題なのが寝たきり、痴呆という状態ですが、これには脳卒中が非常に関係している。つまり健康寿命は栄養によって調整できるのです」。日本はかつて脳卒中の死亡率が大変高かった。それを過去三〇~四〇年の間にどんどん減らしたことが、健康寿命の好成績の大きな要因となっている。脳卒中の克服には栄養の変化が大いにかかわっており、その一つに塩分の調整がある。そうはいっても、まだいまの日本の塩分摂取量は先進工業国の中で多めで一二~一三グラム、沖縄だけは例外的に少なく八~九グラムとなっている。(注3)。コレステロールは増えると脳卒中の死亡率は減るが、心筋梗塞は増える(注4)。日本のコレステロールの摂取は、昔は低く食の欧米化とともに段々上がってきたが、この中で沖縄では脳卒中は少なく心筋梗塞も増えていない中庸の値、血清一〇〇ミリリットル当たりコレステロール一八〇~二〇〇ミリグラムを保っている。

平均寿命にかかわる要素としては、脳卒中とともに心筋梗塞が挙げられる。高齢者が増え続け、食の欧米化が進んでも心筋梗塞の死亡率が減っている現象は「ジャパニーズパラドックス」と呼んで、世界から不思議がられているという。どうして日本ではそうなのか。

「理由としてまず、DHAやEPAの豊富な魚を食べて、血栓を防ぎ血圧を下げていることがあります。この魚食のおかげでかなりコレステロールの上がってきた現在でも、なおかつ心筋梗塞の死亡率を下げることに成功しているのです」。その証明として日本の中でも長寿の沖縄からブラジルに移住した人たちは、魚食が減って岩塩で味つけした肉食中心になった結果、高脂血症・高血圧・肥満・糖尿病の四拍子が揃い、心筋梗塞の死亡率が高くなっているという。

「もう一つ素晴らしい食材として大豆が挙げられます。日本人は一日二〇ミリグラムを毎日とっていますが、大豆の中のイソフラボンには女性ホルモンと似た作用がある。心筋梗塞はどこの国でも圧倒的に男性に多い。これは女性は女性ホルモンによって動脈硬化から守られているからです。閉経後、女性ホルモンがなくなると血圧もコレステロールも上がりますが、この上がり方が大豆を食べている国は少なく、食べていない国は顕著。大豆を食べないスコットランド人にイソフラボン五〇ミリグラムを入れたゼリーを四週間食べてもらったところ、血圧がはっきり下がることが証明されました。心臓の血管を開く一酸化窒素ができるので、当然心筋梗塞の予防になります。イソフラボンにはまたカルシウムが骨から抜けていかないようにする作用もあり、骨粗鬆症対策にもなります」。

脳卒中・心筋梗塞と並んでもう一つ、三大成人病といわれてきたものにがんがあり、これも寿命に大きく影響している。「欧米諸国ががんに悩んでいるのに対して、幸い日本はあらゆるがんにおいていまのところ死亡率が低い。けれど食が欧米化していく中でどんどん増えつつある。食塩の量が減ったので胃がんは減ったが、食物繊維が少なくなった結果、大腸がんは増えた。一番増えているのはこれまで日本で少なかった男性の前立腺がん、女性の乳がん。これはアメリカで男性・女性それぞれ第一位のがん(男女とも二位は肺がん、三位は結腸がん)で、明らかに日本の傾向も食の欧米化が影響していることが伺えます。対策としてはやはり大豆のイソフラボン。男性の前立腺がん、女性の乳がんを中心に、あらゆるがん抑制に効果がありそうです」。

こうやって見てくると、魚と大豆を持つ日本の伝統食の実力は世界に冠たるものといえる。その維持に関してもなかなか努力の成果が認められるが、家森教授は「若年層を中心に欧米化に拍車がかかっており、将来を考えると不安が大きい」と指摘する。キブユから離れつつあるマサイ族も意識変化が必要だが、私たちもこうした地球変化のただ中にいて、ともすればバランスを失う可能性があることを、肝に銘じなくてはならない。「世界に誇る日本食の素晴らしさを大切に、時代の流れである欧米化を日本食の実力でいい方向に持っていく知恵が求められています」(注5)。

注1 モナリザ研究について

京大・家森教授らは一九七三年、日本でまだ脳卒中が死亡原因の第一位だった頃、人間と同じような脳卒中を起こして死ぬラットを開発。それを用いた実験で、遺伝的に必ず脳卒中になるラットでさえ、毎日の食物を変えれば天寿をまっとうできることを証明した。この理論を人間に生かすことを目指し、始まったのが「WHO循環器疾患と栄養国際共同研究」で、現在再調査「モナリザ研究」を展開している。

スタートは一九八五年。世界六〇地域で調査研究を実施。その結果、例えば長寿の沖縄の人がハワイに移住した場合は、食生活の影響で一層長寿となっているが、ブラジルに移住した人では短命ぎみになるなど、食を中心とした環境因子のほうが遺伝より影響が大きいということが分かってきた。いま生活習慣病の代表である高血圧・脳卒中・動脈硬化・心筋梗塞など循環器疾患は、まさに食事で予防・克服できることが証明されつつあり、開発途上国の健康状態改善などの具体的な方法論も提案されている。

「モナリザ研究」の研究費は、成人血管病研究振興財団(井村裕夫理事長=前京大総長 )に寄せられる寄付金で成り立っている。075・761・2381 FAX075・761・2382

注2 マサイ族の伝統的な食生活

伝統的なマサイ族の食生活では、「キブユ」というヒョウタンで作った入れ物に牛のミルクを入れて持ち歩き、それを主食にしていた。暑い所だが発酵乳になり保存可能で、牛の生き血を時々混ぜてのみ、鉄分とビタミンCをとっている。一日の食事として三~一〇リットルも飲む。ミルクを一〇リットル飲むと身体に入ってくる脂肪は一〇〇〇ミリグラム。アメリカ医学の常識では一日三〇〇ミリグラムの脂肪をとると、コレステロール値が上がり高脂血症となるが、一一年前のマサイ族に関しては全く問題ない値だった。塩をとっていないので脂肪を静脈に運ぶリンパ液が増えず、コレステロールの吸収が少なかったのかもしれない。ところが食生活の激変後の一九九八年調査においてはかなり数値が上がってきていた。

注3 塩分量に関して

今後の適正塩分摂取量の目標として、厚生省は一〇グラム、WHOは六グラムを挙げてている。

注4 コレステロールの不思議 フレンチパラドックス

フランスはコレステロール値が平均二三〇で非常に高いのに、心筋梗塞の死亡率は日本と同じくらい。スコットランド・アイルランドのコレステロールの値は、日本より少ししか高くないが、心筋梗塞の死亡率は大変高い。美食を誇るフランス人に病気が少なく、粗食気味のイギリス人に病気が多いのは神様の不公平という冗談もあるが、やはり理由がある。

フランス人の優良性は、ポリフェノールが豊富な赤ワイン、野菜食の量(日本人の一・五倍くらい)による抗酸化作用、内臓料理のミネラルに支えられている。

注5 理想的な日本食の欧米化

家森教授は、私たちが参考にすべき適切な食の欧米化のスタイルとして「沖縄からハワイに移住した人たちの食生活」を挙げている。魚と肉が一対一くらい、豆腐から植物性タンパク質をとる。これが長寿に有効なタンパク質の取り方。その上、減塩。なおかつ抗酸化作用の強い野菜・果物をとっている。

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