ようこそ医薬・バイオ室へ:食のコントロールの難関「塩」
一昨年の4月に塩の専売が廃止され、禁止されていた海水からの製塩も自由にできるようになって以来、スーパーの棚には様々な塩が並ぶようになった。フランスの有名な塩である「フレールドセル」も手軽に買えて、食通には欠かせないものになっている。
周知のように「敵に塩を送る」という言葉があるほど、昔から塩は生活の必需品であった。中国では二〇〇〇年も前に政府による塩の専売が始まり、ローマ時代には兵士の給与が塩(sal)で払われたことが、今日の給与(サラリー)の語源となっている。また、フランス革命が起こったのも不公平な塩税が原因の一つといわれている。
以前に、東北地方の日本海側で塩の摂取量が多く、同時に高血圧の人が多いことと、高い塩分摂取量のラットは心筋梗塞と脳卒中を起こしやすいことを紹介した。この因果関係について異議を唱える向きもあるが、一般に高い塩分摂取を続けていると、腎臓のナトリウムポンプの働きが悪くなって、血液中のナトリウム濃度が高くなる。すると、血液に水分を供給して塩分濃度を下げようと調節するので、血液量が増えて、血圧が上がるのは実に論理的である。
一般的にお吸い物などで一番おいしいと思う塩分濃度は〇・八%で、これは細胞体液の塩分濃度と同じ。無意識に体液の塩分濃度を維持しようとする現れかもしれない。
厚生省は塩分摂取量を一日当たり一〇グラムにするように勧めているが、塩分を控えるといっても、外食の多い現代人にはカロリーを制限するのと同じくらいに難しいことである。チャーシューメンには七・六グラム、スパゲティナポリタンには五・六グラムの塩分が含まれているので、まず外食を減らすことが塩分を減らす近道であろう。幸か不幸か、妻は関西人なので、家の食事は薄味のはずであるが、かく言う私の血圧も節操を反映して高めである。
織田信長が京の料理人を招いて料理を作らせたが、「まずい」と言って、その料理人に切腹を命じたことがあったらしい。料理人は何とかもう一度チャンスをもらい、同じ料理を作ったところ、今度はご満悦だったという。実はただ単に塩の量を増やしただけだった。日ごろ動かない公家たちには薄味で十分でも、山野を駆け回る武士は当然より多くの塩分を欲した結果である。
塩分を減らす料理の工夫を一つ紹介すると、例えばステーキを焼くときにいつ塩を振るだろうか。多くの人は焼く前に塩を振るであろうが、プロは両面に焦げ目を付けてから、最後の仕上げの段階で塩を振る。焼く前に塩を振ると二グラムの塩が必要になるが、仕上げの時だと〇・五グラムで十分味が出るという。さらに最初に塩を振ると肉汁が出てしまい味も失われることになる。
最後に塩に関する小ネタを一つ。料理屋の前によく塩が盛られている。「清めの塩」と思っている人が多いようだが、実は、中国の宮廷の逸話に端を発している。中国の皇帝ともなると、一人ひとりの側室に邸宅を構えさせ、夜な夜な牛車に乗って通っていた。側室といっても大奥のように何十人もいるので、当然足繁くなるところ、疎遠になるところ、悲喜こもごもで、寵愛が遠くなった側室が一計を案じたのである。つまり、皇帝を立ち寄らせるためには牛車の牛の足を止めればよいということで、屋敷の前に牛の大好物の塩を盛ったのである。当然、塩をなめ始めた牛はてこでも動かないので、仕方なく皇帝はその側室を訪れるようになったという。
この故事から、客の足を止める、客を招き入れるということで、店の前に盛り塩をするようになったのである。妻曰く、「ほんなら皇帝が馬に乗ってたら、いまごろ店の前にはニンジンがぶら下がってたん」
う~ん、確かにそうなっていたかもしれない。
(新エネルギー・産業技術総合開発機構 高橋清)