ヘルシー企業の顔:エム・シーシー食品・水垣宏三郎会長

1997.09.10 24号 16面

「健康はご先祖からのお授かりもの、経営は皆様からのお預かりもの」と語る水垣宏三郎エム・シーシー食品(株)会長は、明治41年3月8日、北海道夕張郡栗山町に生まれた。幼少の頃はいつ死んでもおかしくないほど病弱だったとか。その氏が、八九歳を迎えた今日、「食べて、食べて、食べまくりの生活ですわ」と血色良く答える。幼少の頃の身体の弱さから育まれた万物に対する信仰と、「私にはほとんど趣味はないです。食が職、そしてそれが趣味」と言い切るほどの食生活に、氏の健康、若さの秘密があるようだ。

水垣氏の一日は、寝起きのミルク二○○㏄から始まる。中国・海南島産の蜂の巣と花粉を混ぜた蜂蜜を加え、少し温め、噛みながら飲み干すのだ。洗面の後、屋内の運動場で、徒歩、懸垂、自転車、アレーなどで全身の柔軟体操を三○分ほど行う。

これが終わると、朝日を拝して「天の神の恵み地の神の力により、生きとし生けるものは互いに授け合い補い合って生かされている。人類もまた皮膚の色の差も権力や貧富の差もなく、互いに悦びも悲しみもともにわかち合う平和な世界でありますように。合掌」と天地皆恩の祈りを捧げる。続いて、氏が道場と語る部屋で正座し、四○~五○分にわたり南無妙法蓮華経の法鼓を打ち、神々、御仏、先祖、先輩、恩人、亡き人々の冥福を祈る。

その後ようやく朝食になる。パパイヤ、リンゴ、ブドウ、桃など季節の果実三種。ヨーグルト一○○~一五○㏄。人参、タマネギ、サラダ菜など季節の三色サラダボール。豆、ポテト、アスパラなどを添えたハムエッグ。バター、チーズ、ジャムなどを添えたトースト一枚。たっぷりのミルクティー。食後の甘いもの。とても八○代の朝食とは思えない、このメニューを十分時間をかけ、氏の言われるところの、食べて、食べて、食べまくる。

ランチは、本社に出勤している時は栄養士と相談の上で、社員食堂の日替わりの皿をメインにスープ類、卵、牛乳二○○㏄またはスティックチーズ、ヨーグルトなどの乳製品。ご飯や麺類はその時に合わせて。「どちらかといえばランチは軽く、試食のつもりで」と語られるが、これとて、同年輩の方と比べると並みではない。そして、ティータイムは、古くから習慣としているカフェ・オ・レと軽いクッキー。

一日の最後の食事、夕食は、「芦屋市内に住む息子や娘のところを訪れ、食べ歩く」とのことで、午後7時半頃から時によっては9時過ぎまで、食事とともに家族の会話を楽しむのが日課。好きなものは天ぷら、焼き物、鍋物、すき焼き、しゃぶしゃぶにお好み焼き、たこ焼きなどなど。夏でも鍋・すき焼き類は大歓迎とか。

これらに明石鮮魚の煮付け、鰯、豆腐、アゲ、納豆、ジャコ、昆布、ゴマなどの好物のいくつかが加わる。そして最後には必ず梅干しが一個つく。聞いているだに、食に携わって六十有余年という人ならではの健康的な食生活と感じる。

そして、一日の締めくくりは、再び三○分の祈りと、床に入ってからの拝みつつ行う腹筋などの軽い運動。

「私にはあまり趣味らしいものはありません。お酒も全然ダメですし、タバコも終戦後やめました。食が職。そしてそれが趣味かもしれません。食生活では、刺身など生ものはダメ。焼き魚や干物などの魚類、鍋、すき焼きなどでの肉類、そして毎日愛飲を続けている牛乳と乳製品類、これが私の健康を支えてくれているのではないかと思います」。幼少の頃から親しんできた牛乳・乳製品類については特に、その効果を絶賛してやまない。

一方、精神面での健康を支えてきたのが、やはり幼少の頃から身につけた祈りの生活。「私は子供の頃は全くの虚弱児童でした。しかし、故郷の栗山町の愛宕教会でいつともなく身につけた太鼓をたたいて祈り、拝む習慣が、私の虚弱体質を変えるとともに、私の母の天寿をも全うさせてくれました。当時の拝みと法鼓の縁が、今この年まで、延々と生かされている私の祈りと拝みの生活を支えてくれています」と氏は語る。さらに、「健康はご先祖からのお授かりもの。経営は皆様からのお預かりもの。お陰様で、歯は親知不が一本ないだけで、虫歯一本ありません」と感謝の気持を忘れない。

現在、会社の仕事の方は子息の水垣宏隆社長に任され、自身は会合や来訪者との懇談を主業務としている。休みともなれば、ゴルフで極力歩くことに努め、左足の関節の弱さを補う努力を続けている。

調理済み加工食品の最先端を歩み続けて半世紀を超えるその人生の中にあって、依然、情熱は衰えない。「私は早くから、牛乳は飲む時代から食べる時代へ、果実は食べる時代から飲む時代へ移る、と語ってきました。まさに今日、そうした時代を迎えています。こうした時代であるからこそ、私どもは調理缶詰や冷凍食品の新しい可能性により一層前向きにチャレンジしていくべきではないか」とも。このタフさにはただただ脱帽だ。

●プロフィル 明治41年3月8日生まれ。昭和5年小樽商高(現小樽商大)卒業。翌6年、京都府水産講習所に入学、缶詰製造を学ぶとともに、昭和10年には一年間をかけ世界一周の旅で世界の食を視察・研修し、後のエム・シーシー食品の礎を築く。昭和29年にエム・シーシー食品(株)を設立、社長に就任。その後、缶詰類はもとより冷凍食品・チルド食品など、主に業務用調理済加工食品の開発と市場育成に努め高い評価を得る。昭和62年に社長の座を子息の宏隆氏に譲り会長に就任、今日に至る。この間、(社)いわし食用化協会副会長などの要職を歴任、併せて勲五等双光旭日章、食品産業功労賞、戦後五○年食品産業貢献賞などを受賞。

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