ヘルシー企業の顔:兵庫県手延素麺協同組合・塩谷重喜理事長

1997.07.10 22号 16面

播州・龍野の緑深い地に真っ白な素麺がゆれる。人情を大切に、独自の商売道徳を貫きながらすでに半世紀もの時間を素麺に携わってきた。土地柄を表すかのように穏やかで、しかし強い口調で語るのは、素麺業界をリ-ドする兵庫県手延素麺協同組合理事長・塩谷重喜氏。今年春にオープンした「揖保の糸そうめんの里資料館」への思いも含めてお話を伺った。

素麺はね、息をする生き物なんです。寒い冬の気侯の中で作られて、倉庫で梅雨時の湿った空気を吸うて、熟成する。これでおいしさを増すんです。素麺を納める木箱も昔からもみの木に決まっとって、これやないと具合が悪い。他の木では木の臭いが付いてしまいますからね。

三〇歳の時から素麺を作って来ました。そのころ家業は父が飲料水工場をやっとりまして、ラムネやサイダーです。これは夏の仕事ですわ。さて、冬はどうしょうか、と考えまして、播州の地は素麺作りに適してるから素麺農家が多い。大変な仕事やけど、やってみるかと始めたんです。

いや、これがほんまに大変で、朝は3時、4時に起きてすぐ仕事を始める。冬やから寒いし、外での仕事が多いし怠けると味にすぐ出てきよる。始めた頃は要領が悪いから倍の時間がかかってしもて、夜遅うなってもまだ終わらんのです。

そうやって冬は素麺、夏はラムネとやっとりましたが、どうしてもどっちかに力が入る。私の場合は素麺に力が入って夏の仕事が遅れ気味になるんですわ。人情という言葉が生きとる時代やから、ラムネを待っとるお客さまが「早う持ってきいや、そやないと他から入れてしまうで」って言うてくるんです。「ちょっと待っといてや、すぐ行くさかいに」ってなもんで。今やったら欠品するなんてとんでもないですわなぁ。早い、安いだけの商売ではない時代やったからね。

父から商売道徳を教えてもらいました。何を見ても「おはようさん」ってあいさつせなあかんと。朝早い時間やからまだ暗い時分でしょう。こっちも起きたばっかりでぽーっとしとるから「おはようさん」って言うのはええけど、後でよう見たら電球やったっていう笑い話もありますわ。

素麺をやると言った時に家内はえらい反対しました。そやけど実際に始めたら文句の一つも言わんとほんまによう働いてくれました。

私はいろんなつきあいもありますから、その当時から出かけることが多かったんです。私が出かけてもちゃんと素麺作りは休まんとやってくれました。

家内とは二二歳の時に出会いました。そのころは兵役があって、軍需工場に行っとったんです。彼女も同じ工場にきて、帰りも同じ方向やから一緒に帰る。もちろん今の若い人たちみたいにべたべたなんて出来ませんからね。まぁ、歳の割にしっかりした子やなぁ、と思うとりましてね。その見立て通り間違いはありませんでした。

忙しい思いばかりさせて来ましたけど、孫の世話しながら穏やかな暮らしをしとる今が一番幸せなんじゃないかと思いますよ。

気になることがあるとすぐ目が覚めるんです。役員になってからは特にそうで、今日も会議のことが気になって夜中に資料を見てしまうんです。素麺をもっと売りたい。そうせな働いてくれとる従業員の生活にも係わるさかいに。 それに素麺をもっと食べてもらいたい、もっと知ってもらいたいと思い続けてます。播州の地に「そうめんの里資料館」をオープンしました。おかげさまで来館数も順調です。そこで働く従業員のイメージがそのまま資料館のイメージになりますから研修は大切だと考えます。よく反省会や慰安旅行というのが行われますが、私たちは夏のピークの前に慰安会を兼ねた研修会をやります。終わってからでは遅いんです。一度ついたイメージはなかなか崩せませんからね。

東京・銀座に素麺を食べてもらう店「庵」をアンテナショップとしてオープンさせました。うどん屋もそば屋もあるけれど、素麺屋はなかった。素麺も調味料でいくらでも食べ方があるんです。店を出すことでいろんな食べ方を知ってもらえる。パスタのような食べ方を我々ももっと研究していかなあかん。異業種との交流をもっと盛んにしたい。そして食べてもらって手延素麺の良さを理解してもらいたい。まだまだこれからですわ。

▽そうめんの里資料館問い合わせ先=0791・65・9000

●塩谷重喜氏さんのプロフィル

大正12年10月17日生まれ。兵庫県手延素麺協同組合理事長、全国乾麺協同組合連合会副会長、日本手延素麺協同組合連合会理事長、龍野商工会議所副会長。昭和28年から素麺作りに携わり、さらなる普及に努める。

購読プランはこちら

非会員の方はこちら

続きを読む

会員の方はこちら