シェフと60分 ホテル西洋銀座料理長・室井克義氏

1994.12.19 66号 9面

「日本に来たイタリア人に対して“どうだ!!”とぶつけるような料理をつくりたい」。しかし、日本においてはお客の主流はあくまでも日本人。「そこに日本人としての葛藤がある。かの地で修業したシェフは本来のイタリア料理の表現の仕方とずっと葛藤しているはず」。異国の料理を手がけた者の宿命である。

室井さんはイタリア北部・ピエモンテ地方の料理を提供する。自らに「イタリア料理を日本に普及させ任務」を課しているため、料理に多少アレンジを施しているが、もっと果敢になってイタリア料理の神髄にたどり着いて欲しいと現状に満足している客に多少不満がある。

その要因の一つでもあるが、イタリア人が評価するのが本当のイタリア料理のはずなのにマスコミが評価するというマスコミ主導の日本のグルメ人気に疑問を抱いている。

もう一つ危惧するのは急速に普及しようとするものには必ずニセモノや〇〇風と称するものが出回り、文化が根づかないということである。「イメージの延長上のイタリアでイメージをはっきりさせず、イメージを持つのはお客様の勝手という店が多い」。やたらに国旗を飾ったり×××のベニス風、△△△のフローレンス風というたぐいである。イタリアの名前を利用してこの機会に儲けようという族であるが、「それはイタリアに魅力がある証拠でしかたがない。ただ、基本ができていないと個性は出ない。基本なく行動するのは自分勝手。自分勝手と個性を履き違えないで欲しい」と厳しい。

たとえば、トラットリアと称して大盛り料理を数人で小皿に分けて食べるシステムがあるが、それは家庭の延長であり、イタリアにそういうレストランはない。最近流行している「カフェラテ」というコーヒーがあるが、イタリアでは「カフェラッテ」と呼んでいる。「イタめし」は言語道断である。「イタリア料理が広がろうという今こそ、正しいイタリアの食と文化を伝えて欲しい」。これはイタリア料理に携わる一シェフの痛切な願いである。

日本にイタリア料理は確実に定着する。なかでも、イタリアでは使わない食材を使ってイタリア風にしたてるノーバクチーナというジャンルが伸びている。「そこには作り手の感性が全面に出てくる。個性なのか勝手なのか真価が問われる。シェフにテクニックとメンタルの両面が要求される」。己の生き様を体で表す時代になったのである。

室井さんはメニュー名が方言の料理を置く。これはイタリア人との会話のきっかけになるもので、パフォーマンスとしてとても大切。「会話をすると北の人か南の人かがわかり、それぞれの地方の人の好む味付けをしてあげることができる」からであり、これが成功すると、この仕事をしていてよかったとつくづく思う。基礎があるからこそ成せる業である。

イタリア料理には庶民が生きるための料理と、そういう人達を使う裕福な人達の贅沢な料理の二極化、その両方をささえる宗教の発展の三つがうまく食文化を織りなし、季節も取り込みながら一年を区切ってきた。特に、万人の母である聖母マリアの崇拝は今のイタリアの基礎である。たとえば困った時には「マンマミーヤ」(私のお母さん)、もうどうしようもないという時は「マドンナ」(聖母マリア)と言う。家庭を仕切るのは「お母さん」であり、その居場所は台所。イタリア料理の基本は「台所」にある。

味付けに関しては戦さで保存食とされた「油漬け」「塩漬け」「酢漬け」「はちみつ(砂糖)漬け」がソースベースとなり、甘酸っぱい、甘じょっぱい、甘からいとなり、西洋料理の味の基礎ができあがってきた。

「その国の歴史や文化を知ると創造力もついてくる。少し前まではイタリアで何年過ごしたかが箔づけになったが、これからはそういう時代ではない。人間としてどう過ごしたかが本人のためになる。文化を吸収することが最も大事」という。

「若い人には経験からイタリアに向く人、向かない人は歴然としている。しかし、順応性、適応性が不向きを助ける場合もある。イタリアに行って必ず成功するとは限らない」とアドバイスする。自分には一年の猶予しかないと変に悲壮感を持って行くと、写真ばかり撮ってしまい、記憶に何も残らない。「物に頼らず、自分の心や体にいい時間を刻んだ人は日本に帰ってきて力を伸ばす」と日本におけるイタリア料理が永続するためにも若者の成長には期待を寄せる。

室井さんは東京を中心に約五〇人のイタリア料理シェフが集う「日本イタリア料理協会」の代表を務める。「来年3月からは景気が良くなるのではないかという展望がある。長期の不況で最低の苦しみを味わったので、少し深呼吸し、活動を見直し、密にしていこう、業界や社会に貢献していこうと計画している。その一つに、11月にイタリア北部のピエモンテの川がはんらん、膨大な被害を受けた。これに協会として、募金活動を行う。活動を通して世間に協会に存在をアピールしていきたい」と来年度の抱負を語る。

料理で哲学するシェフである。

昭和26年、東京生まれ。小学生の頃、給食当番の時に好きな子においしいところを盛りつけ、喜ぶ顔を見て「食べ物っていいな‐‐」と食についての関心が高まった。52年に初めてイタリアに渡った時に、初めてなのに見覚えのある景色、海岸に驚いた。日本に帰ってから、七歳の時にテアトル銀座で見て感動し、鮮明に覚えていたイタリア映画「ラ・ストラーダ」(道)の場所であったことがわかり、過去と現実が一緒になった複雑な体験をし、イタリアに強く引きつけられる。赤坂の「みその」を経て55~60年までイタリアで修業し、61年にホテル西洋銀座開業準備室に入社し、現在に至る。食を通してのコミュニケーションやボランティアなど幅広い活動をしている。趣味は釣り、合気道。

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