トップインタビュー 日本料理人一心会・金子将人会長

1995.11.20 89号 3面

‐‐金子一心会は天ぷら職人の紹介・斡旋では日本で最も伝統があり、今年10月に創立九〇周年パーティーを行ったばかりですが、先代から家業を継ぐことに迷いはありませんでしたか。

金子 学生時代から家業に入ると思っていました。すでに、私の長男は生まれて間もなく四代目として披露しており、現在まだ小学生ですが、周りも本人もそのつもりでいます。そういう意味では世襲制の強い業界です。

二代目会長の金子半之助は厳格で頑固でしたが、身分保障のない調理人という職業を束ねて調理士の地位向上に東奔西走した。調理人からの人望は大変なもので、義理・人情にとても厚かった。会員の一人から、二代目に会うときは「何も怒られることはしていないが、もう一度本当に失敗はなかったかわが身を振り返り、今日会長に話す言葉をもう一度玄関でそらんじて、そして深呼吸をして事務所に入った」と聞いたことがあります。二代目の時から会を支えてくれている役員さんがたくさんいらっしゃって、「厳格」という会の伝統は引き継がれています。半面、古き良き時代というんでしょうか、職人ならではの世界みたいなところもあり、私の小さいころは事務所に職人があふれていて、廊下も玄関もいっぱい。それで碁とか将棋なんかをやっている。要するに、仕事がなくて事務所に来て時間をつぶしているわけです。お金もないわけですから、格好の社交場だったわけです。二、三ヵ月、仕事なしでも平気。その陰で奥さんは着物を質に入れて魚かなんかに換えているという時代でした。

今のように「お金」「物」至上主義ではなく人情に厚く、情にもろいが腕には自信があるので、包丁一本で全国どこでも渡り歩けるという自信がある。その当時は紹介所にきて職人は仁義をきっていましたからね。そういう意味では人間味のある良い時代でした。

‐‐物心が付いたころから職人を見てきて職人気質に変化はありますか。

金子 良きにつけ悪しきにつけドライになりましたね。昔の職人は「飲む・打つ・買う」で宵越しの金は明日に残さないという気っぷのよさと情が売り物で、一般社会から少しはみ出た人が多かった。しかし、今はマイホームがあり守らなくてはいけない物はしっかり守る。家族がありながら自分勝手なことをする器の破天荒な人物はめっきり少なくなりました。

雇用関係が向上し、調理人の生活も安定してきてサラリーマン化してきたということでしょうか。仕事を選ぶ基準も内容もさることながら、休日のサイクル、給料などまずは条件から入ります。そして決まると一〇年、二〇年と長いです。昔は三年同じ所にいるとそろそろあがろうかという話が出たりしたものです。

‐‐良い職人の見分け方はありますか。

金子 誰々の紹介というとだいたい系統がわかる。どういう親方についてどういう店に何年いたかをみると力はすぐわかる。東京に日本料理の調理人紹介所は八〇からあり、全国というと当然もっとある。紹介所にもカラーがあり、紹介所からも力を推察することはできます。これができないのは職業安定所の紹介で来る人。それでも面接でだいたい推察できます。調理人は「礼に始まり、礼に終わる」が基本。良い人は話をしていても礼にかなっています。

また、最近天ぷら店もカウンター形式が多くなってきましたが、この場合は高級店になるほど、容姿も重要な要素になってきます。いずれにしても、老舗やホテルなど伝統があり、良いお客の付いているところになればなるほど腕と人物がかなっていないとダメです。

‐‐今、天ぷら職人はどのようなところからの需要が多いですか。

金子 戦前は浅草が江戸前天ぷら発祥の地として店舗が多かったです。戦後、高度成長時代の昭和40年代に入ってからはホテルで立食がはやり始め、天ぷら料理が増えました。浅草・屋台・庶民の味だった天ぷらがホテルに普及することによって高級感を高めました。今、四〇〇円台で食べられる天丼のファストフードがあると聞きますが、あれは庶民の味に戻ったということですね。今、こういう景気の時ですから、専門店が弱くなっており、バラエティーを出すために天ぷら職人が欲しいという声もあります。

‐‐一心会会員の最大のメリットは何ですか。

金子 一心会は伝統と実績がありますから、老舗、ホテルに多数派遣しています。職人にとっては飛び込みでは入れない一流の店に会の看板ではいることができますし、お店にとっては間違いのない腕・人物が保証されます。会としても財産は会員ですから、人材教育には調理コンテストなどをして力を注いでいます。

会員が独立することもたくさんあります。最初は資金がないですからパパママですが、そのうち、大きくしたいので人が欲しいと言われるときは格別にうれしいですね。

一心会は専業として国の労務供給事業の鑑札を受け、調理士紹介業を組織的に編成、会の結束、発展を図る目的で明治38年に金子氏の祖父留治郎氏が創立。日支事変、大東亜戦争が勃発して料理屋の閉鎖が相次ぐ。終戦直後、復員した元会員が二代目半之助氏を訪ねてきてその就職の世話をするようになり、一心会が再度動き出す。半之助氏はその功績から大臣賞を始め数々の賞を受賞している。将人氏は昭和57年、三五歳で三代目に就任する。戦前生まれの会員も多い縦社会の職人の世界を戦後生まれで舵取りする。「職人はとても研究熱心。特に不景気になって高級店からその影響が出たために、ホテルや老舗は食材を一〇〇%使いきる方法、新しいサービス・提供方法など、とても新鮮になっている。工夫が足りないのは中間層」と厳しい業界分析をする。

(文責・福島)

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