高齢化社会の波紋 介護問題を問う、変わるか在宅介護支援
現在六五歳以上の高齢者は全国で一六九〇万人(平成5年)。このうち施設介護を受けている高齢者は五三万人。在宅の要介護高齢者は八四万人といわれる(平成4年)。ひとくちに施設介護といってもサービス内容は様々だが、全国約二百数十カ所といわれる有料老人ホームでは、入居金一〇〇〇万円、介護費用は食費、おむつ代込で毎月三〇万円というのもめずらしくない。それだけに在宅ケアが大きな課題だ。
●変わるか、在宅介護支援
長寿化に伴い、一人暮らし高齢者は一九九万人、夫婦のみの高齢者は四六五万人と年々増加。24時間対応の在宅介護サービス(高齢者の自立支援体制)が必要となっている。在宅介護サービスの主流をなしているのはヘルパー(家政婦)派遣サービスだ。こちらは平均一日七~八〇〇〇円が相場だが、小・中学校でも週休二日制をひく今日、ヘルパーの勤務体系も然りである。
しかし、食事・排泄・緊急の発作など寝たきり老人の介護には土日も昼夜の区切りもない。『一日三時間』でなく『一時間ずつ三回』来てほしいと、お年寄りの痛切な声がある。
家族の厄介ものになりたくないと言いつつも、長年住み慣れた土地・家・家族の中で最期を迎えたいのがお年寄りの本音だ。余生にも選択の余地を与え、お年寄りの意思を尊重する介護が求められている。しかし高齢者の介護とは、病気の看病とも育児とも違う、いつまで続くかわからない、精神的にも肉体的にも日々継続の重労働で、同居家族の負担は増大の一途である。
また、年金生活者にとっては、近年支給額がUPしたとはいえ、先行き不安のためにほとんどを貯金に回し、日々の生活の分まで余裕を持てないのが現状だ。
◆新在宅加護サービスヘ
「最期を看取る介護」から「高齢者の生活を支える介護」へ。高齢者が必要な日・時間に、必要なサービスを継続的に無理なく行う、新在宅介護サービスの提唱が始まっている。
都内の某診療所では診療日・診療時間を定めていない。医師一人・看護婦九人で24時間年中無休の訪問医療を行っている。現在患者数約一五〇人。一~二週間に一度の定期応診と、緊急患者からの電話での呼び出しに応ずる体制だ。九人いる看護婦も単独での応診にフル出動するケースも多々、医師はほとんど無休で忙しい毎日をこなしている。もう一人二人医師を募集したいところだが、今のところその人件費は割けない。治療代は、通常の老人医療費一〇一〇円に応診料(車代)五〇〇円をプラスし、一人月額一五一○円。資格のないヘルパーの日給をつい思い出してしまうが、医師たちは、「保護医療費の範囲で、できる限りのことをしようとしているだけですので……。」と穏やかに語り、精力的な活動を続けている。
介護側の高齢化、核家族による人手不足・介護のための離職・貯蓄の不安など、日々の苦労と明日の心配の絶えぬ高齢者介護家族にとって、このような専門家による24時間バックアップ体制は何より心強い。しかし医師側が最新の医療技術と熱意をもってくだした最善の処置が、必ずしも患者のためになるとは限らない。その後のケアのために家族にかかる体力的・精神的負担が増してしまう為だ。また、医師の応診はカラテ。下痢には卵の黄味を胃もたれには大根料理をすすめる。老体には過多な薬投与よりこういった食のアドバイスの方が効を奏する場合も多いからだ。
高齢者訪問医療で大切なのは、患者の完治よりも、そのお年寄りが家族の中でうまく生活を続けることだ。
◆介護は人生の通過点
また、どこまでが治療の範囲かが見きわめにくく、患者の家庭事情・社会的問題をも引きずりかねないのも現状だ。応診の対象となる家庭では勿論ヘルパー派遣サービスも併用している。ところがその家で医師側とヘルパーが顔を合わせることは殆ど無い。
介護の効率を考えれば両者の連携が必須だが、家族にすれば両者からの時間差介護が望ましいのだ。医師は、常に個々の家庭事情とのバランスを考えながら治療活動を行っている。
現在、高齢者介護は「保健」「医療」「福祉」の三方向の制度にまたがる訳だが、三制度は縦割的なシステムが連携していない為、それぞれが限界を迎えてしまっている。この三者の歩みより・ネットワークづくりなど行政は体制改革に着手をはじめたばかりだ。
これまで日本の家族生活は「仕事」「家事」「育児」が柱を成してきた。高齢化・核家族化・女性就労という社会構造を抱えた21世紀では、さらにそこにプラス「高齢者介護」というアイテムが付け加わる。つまり「高齢者介護」とは家族に突然ふりかかった不幸ではなく、人生の通過点の一つという位置付けで捉えるべきであろう。行政のみならず、家族の在り方の意識改革も必要だ。
誰しもの願いである「死ぬまで愉快に生きる」、その地場づくりが急がれる。