だから素敵! あの人のヘルシートーク:登山家・岩崎元郎さん
若い世代のアウトドアブームから熟年世代の登山熱まで背中にしょって、いよいよ夏山シーズン到来。「今年は私も少し本格的な山歩きにチャレンジしたいな」と新しい計画を立てている方もいるのではないだろうか。今回の「ヘルシートーク」のお客さまは、現在放送中のNHK教育テレビ「中高年のための登山学」に講師として出演している無名山塾主宰・岩崎元郎氏。中高年登山周辺の状況や初心者へのアドバイスをうかがいに行ったところ、お話は氏の登山哲学に言及。どうやら安全登山学は健康満足人生学に深く関わっているようだ。
中高年層の山歩きが盛んになったといわれて久しいですが、これはひとえに健康志向のあらわれだと僕は思いますよ。その流れの中でここのところ、また大きな変化が起きているのを感じます。
働き盛り、壮年層の男性の参加率が非常に高くなったことです。
山登りの教室を開校して一五年。熟年向けのコースでは、一〇年前だったら生徒さんはほぼ一〇〇%女性でした。一〇人のパーティーを組んで男性は僕ひとりというのが普通だったんです(笑)。
ところが最近は、男女半々くらいのナチュラルな編成になる時もある。これは本当にいいことだと痛感していますね。
どうしてこれまで女性ばかりだったかというと、女性は大体五〇歳くらいで子育てを卒業される。二五歳くらいで子供を産んだとしたら、その子供がいま二五歳、早い人は若いおばあちゃんになっていますね。あとはもう、自分が楽しむための人生の自由時間です。
ところが、仕事を持つ男性軍はそうはいかない。定年は普通六〇歳だから、女性に対して自由時間を得るのが一〇年遅い。
これが数年前の構図だったんですが、バブルが崩壊して風向きが変わった。仕事一辺倒でない新男性熟年層が登場してきたんです。仕事を持つ現役のうちから、自分自身に投資する時間も大切にする。この頃では夫婦で仲良く参加する方々も多いですね。
“たかが山登り”なんだけれど、どうせ始めるのなら、山登りにすべて賭ける、自分の自由時間を全部山一筋につぎ込むくらいの気持ちで取り組んでほしい。僕が一〇代のクライマー候補生から山歩きの中高年層までにいつも言っている言葉です。
テニスもゴルフも、あれもこれも、でなくてね。お金だって時間だって際限があるし、受け身でやっていたらただやっているだけで終わってしまいます。何か一つのことを人生や生活の中心に置くことで、初めて自分のアイデンティティーとかライフスタイルとかが決まってくる。
「今度の週末にどこどこに登るんだから」とか、「次の夏山であの縦走に挑戦するために」と思えば、日常生活だって自ら自己管理が徹底されます。
登山は技術や体力だけでなく、ものすごく頭脳ワークも必要とする創造的なスポーツです。僕らのやっているような登山教室に参加する、あるいは地域の山登りグループに仲間入りするなどで信頼できるリーダーを見つけることは大切ですが、「私は連れていってもらっているだけ。考えたり判断したりはしなくていい」という考えで臨んでいたら登山の楽しみは半減してしまうと思う。
自分が先頭に立たなくとも「あのルートをあちら側からいくのだな」とか、「ここを越えれば○○山がこちら側に見えてくるはず」とか、自分の頭で考えながら歩いてほしい。
そのためには地図や資料を見ての予習も必要。身体も頭もフル回転させて主体的に行動しなければ始まらない。そんな登山を続けていったら、人生観だって変わってくるような気がしませんか。
中高年の登山というのはね、失敗が絶対に許されないんですよ。この場合の失敗とは命にかかわるレベルのことではなく、骨折やねんざなどのトラブルのことです。一度そういうことがあると本人も山に対する自信を失うし、周囲や家族も「危いからもうおしまいにしたら……」と心配する。これは絶対に聞きたくない言葉ですよね。だから絶対にケガなどしない配慮が必要なんです。
大概の失敗は油断から起こります。これは中高年の山歩きでも命を賭けた初登攀(はん)でも同じこと。周到な準備をして自分たちパーティーの体力に見合ったペースで一歩一歩、慎重に歩を重ねていく。決して無理はしない。何より集中力です。情熱を持ってこうした姿勢で登っていくので、中高年登山パーティーには案外、脱落者は出ないものなんです。少なくとも僕が同行しているメンバーはそうですね。それで、思いの外、難しいとされるコースも達成できたりする。苦労して達成感を味わう。いいですね。
すべての世代のこの夏に山を始める方へのアドバイスですか。そうですね、それではとっておきのポイントをひとつ紹介しましょう。
それは最初に揃える山道具をケチらないことです(笑)。何だか山道具屋さんの宣伝みたいだけどこれは本当のことですよ。まず一番大切なのが靴。それからちゃんとしたザックと雨具は揃えてほしいです。ガイドブックとか情報雑誌にはいい天候の時のことしか書いていないけれど、これはとんでもない誤解であって、とくに日本の山というのは三日に一回は雨が降ります。いくら夏山といってもその時、雨具の用意がなかったとしたら、身体の体温が奪われてしまいそれこそ命にかかわるトラブルが起きます。
初心者の方がこの三アイテムを買いに山道具屋さんに行くと、その値段の高さにもしかしたらビックリされるかもしれません。あと下着・靴下などの小物を合わせると大体一〇万円くらいの予算となります。だからといって急に街の運動具屋さんに購入先を変更して、三〇〇〇円のキャラバンシューズで間に合わせてしまう、雨具も街用の安いので代用する……これが事故のモトなんです。底の浅い靴はねんざを招くし、街用の雨具は山では機能しません。
高いお金を出して自分に投資する。自分の考えでしっかり用具戦略を立てる。このことは事故対策だけでなく、心理面にも大きな影響があります。「これだけしちゃったんだから、もう後にはひけないゾ」と。そんなところから“たかが山登り”がその人のアイデンティティーを築く第一歩になるのではないでしょうか。
●いわさきもとおさんのプロフィル
四五年東京生まれ。八一年春、ネパールヒマラヤ・ニルギス南峰登山隊に隊長として参加。このネパールでのカルチャーショックが原因で同年11月に登山学校プラス山好きのサロン「無名山塾」を設立。青年層から中高年まであらゆる世代の登山者育成に努めている。現在はNHK教育TV・中高年の登山学講師、日本山岳ガイド連盟総務担当理事も兼務。著書は「夏山入門とガイド」など多数。
岩崎さんにこれからアウトドア遊びや登山を始める人にお推めのテキストをうかがったところ、次の三点の名前が挙げられた。
まず一点めは岩崎さん自身の近著「中高年のための登山学Q&A」(NHK出版 一一〇〇円)。現在放送中のNHK教育テレビ「中高年のための登山学」テキストブックと合わせじっくり読みたい。
二点めが番組の共演者、シンガーソングライター・みなみらんぼう氏の「八ヶ岳キッチン」(フレーベル館、一五〇〇円)。おいしい野山に繰り出したくなる本だ。
最後が岩崎さんの主宰する無名山塾講師らが知恵と技術を結集し、アウトドア遊びのノウハウと楽しさを示したという「別冊宝島 はじめてのアウトドアの本」(宝島社、八五〇円)。歩くことと泊ることと道具選びがこれ一冊で大丈夫とのこと。
毎月1回の机上講習と低山を歩く実技講習をセットした各地「自然大学」も好評。埼玉大宮、東京吉祥寺・池袋、千葉柏、神奈川横浜の各校で8月1日から秋期10月生募集を開始する。03・3940・8447