センティナリアン訪問記 百歳人かく語りき:東京都・羽生瑞枝さん(103歳)
羽生さんは現役最長老の歌人だろう。100歳の時に詠んだ“此の国を頼むと渡す卒園書”は読売新聞・俳壇の正木ゆう子氏から年間賞に選ばれている。あらゆるものに感動し続ける心を大切に、NHKラジオの『ラジオ深夜便』にも時折り登場、たくさんの人々に元気を送り続けている。
羽生さんは江戸川にほど近い古刹・真福寺の長女として生まれた。父の勧めもあって東京府立女子師範学校で学んだ。1922(大正11)年、21歳で女子師範学校を卒業、地元の葛西小学校で教師の道に進んだ。そしてその学校でご主人と出会う。「学校には女の訓導(教師)は少なくてね、私は5人の求婚者がいた」と快活に笑う。
初めての 出会いひとなりし 葛西校 清き瞳を いまだ忘れず
羽生さんがご主人のことを思い出して詠んだ短歌だ。
40代の頃、寺の跡取りの弟と父を亡くした。そのため、羽生さんのご主人が住職を継いだ。敗戦による荒廃窮乏の中で家族と弟の遺族の養育に励んだ。そして終戦の6年後に仕事をもつ親たちからの要望を受けて、寺の境内に「みずえ保育園」を創設した。
1957年、小学校勤務時代に夢中になっていた短歌を本格的に始めることになり、アララギに入会した。何でも徹底して行う羽生さん、短歌帳と筆記具をいつも持ち歩いた。ぼんやりしていたら見過ごしてしまうようなささやかなことに感動し続けてきた達人だ。
羽生さん80歳の時にご主人が他界した。30年間やってきた保育園を二女の恭子さんに任せて引退。そして、今度は「自分の時間ができた」とばかりに江戸川区のくすの木カルチャーセンターとNHK学園(短歌・俳句)に入学した。
現在、歌誌「新アララギ」「冬潮」、句誌「響」「藍生」「炎環」、句会「ぼんたんの会」「葛西俳句の会」に所属、それぞれ毎号新作を発表し続けている。
長寿の秘訣はクヨクヨしないこと。食事は野菜、果物、魚が大好きで量は普通の人の七分目。空いている時間は小さな千羽鶴を折り続ける。原爆忌を忘れないためにも。悲しい戦争の体験をしたけれど、いつもにこやかで笑顔を絶やさない。