らいらっく人生学:人間は「mortal」な存在
高校生の時だったろうか、英語の語彙の中に、『mortal』の単語が独立してあることに、感動を覚えたことを記憶している。仏教が伝来してからというもの、われわれ日本人の心にはいつも『色即是空 空即是色』の般若心経が響いていて、「死すべきもの」という直裁的な死生観に対すると、何かギョッとする思いがある。『mortal』であるから、永遠の魂を保証する神にすがるのか、生きているうちだけでも輝いていようと考えるのか…。
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H氏は、その生き方に心意気と格好の良さが感じられ、小柄だが颯爽とした風韻を漂わせていた。商社の東南アジア駐在を経て、大阪支社の部長時代に縁があり、親しく付き合っていたので、個人的な部分についても知るところがあった。
クルマは、当時としては珍しいアメ車のムスタングであり、首回りと手首には太い金鎖がチャラチャラしていて、服装もサラリーマンらしからぬ明るい色彩だった。まかり間違えば、その筋の業界人ととられかねない危うさだが、地方都市の代を重ねた商家の出身だけに、それなりの品の良さと落ち着きがあって救われていたように思う。
そんなH氏が「実は、自殺したいんだが…」
と世間話をするような気軽さできりだし、筆者を驚かせたのは二年ほど前のことだった。聞けば、事業をしている友人に頼まれ、サラ金に一億円の保証をしたところ倒産。肩代わりの返済を迫られているのだという。
酒を飲むのも一流店、寂しがりやだから部下を連れて二軒、三軒とはしごをする。カナダに出張して日本と比較すれば格安の別荘地があると奨められ、前後の見境もなく買ってしまう。といった具合で、借金はあっても資産はない。ただ、生命保険に入っているから、死ねば退職金と併せてどうにかなる…。
「自己破産して故郷でのんびりくらしたらいいじゃないか」といってはみたが、彼の自尊心がそんな選択を許すはずもなく、三月ほどして、心臓マヒで急逝した。五二歳だった。
もともと、軽からぬ糖尿病であり、摂生に心掛けなければならないのに、夜半にウイスキーをボトル半分ほども空け、承知の上の“心臓マヒ”だった。家族はとっくに破綻しており、夫婦別居していたのを、娘の結婚を前によりを戻し、式が終わって間もなくの死だった。
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H氏の訃報に接して、大学時代に大雪山へ独りで登山、遭難死したS君を思い出していた。失恋の直後のことであり、友人の間では“自殺”が疑われていた。相手の女性は、物知り顔に「人の死は、みんな自殺なのよ。みんな緩慢に自殺するべく生きているのよ」と語った。
その時も、H氏の場合も『mortal』である人間存在を思った。共通するのは、『mortal』を強く意識した死ではなかったろうか。