だから素敵! あの人のヘルシートーク:映画監督・大林宣彦さん
大林宣彦監督といえば、ふるさとの広島・尾道を舞台にした作品など、独特の詩情あふれる「大林ワールド」で知られているが、そのファンタジーのモチーフは実は意外なところにあった。食べること、健康を維持すること、最新作を含めた仕事のこと。「聞いてみれば」というエピソード満載だ。
健康というのは自分で創るクリエイティブなものだと思います。人間はやはり食べて排泄することで生きているのだから、まず消化の良い物を食べるということが基本。それにはまず食べたい物を食べるということ。僕はそこにある物は何でも食べるしおいしいと思う。これでなきゃ嫌ってことはないですね。それは付き合いがいいってことかな、食べる物に対してね、何とでも付き合っちゃう。
その上に食べたことのある物よりは食べたことのない物を食べたい。人生というのは限りのあるものだから、せっかくの持ち時間を自分の好みだけで使ってしまうのはもったいないですよね。僕のなじみのレストランは、シェフが「きょうはこれがおいしいよ」ってね、二度と同じ物を食べさせてくれない。
さらに言えば、同じレシピでいつも同じ味を作るシェフというのを僕は信用しない。その日の体調とか動きとか季節とかで、同じ素材でも全く違う生命感を持っています。人間だって一人ひとり違うように同じキノコでも一本いっぽん違うのだから、同じ味は二度とないはず。そういう違いをむしろ楽しみたい。
口に合わない物ってないです。初めての物っていうのは口に合うか合わないかっていえばなじみがないに決まっているわけで、なじみがないところから始まって、食べている間に親友になるというのが嬉しいんです。
えっ、睡眠時間? これは少ない。僕は死んでから寝ようと思っているから(笑)。三時間くらい寝るとね、起きた時にしまった!損した! と思う。その三時間自分が寝ている間に、世の中にどんなことが起きてたかと思うと。それに立ち会わないで、ただ寝てたわけでしょ。
僕の場合は対話人間だから。一人でいるのと眠っているのはつまらないんですよ。一人でいると何も考えていないし、何もしていない。誰かと会ったり、何かを見たりしていると、自分の精神が動き出す。「我思うがゆえに我あり」は哲学者の言葉だけれど、僕のような表現者の場合は「我あなたがいるがゆえに我あり」なんです。あなたどうしてる?ってことから始まるわけで、寝ている時っていうのはあなたがいない。人生サボっているということです。
そんな生活でも健康な身体を保っていることは、親に感謝しなくちゃならない。食べ物でもね、好奇心に胃袋がついてきてくれて、お腹壊したことなんかないし。これは僕が自慢することじゃなくて、親が与えてくれたものだと思います。
僕が子供の頃を過ごした故郷の尾道という所は坂道が多くて、お寺やお墓が多くて。当時は大家族で暮らしていて、必ず一家のうちに死んでいく人がいたわけでね、生と死がいつも日常の中にあったんです。だから死というものがそんなに悲しい別れのものでなくて。一緒に暮らしていたおばあちゃんがある日突然眠ってしまう。あるいは夏休みが終わって学校に行ってみたら、隣の席に座っていた友だちがいなくなっている。そういう風なことが昔は随分あったんです。
死んでしまった人というのは確かに身体はなくなるけれど、何かいつもこの辺にいる感じがする。どんなに遠くにいてもその人のことを思っていれば近くにいる。
人間というのはそういうイマジネーションの才能があるんです。だから僕の映画の中では生きている人も死んでいる人もどちらも、僕が会いたい人が出てくる。
同じ物を食べないというのも、あまり眠りたくないというのも、とても健康体でありながらどこかでね、死というもの、自分の持ち時間というものをクールに捉えているところがあると思う。
できるだけね、他人の中に自分の思い出、それもいい思い出をたくさん持ってもらいたいとか。自分が死んでしまっても僕を憶えている人がたくさんいれば、その分生き続けているわけだから。
僕のファンタジーというのはただの夢じゃなくて現実なんです。切実です。欲張りなんです。とにかく得点法。
たとえば撮影の現場でね、晴れてくれるといいなと思った日に雨が降るとするでしょ。で、どう考えるか。「雨か、チクショー」なんていうのは貧しい才能だと思う。「よーし、天気はやめた。雨としっかり付き合おうじゃないか」と思わないときょうを生きられない。「じゃあ、この雨をどうやって撮ろうか。おっ、風も吹いたぞ、嵐も来たぞ。その中で俺は生きて映画撮っているんだ。これを捉えてやろう」って思えばどんなことだって面白いと思う。
自分が予想したり願ったりしたこととは全く違った出来事が起きるということは、自分の夢のスケールをはるかに超えるものがそこに現われたというわけでしょ。それはもう、新しい世界を知るいいチャンスのはず。それを思い通りにならないから挫折したとか裏切られたとか言っている限り、その人は幸福を創る才能がないのだと僕は思う。
11月の7日と10日、「東京国際映画祭」で「風の歌が聴きたい」という映画を特別上映しました。聴覚障害をもちながらもトライアスロンをやったりして、元気に素敵に生きている高島良宏・久美子さんという実在の御夫婦の話ですが、この主人公のモデルは素晴らしい幸福を創る才能を持った人なんです。
トライアスロンをやるような人たちだから自然が大好きで。 一緒に海を見ていた時にね、「大林さん、海の音はどんな風に聴こえます?」って聞かれました。で、「高島君にはどんな風に聴こえるの?」って問い返したら、「一度だけ観たオーケストラのような音じゃないかと思うんです」って言う。
「海がうねりをもってずーっと近付いてきて、ね、岩に当たってパーンと飛び散って、太陽の光に当たってきらきらと輝いて、また海に戻っていく。あの壮大な動きを見ていると、オーケストラの音楽ってきっとね、海の音のようなものだと思う」って。
それから「あの崖に一本草が生えていて、風にそよいでいます。あれはどんな風に聴こえるんですか?」と言うので、「いや、あんな小さな音は聴こえないよ」と答えたら、ビックリされた。「僕はね、バイオリン・ソロってあんな音じゃないかと思っていたんです」と。そんな風に言われるとこっちがショックを受ける。
いまの世の中、例えば僕たちは他者を心から排除して、自分に関係のない音はみんな雑音だと思っているけれど、彼らは耳が聴こえないからそこにあるものを全部見て、見たものを音として心に受け止めることができる。だから、雑音がない。どちらが幸福か、彼らの方がよっぽど幸福です。
そしてまたどうしたら豊かな時間を過ごせるか。それには好きな物半分に、嫌いな物半分を組み合わせるといい。話が会う人と半分付き合ったら、次は話の会わない人と半分付き合う。予定通りの世界はつまらない。退屈な時間、思い通りにならない時にこそ幸福を掴むヒントが見つかるんです。
●大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)さんプロフィル
1938年、広島県尾道市生まれ。成城大学中退後、CMディレクターとしてチャールズ・ブロンソンを起用した「マンダム」ほか1000本余りを製作後、76年、「HOUSE ハウス」で映画界へ。代表作はふるさと尾道を舞台にした「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」三部作など。