だから素敵! あの人のヘルシートーク:俳優・橋爪功さん
あのNHK連続テレビ小説『すずらん』が、この夏、映画館の大スクリーンによみがえることになった。一昨年秋に放送終了したテレビでは「ある吹雪の夜、明日萌の駅に置き去りにされた赤ん坊の萌が実母に再会できるのは三〇数年後」というストーリーだったが、映画では主たる構成はそのままながら「実は、萌は少女時代に一度だけ、母の顔を見ていた」という珠玉の秘話が盛り込まれる。深い愛情をたたえる育ての父、常盤次郎役で全国に感動の波を起こした主演、橋爪功さんに今回の見どころや最近の仕事の周辺を聞いた。
‐‐厳冬期の北海道での収録はいかがでしたか。
行く前は行きたくなかったんですよ。だってテレビの収録の12月の時だってあんなに寒かったのに2月、3月に一カ月なんて、冗談じゃないよって。ところが行って一週間たったらコロって変わって「やっぱり北海道は極寒の2月でしょう!」(笑)って。明日萌駅のモデルがある沼田という町は本当にしんしんとよく雪が降るんですよ。あまり風がなくてね、地形の関係らしいんですが不思議なところです。
食事を朝昼晩、地元の人が全部温かいものを用意してくれたのが本当にありがたかった。そんな厳しい環境でロケ弁だったらどうしようと内心思っていたんです。僕は一年中ロケ弁を食べていますが、ひと月も揚げ物ばかりの弁当では身体がおかしくなります。だからちょっとでも暇があるとちゃんとしたご飯が食べられる店に飛び込んだりしてみんな、自己防衛しているんですが、都合よくそんな店があるとも限らない。それが今回は、魚介や野菜がたっぷり入った汁や生野菜、果物が必ずついた地元の料理が毎回でしたから、だからメチャクチャ気にいっちゃった(笑)。
映画の『すずらん/少女萌の物語』はテレビと違って結構人物が動くんです。テレビの場合はチビ萌ちゃんが急にポーンと大人になったりするぐらいに激しく時代が動いたので時間が説明してくれたのだけれど、映画の方はほんのひと月ぐらいの話。その中で登場人物たち自身が動く。テレビでは淡々とじっとしていた次郎さんも、映画ではエモーショナルでその内面の動きが数倍激しい芝居となりました。「可愛い娘が実のお母さんと会うかもしれない」というドラマチックな設定なので、次郎さんとしても心を動かさざるを得ない。雪の大自然の中で、一生懸命生きている当時の人たちの激しさや哀しさが、いろんな形を借りてぶつかりあう。その辺が見どころでしょうか。
‐‐『すずらん』の淡々と優しく懐の深い常盤次郎役、ホームドラマの軽いコメディー役と大変広い役柄を演じられますが、私生活にもいま演じている役柄が影響しますか。
私生活に役柄を引きずるっていうことは全くないですね。スタジオを出た途端にもうその日のことは忘れてますから。ダメな役者なんですよ(笑)。セリフもその日、現場で覚えます。これはいまのテレビのリズム感のせいもあって、台本の出来上がりも直前、リハーサルもやらないとなると自分一人で勝手に作ってしまうと困る部分があるんです。映画の場合は早めに台本をいただくので黙読は何度もするけれども、声に出して稽古はしません。最終的には現場に行って動いてからでないと、入っていても出てこない。セリフが生きていかないんですね。
役柄の幅ねぇ、幅じゃないんだなぁ。もうちょっと迫力がある役者なら役柄も決まるんでしょうけど。ずっーと二枚目さんを続けられる方なんか、大変なエネルギーがいることと思います。そういう俳優さんにはいてもらわないと困るし、そのおかげで僕らが、横で、後ろで、揺れたりなんかできるわけですから(笑)。
飽きっぽいしね。欲張りなのかもしれない。シェークスピアの『夏の夜の夢』に出てくるボトムみたいに。森の中で芝居の稽古を始めて「この役はお前、この役は俺かな」って人に振るんだけれど、結局全部自分がやりたくなっちゃう。別の子が食べているお菓子の方がおいしそうにみえる、ちょっと食べさせてって言っている子供と同じだね。
‐‐いま、あるいはこれから演じたいのはどんな芝居ですか。
役者として一番醍醐味があるのは、観客の期待を裏切りながらも、なおかつ観客にある種のインパクトを与えるということでしょう。僕ら若い時、よく「意外性」って言葉使ってたけれど。みんなで随分苦労した。
昔に比べればおしなべてみんなうまくなったと思いますが、時々「どうしてこんなことするの?」って芝居をする若い人がいて愕然とすることがあります。例えば電話をこう取って静かに「もしもし」って出て、なんか話が切れて「もしもし! あっ!」と、そこで受話器を見て、やおら下ろす、これで観ている人も途中で電話が切れたことが分かるというの。昔から演るんだけれど、日常生活では絶対にやらないんだよね、普通。見たことない(笑)。そんなよく演る安易なやり方じゃなくって、それで「いる! こういう人、本当に!」って言ってもらえるような演技を、やはり追求していきたい。
以前から言われていることなんですが、どうも、私たちの芝居には人と人の対立の構図が際立ってないというか、筋運びの中で登場人物たちがなんとなく、うまく収まっていて極端な話、ある人間には相手の人間が理解できない、理解できないけれどしゃべり合っている、そういうおかしさというかな、不条理な関係が成り立ちにくい。標準語というのは「ああ、私も分かる」って世界だしね。対立の構造をうまく演出できないと全体におしなべて関係自体が薄いものになってしまう。出てくる人間がみんな、同じ土俵に立っているような気にさせられないかい?。でも実際には、日常生活には嫌いな奴の話は半分以上も聞いていない時とか本当はあるでしょう。なのにうまく表現できない。そのせいで演劇の本当の面白さ、大事な緊張感を、演るたびに逃しているような、忸怩(じくじ)たるものがある時もある。もったいないなとか、ちきしょうとか思いながら、まだ格闘しています。今回の映画では、その点なかなかうまくいっていますよ(笑)。
‐‐一〇年後、橋爪功さんはどんな役者さんになっているんでしょう。
六〇、七〇になって俳優として通用していたらいいですよね。あるいは若い俳優さんが僕と一緒に芝居を演りたいって言ってくれるだけでもいいじゃないかと。そうねぇ、それからその時になっても「ぶんなぐっても俺が演ってやろう」っていうくらいの役に巡り会えたら素敵だな。そういう意欲のある役者を続ける、つまりうまく歳をとるためには、やっぱり健康な身体が必要。でないと健康な精神が宿らない、気力がなくなる、創造力も枯渇する、となってしまう。
だから本当に役者って身体が資本だと思いますよ。亡くなったハナ肇さんがコントで言っていました。「昔は上手な役者さんを達者な役者さんといったけれど、いまは身体が丈夫な役者さんを達者な役者さんっていいますね」って(笑)。自分の身体に負けてしまったら演技のしようがない。やはり健康からでしょう。
◆プロフィル
1941年、大阪市生まれ。60年、都立青山高校卒業後、『文学座』へ。63年に芥川比呂志の劇団『雲』へ移り、75年に演劇集団『円』へ。独特の個性と演技力でテレビ・映画・舞台で幅広く活躍中。代表作は、テレビドラマ『青春家族』『冬の蛍』『京都迷宮案内』、映画『キッチン』『大安に仏滅』『お日柄もよくご愁傷さま』、舞台『し』『叔母との旅』など。