あした天気になあれ:心の下駄、天まで届け

2001.03.10 67号 5面

遊び疲れて帰り道、真っ赤な夕日を見ながら「あした天気になあれ」と下駄を空に蹴り上げて明日の天気を占ってみる。そんな光景がかすかに記憶に残る年代である。

遠足や運動会などの前日、もし下駄が裏返って着地して雨の卦が出ると、あわてて下駄をはき直し、「いまのはテスト」とか、「ちゃんと履いてから蹴らなかったから無効」とか勝手につぶやいて、表が上になるまで何度も繰り返したこともあった。占いというよりつまるところ、明日の楽しみが台無しにならないように一生懸命祈っていたのだろう。

そんな想いはいまでも変わらず、長期予報や、週間天気予報を丹念に収集して、その移り変わりを山行のスケジュールに照らし合わせては一喜一憂している。しかし、よほどの状態でなければ雨だからといって、スケジュールを変更や中止にするわけではない。

比較的安全な低山コースで雨を経験して、長期の山行や高山地帯での悪天に備えるという危機管理訓練になると思えば、悪天もまた良い機会だ。また雨や雪も悪いばかりではない。雨にけむる山並みは、高名な日本画家が描いた水墨画のような落ち着きを見せ、雪と風が協力して作り出す複雑な形の風紋など、自然が織りなす芸術に出会える。これも悪天ならではの楽しみだ。

それに、人間ってなかなかタフなもの。濡れはじめは気にしても、濡れきってしまえばさほど気にせず、靴や裾の汚れが嫌な泥んこ道も、一度滑って汚れた後は、かえって歩きやすいと、えいッとばかり水たまりの真ん中を歩いてしまう。要するにいまを憂うことなく、何でも楽しんでしまうというしたたかさが大切なのだとつくづく思うのである。そしてそれは山登りだけのことではない。

この二年、天候と健康についてこのコラムを書いてきた。おかげ様で生気象学の一端に接する機会に恵まれ、前線通過と心臓疾患や、湿気と関節痛との関係などいろいろと勉強もした。そこで改めて思ったのは、健康の維持のためには、寒いから、暑いからと悩むのではなく、だからどうしようと次のことを考えること。そして一番大切なのは、いつも元気でいようと思い念じることだ。

子供の頃、無邪気に晴れを信じて下駄を蹴り上げたように、明日の健康を願って心の中の下駄を思い切り天まで蹴り上げよう。

「あした元気になあれ」

(日本山岳ガイド連盟 認定ガイド 石井明彦)

*石井明彦氏の「あした天気になあれ」は今回が最終回。来月からは同氏の「あの山登ろ、この指とまれ」と題した健康山歩きとトレーニングの連載がスタートします。

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