長期糖尿病治療の恐ろしい副作用、老年期糖尿病対策の3つのポイント
人生八〇年の現在、老年期になってからの糖尿病療養のあり方が問われている。仮に五〇代で糖尿病に罹患したとすると、その後三〇年、毎日糖尿病と闘い続けることになるわけだが、高齢者医療の権威・大宮共立病院の板垣晃之副院長は、「壮年期と老年期では治療法は異なる」と指摘する。とくに高齢者の場合、誤った血糖コントロールにより、痴呆症状や昏睡状態を引き起こすケースも多いという。老年期の生理的特徴を具体例とともにみていこう。
●例(1) 無自覚低血糖に注意…糖尿病の治療で痴呆様の症状
元学者のAさん(78歳・男性)は65歳のときに糖尿病と診断され一三年間にわたりインスリン注射をしていた。
すぐに疲れて、よろけやすくなり、言葉がもつれ、ついにはベッドでの生活となり痴呆症といわれ入院した。血糖値は夜間に降下がみられ、午前0時には八五ミリグラム/デシリットル、午前7時には一〇九ミリグラム/デシリットルだった。全体的に血糖値は低下していたのである。
入院後からインスリン注射量を減らし血糖値を高めに維持したところ、本や新聞などを読む意欲が出て、字も正常に書けるようになり、約八ヵ月後に歩いて退院した。
「Aさんはインスリン注射の量が多すぎたために『慢性低血糖症』の状態となり、それを『痴呆症』と誤診されていたのです。忘れっぽいとかおかしな言動があるとなんでも痴呆と決めつけがちですが、それは薬の作用が強く現れたり他の病気が原因であることも少なくない。とくに高齢者は、肝臓や腎臓などの機能も低下しており食事量も少ないため、薬の作用が強く現れやすいのです。糖尿病の治療薬やインスリンの注射によって血糖が下がり過ぎて、脳細胞にブドウ糖の不足した状態が長く続くと、大脳皮質の機能が低下するため痴呆症状が起こります。脳細胞の唯一のエネルギー源はブドウ糖と酸素。これらが脳細胞に十分補給されていなければ、記憶する・話す・歩くなど、人間らしい行動ができなくなるのです。
もちろん安定した血糖値を保つ努力は必要だが、若い頃と同じつもりで血糖を下げ過ぎないこと、一回(一錠)で一日中効くような経口血糖降下剤(糖尿病の飲み薬)から短時間作用型の薬に切り替えるなど、高齢者の生理的特徴をふまえたきめ細やかな療法が必要です」と板垣副院長。
※勝手な自己判断で薬を減らしたり食事内容を変えたりすると、高血糖を引き起こし昏睡に陥る危険もあるので、必ず専門医に相談のこと。
●例(2) 心的ストレスに注意…血糖値の安定のカギを握る
Bさん(85歳・女性)は65歳の時に夫と死別。その後、同居している長男夫婦との関係が悪化し、家族と会話やあいさつもない状態となった。糖尿病治療ではインスリン注射を受けていたが、調理がおっくうでほとんど外食、好きな時、好きなだけ食べ酒も飲む自棄的食生活を続けていた。犬の散歩が唯一の楽しみだったが、ある日その愛犬が死んだ。以来、食欲が低下し、不眠・めまい・のどの渇きなどの症状を訴え、糖尿病性昏睡寸前の高血糖状態で入院した。
「初老期は『身体的にも精神的にも多くの物を喪失する年代』。老化現象による身体機能の低下や脳血管性障害などの病気、独居、社会からの疎遠、知人との死別など数知れない変化によるストレスは、体内のホルモンに強く影響します。血糖値の上昇、他の病気の悪化、死への不安を招くので情動面の安定は重要。これから定年を迎える団塊世代も、自分の心や身体をみつめ、自分なりのストレスの解消法をみつけておくことが大切です」。
●例(3) シックデイ、「非ケトン性糖尿病性昏睡」に注意
健康診断で「軽い糖尿病」といわれ食事療法をしていたCさん(75歳・男性)。
旅行中に体調を崩しすぐに帰宅した。発熱して、お粥などもほとんど食べられずサイダーやブドウ糖含有量が多い果汁などを食事代わりにしていた。三日後言葉がはっきりしなくなり、意識がもうろうとしてきたため、緊急入院。
入院したときの血糖値は八〇〇ミリグラム/デシリットル以上で、まもなく昏睡状態に陥った。インスリン治療と点滴で昏睡状態は改善したが、その後脳梗塞を起こした。
「たとえ糖尿病が軽い人でも、風邪や下痢・嘔吐などで食事がとれないシックデイ(病気のとき)には要注意。身体が脱水症状になると、血糖値が急激に上昇し、意識を失うことも。高齢者に多い『非ケトン性糖尿病性昏睡』は難治で命にも影響します。また脱水状態では血液が濃くなり脳梗塞の危険も高まります」。
◆糖尿病とは
糖尿病は糖分を体内でうまく利用できない状態をいう。車はガソリンがないと走れないのと同じで、人の細胞も臓器もエネルギーがなければ働けなくなる。糖尿病はさまざまな食物から取り込んだ糖分(ブドウ糖)を身体がうまく活用させられない状態なのだ。
ブドウ糖をエネルギー源にする役割をしているのが、すい臓から分泌されるホルモンのインスリンだ。糖尿病は大きく分けて1型糖尿病と2型糖尿病に分類される。
前者は、すい臓のインスリンを出す細胞(B細胞)が壊されて、インスリンを分泌することが不可能になってしまうタイプ。免疫の異常やウイルス感染などが原因といわれ、若年期からも発病し、インスリン注射が不可欠である。
後者は、すい臓から分泌されるインスリンの量が不足しているか、普通に分泌されているのにインスリンの血糖を下げる作用が弱まっているタイプ。発症は青年期以降に多い。いわゆる肥満・運動不足などの生活習慣によって発症する糖尿病で、食事や運動療法で改善が見られる。
◆食事療法のポイント
これまでみてきた通り、老年期の糖尿病治療には、長年続けてきた療法のマンネリと、高齢だからという思い込みを捨て、日々の変化に即した対応が求められる。それは食生活にもいえること。人に任せきりにせず、若いうちからできる限り自分で調理をしたり積極的に食の知識を広げておくことが後に役立つ。
糖尿病と診断されると『食品交換表』という冊子に基づいた食事療法を学ぶことになる。医師から指示された一日の総摂取カロリーを目安に献立を考え、食材を揃え、それを計量して、『交換表』を見ながらカロリー計算して…となかなか大変な作業が求められる。
「糖尿病で指導される食事療法は、慣れてしまえばさほど大変なものではありません。考え方によっては糖尿病の人は普通の人以上に規則的で健康的な生活を送るわけであり、長生きする人も多いのです」と板垣副院長。若い女性向けのダイエットマニュアルも実は糖尿病の食事療法をもとに作られたものが多いという。
「人生いろいろ。食べたいだけ食べ、それで死ぬなら本望だという人生観を強固に貫く人は稀ではありません。そう言いながらも、クオリティー・オブ・ライフ(QOL=生活の質)の良い状態を望む気持ちも捨てられないのが現実。ならば己を知り病気を知って気持ちよく毎日を送りましょう」。糖尿病は完治する病気ではなく一生つきあっていくもの。食事療法も始めから厳格にやろうなどと張り切りすぎず、まずはいま食べている食事の内容を点検し、バランスのよい食事とはどんなものかの感じをつかむくらいの軽い気持ちで始めるのが、長続きの秘訣かもしれない。
◆上手に利用しよう 「糖尿病食調製用組合わせ食品」
毎日三度の食事作りがどうしても負担に感じるとき、栄養的にバランス良く作られ、糖尿病の人でも安心して手軽に食べられることで利用が広がっているのが「糖尿病食調製用組合わせ食品」。
これは厚生省が認可する病者用食品(特別用途食品)の一つ。病者用食品には、このほか「低ナトリウム食品(減塩醤油など)」や「低カロリー食品(低カロリー甘味料など)」がある。「糖尿病」に関する食品はここ三年ほどで一八二種類と急激に増えている。
現在市販されているものはレトルトタイプ・冷凍食品で弁当タイプ・凍結乾燥で湯を注ぐタイプ・ゼリー状でパックになっているもの‐‐などがあり、いろいろな素材がセットになって一つのパックの中に納められている。価格は六〇〇~一〇〇〇円前後。
◆バランス良い食べ方のお手本『食品交換表』
糖尿病専門医が作った食事療法のためのテキスト『食品交換表』では、エネルギーを「キロカロリー」ではなく、「単位」で表す。一単位は八〇キロカロリーで、『食品交換表』には各食品の一単位分の重さが記載されている。
また『食品交換表』では、すべての食品が、主な栄養素ごとに「表1」から「表6」と「調味料」に分けられている。各表から医師に指示された分の食品を選んで使えば、栄養バランスの良い献立が立てられる。
同じ表内の食品なら栄養素も同じなので交換が可能。例えば、一食に「表1」の食品を三単位食べても良いと指示された場合、「朝食はご飯を一六五グラム(一単位五五グラム×三)、昼食は食パン六枚切一枚(二単位に相当)とジャガイモ一個(一単位)を食べよう」とアレンジできる。これが『食品交換表』の名の由来だ。