百歳さんこんにちは:鳥取県・小川輝子さん(102歳)

2015.03.01 236号 06面
穏やかで明るい性格

穏やかで明るい性格

 鳥取県倉吉市で暮らす小川輝子さんは、この4月に103歳を迎える。長年、助産師として働き、70代まで仕事一筋。いまは同市関金町(せきがねちょう)にある「関金インターケアハウス」で、家族の訪問を楽しみにしながら穏やかな生活を送っている。

 ●病気もせずいたって健康

 輝子さんは1912(明治45)年4月15日、鳥取県中央部の三朝町(みささちょう)で生まれた。「お医者さんが喉や胸を診てくれるけれど、病気らしい病気もなくてね。でも最近、目がボーッとしてよく見えなくなってきたのよ」と、しっかりとした口調で話す。「大きいお墓も建てたし、いつお迎えが来てもいいように戒名もあるんだけどね」との冗談も。ケアハウスの職員も「穏やかで明るい方。気づかいもしてくださるしっかり者です」と言う。

 ●自慢の兄は東京帝大卒

 勉強が好きだった輝子さんは、学校の先生になるのが夢だった。その夢はかなわなかったが、結婚後、名古屋で看護学校に通うことに。昼間に看護師・助産師の見習いをしながら、夜は勉学に励んだ。卒業後、看護師と助産師の国家試験に合格、助産師としてのキャリアをスタートさせた。

 兄弟もみな勉強好きだったようで、自慢の兄は東京帝国大学を卒業した。「90歳過ぎまで元気で、お祭りの時などによく訪ねてきてくれました」と息子の義郎さんは話す。当時はクラスで1人、優秀な生徒に「池田さんの扇子」が贈られたそうだが、「兄弟はみなもらっている。私も2本もらったのよ」と輝子さん。「池田さん」とは、江戸時代にこの地方の藩主だった池田氏のこと。その後も地の名家、池田家代々の当主が、功労のあった人に扇子を贈る習慣があったようだ。

 ●コーヒーとケーキが好物

 戦争をきっかけに、名古屋から夫の郷里である関金町(三朝町の隣町)へ。亡き夫は戦後、養蚕技師として働き、晩年は町議会議員も2期務めたほどの人物だ。

 輝子さんも子育てをしながら助産師の仕事を続けた。「夕方、連絡があると自転車オートバイに乗って出かけ、帰りは翌朝ということがしょっちゅうでした」と義郎さん。70歳過ぎまで助産師を続け、引退後は畑仕事に精を出した。

 「関金インターケアハウス」は、単身でも夫婦揃ってでも入居できるケアハウス。輝子さんは毎朝6時に起床し、普段は個室でテレビを見ながら過ごす。週3回のデイサービスを心待ちにしている。食事は介助なしで、好き嫌いなくきちんと食べる。甘い物が好きで、とりわけ「コーヒーとケーキが好き」。義郎さんが週に一度、差し入れてくれるおやつが何よりの楽しみだ。

 3人の孫と9人のひ孫に恵まれた輝子さん。ベッドの周りには家族との写真や、ひ孫たちからのプレゼントがいっぱい。「ひ孫は本当に可愛い」と嬉しそうに話してくれた。

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 あなたの周囲の元気な99歳(白寿)以上の方をぜひご紹介ください。

 百菜元気新聞編集部 TEL03・6679・0212

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