忘れられぬ味(72)ヤマサ醤油・濱口道雄社長「岩牡蠣の味」

味噌・醤油 連載 2001.10.08 8910号 2面

改めて振り返ってみると、それなりに今まで、四季折々に多岐にわたる食材、料理と出会い、味わう機会を得てきたものだと思う。

その中で、私にとっていくつかの思い出と重なり合いながら、季節を感じさせてくれる忘れ得ぬ味として、江戸時代初期より当社が醤油を醸造し続けてきた地、千葉県銚子で採れる岩牡蛎がある。

殻を割ったばかりの生牡蛎にレモンを搾って、厚みのある乳白色のむき身を、舌で冷たさを感じながら、海の香りごと口に運ぶ。ところが、その身が重量感に富んで、口いっぱいになるほどの大きさであり、また、夏が旬の味覚ということになると、ご存知ない方は驚かれるかも知れない。

醤油と漁業の町といわれる銚子は、沖合いでは暖流と寒流がぶつかり合う。この太平洋の荒波の潮間帯より少し深い岩礁にて、五年から八年の歳月をかけて育つ岩牡蛎は、磯牡蛎ともいわれている。殻が厚く、その表面は檜皮を葺いたようにゴツゴツとしており、海藻すらついている。その殻の大きさは二〇センチメートルにもおよび、大ぶりの皿を一個で占領し、その姿は威厳すら感じられるほどである。

真牡蛎と異なり、岩牡蛎はRのつく月が旬であるところから、夏牡蛎とも呼ばれている。殻つきのまま火にのせ、さっと火が通る程度にて、醤油を数滴掛けただけで味わう焼牡蛎は、生とはまた異なる芳醇な香味に醤油のえもいえぬ風味が絡み合いながら一体となり、シンプルなのに奥深い絶妙な味わいが得れる。

私は小学校四年まで銚子で育った。物心つくようになっても終戦直後のことで、旅行に連れていってもらえる時代ではない。五年生の時、東京の小学校に転校するまで、銚子から外へ出た記憶はあまり無い。その頃は、牡蛎といえばこの岩牡蛎しかなかったので、当然のことだが、当時はとりわけの感激は無かった。しかし、東京では上品な小ぶりの真牡蛎ばかりで、岩牡蛎におめにかかることは殆ど無い。無いものねだりみたいなもので、そうなると却って野生味あふれる岩牡蛎を懐かしく感じるようになる。

近頃は乱獲のせいなのか、昔と違って銚子でも岩牡蛎は、日々の食卓に供せられるものではなくなったようだ。

外海に突き出た銚子の海岸は、いつも太平洋の怒濤が押し寄せ、大波が岩にぶつかって大きな波しぶきをあげている。この荒々しい景色と大ぶりで磯の香りが強い岩牡蛎が好一対となっている。この地を訪れる人には、是非おすすめの一品である。

(ヤマサ醤油(株)取締役社長)

日本食糧新聞の第8910号(2001年10月8日付)の紙面

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