シェフと60分 東京ベイヒルトン日本レストラン「松風」料理長・朝倉 春雄氏
「うちはシティーホテルと違い形にとらわれていては駄目。お客に楽しんでもらい、なおかつこちらも売上げを伸ばすのです」と、あくまでもリゾートホテルに徹する。
そのため、ホテルでは珍しくアユをお客の前で焼くサービスもする。
また“板前さんは何を食べているの”‐‐よっぽどおいしいものを食べているのではないかと思うお客に応え、冬場は「板前さんのお惣菜」を定番化した。
土鍋にブリの頭、大根、牛肉のスジなどをとろけるように柔らかく煮て、ワゴンサービスでお客に出す。大阪の惣菜屋では三〇〇~四〇〇円の品だ。
これをサービスすると「板前さんはこんなおいしいものを食べている、こんな材料でもこんなにおいしくなるんだ」ということになる。この企画は受けた。
もちろん、このサービスは安く、しかも楽しんでもらったとして有料にしている。「今、新しい方法での出し方を考えています」。
料理の技術、器が新しいのではなく、懐石料理でのおきまりのお造り、焼きもの、八寸、煮物と七~八品出すのを四~五品に絞ろうというもの。
洋食は肉と魚で一万二〇〇〇円、和食は七~八品出しても一万二〇〇〇円。同じ値段で品数を多く出せば、一品当たりの原価は低くなり質も落ちる。
一方で、お客の中には品数の多い料理を楽しみにしている人もいる。この楽しみを奪ってはいけない。この相克から、実施に移してはいないが、こうした既成概念にとらわれない発想は、とどまるところを知らない。
「お前は板前なんだから板前の生き方をまっとうしろ」と義父からの一喝で、目からウロコが落ちる。
高級料理店「なだ万」では、コストを考えることなく最上級の食材を使い、腕を振るえた。ところが、意を決して飛び出していった先の「ふきぬけ」では、今まで使うこともなかった等級の低い食材を工夫して使わなくてはならない。
コストの問題、来る客層も違う。「最初は正直なところ戸惑いがありました」。
高級店のお客ばかりを相手では、どうしても天狗になり勝ち、「これが働く人の一番いけないこと」三〇〇〇円のお客でも一万円のお客でも、お客はお客。
「おいしいものを食べて、お代を払ってもらい、店が繁盛し、私も儲かる、これに尽きます」
義父の一言で得た教訓だ。
最近の日本料理は、客のニーズもあろうが着飾り過ぎ、いじり過ぎ、「板前の自己満足に過ぎないのではないか」と自問する。
今までの日本料理は、かしこまって食べるものという風潮が強かった。
もっと気楽に、安い価格で食べられれば日本料理への認識も変わり、客層の底辺も広がるだろう。
「われわれがこれから変えていかなければならないこと」‐‐そうすることで生き残り、切磋琢磨により技術も広がり、仕事も安定するというわけだ。
「今は料理人の質が落ちた」と嘆く。
昔は家業を継ぐためとか、料理が好きで入ってきたが、テレビなどの影響か、板前の世界が洗練されたものとして伝えられ、惹かれてこの道に入る者が多い。
こうした風潮に対し、今まで覚えてきたこと、生活したことを真っ白くし、先輩から何をいわれても素直に聞けるようにたたき直す。三~四年たち自分で判断できるようになれば、自分なりの感性でやるように仕向ける。
嘆きながらも、これからの日本料理の次代を担う後輩へと橋渡しをする。
醤油、味噌などの調味料は、全国それぞれの地域の味を持っている。
ディズニーランドに近いホテルだけに、全国からのお客を迎え、「味付けには苦労します。結局、いちばんオーソドックスなものに抑えていますが‐‐」。
この味付けも最初は手探りだった。それまで勤務した料亭では年齢が高く、塩分控えめ。都心のサラリーマンには、少し塩気を効かせるなど微妙に変えていた。
洗い場をのぞき、「ごみ箱の徹底チェック」が日課である。
お客がおいしそうに食べているのを見るより、残っているごみ箱をチェックし、何が残っているか、原因は何かを徹底追及する。
残り具合を見て味を変え作ってみる。まだ残っているようだったらさらに変える。
特定のお客に合わせたもの、また、自分が好きなものを出していたのでは採算に合わない。両者の隙間をうまくかいくぐって商売をやらなくてはいけない。
「そのためには、ゴミ箱チェックは欠かせない業務です」
文 上田喜子
カメラ 岡安秀一
昭和24年、東京生まれ。
高校生のころ、将来の進路決定を迫られたが、家具職人だった父親の背を見て育った少年は、ごく自然に職人の道を選ぶ。
来るべき車の時代を予測し自動車関係も考えたが、結局、アルバイト先で見た板前の世界には、手先の器用さと持ち前の勝気な性格がぴったりと確信、料理人の世界に入る。
銀座「治作」「なだ万本店」で板前の修業をするが、料亭はピラミッドの頂点のみを対象とした特殊な世界。外に出たのでは通用しないと判断して、思い切って飛び出す。
以後、「ふきぬけ」、銀座「弁慶」などを経て、現在に至る。
暇を見ては海、川、渓流……どこへでも釣りに行く。なぜか問題を抱えている時に出掛けると、不思議にヒラメキがあるという。
できることなら自分で釣った魚をメニューに乗せて提供したいが、不可能。可能な限り価格に見合った素材をおいしく食べてもらおうとあの手この手を模索する日々だ。