シェフと60分:キハチアンドエス副総料理長・鈴木真雄氏

1997.08.04 132号 3面

「オーソドックスなイタリアンが六に対し、キハチのノウハウを生かした遊びのイタリアンは四の割合がいい。そのうちの一割は、ドキッとするような衝撃あるものにしよう」

昨年11月、イタリアンレストラン「セラン」オープンを前に、テラスに座り黄金色に輝く銀杏並木を眺めながら考えに考え抜いての答えだ。

かねてからイタリアンは好きでよく食べに歩いていたが、「いまひとつうまさが伝わってこない歯がゆさを感じることしばしば」。

前菜を食べても印象に残らない、メーンを食べても焼きっぱなしでレモンをかけただけ。「まずくはないが、インパクトがない。食べ方もいつもワンパターン。イタリアンはこれでいいのかと疑問を抱いていた」。

当時、フレンチをベースにした無国籍料理を冠する「セラン」は、今後どう進むかの岐路に立たされていた。また、イタリアンがブームになればなるほど「物足りなさを感じる思い」は、熊谷シェフとも一致、思い切って「キハチ」のノウハウをぶつけたイタリアン「セラン」をオープンさせることになった。

遊びのメニューをどうするか。イタリアのイメージが湧くメニュー、イタリアの風を感じさせる雰囲気を出そうと、セコンドのパスタで思いきり遊んでみる。

白魚のパスタは好きなメニューだ。インゲン、ブロッコリーを付けてもいいが、ありふれている。豆苗を付け、仕上げにボッタルガをかけてはどうか。また、イカのパスタ、イカスミのパスタにトマトでは当たり前。ここに春菊を入れてみよう、色相い、香りとも良いし、「なんといっても、うちらしくて良い」。

春菊は、和食っぽい名前だが、出てくる皿に「どうイタリアを感じさせるかで遊んでみたい」。

三一歳でフランス料理「セラン」をまかされた。初めて人の上に立ち、自分の意志をどう伝え、どう店を回していくのか、本当においしいものをどう出していくのか「悩みに悩んだ」という。

おまけに、オープンして数ヵ月はまったくの閑古鳥が鳴く始末。原因は何か、価格帯なのか、雰囲気は、空調は適切か、窓に隙間があるのでは、などありとあらゆるチェックをする。朝食メニューもスタッフを差し置いて自ら作り、不眠不休の毎日だった。

ところが雪解けの3月の声を聞くと同時に、「いきなりお客が入り始めたのです。あの時頭が禿げるほどに悩んだのは何だったのか戸惑いました」と闊達に笑う。その表情には、料理人というより百戦錬磨の経営者としての片鱗がうかがわれた。

専門の調理師学校へ行ったわけではない。毎日、現場で盗んで覚える時代だった。

「ラ・マーレ・ド・茶屋」では、二週間に一回、メニュー替えと同時にポジション替えがあり、この日の出勤時には、名札を探す全員の目に緊張感がみなぎる。

まずメニューをもらったら直ぐにフランス語に訳し、単語などを手帳に書き込みポケットにしのばせ、不明な点があれば取り出し明らかにする、「これの繰り返しで覚えたのです」。

また、子牛を半頭買いしていたためさばく必要があったが、間違ったことをして文句をいわれたくないと、同僚が出勤する前に仕事をしておく。

野菜のテリーヌも割当てが一〇個の場合、それ以上に覚えたければ、同じように朝早く出勤して一仕事するのは当たり前。

「すべて同じ世代に負けたくないという対抗意識から」というが、なかなかに負けじ魂の強い性格と見受けた。

料理業界では、石の上にも三年、何年か我慢してレベルアップをはかりながら次の店に移るのが常だ。

「料理人を志す者、九九%が独立を夢見る。自分が将来何をしようとしているか、その目的のためには何を得なければならないかを見定めて動く必要がある」と説く。

「キハチ」は会社組織のため、しっかりした研修制度を確立、社内で修得させるシステムをとる。各人の力量が違うため、レベルに合わせて料理技術だけでなく店の経営ができるまで教えていく教育法だ。

「勇気、力不足を感じる者は残り、実力、野心を持つ者は巣立っていくのです」

かつて自らは、下積みから一挙にストーブ前のポジションを得ているが、それには休日ごとに実家に帰り、密かに実地訓練をするというたゆまぬ努力があってのこと。現在のようなシステム化された教育法がない時代、自らがステップアップする道を見出すしか方法はなかったのだ。

文   上田喜子

カメラ 岡安秀一

一九五六年、福島県郡山市生まれ。実家が割烹旅館だったため遊び相手は調理人か芸者さん。兄弟三人の真ん中だがなぜかいつも一人になり、寂しさから、ついに顔パスになるほど映画館に通い詰める。

将来は実家の仕事を継ぐことを考えYMCAの国際ホテル学校に学ぶが、実家の倒産にあい、人のすすめで料理人の道に入る。

六本木「マリクロード」で修業を重ね葉山の「ラ・マーレ・ド・茶屋」に入店、熊谷喜八氏に出会って後、一九八七年のKIHACHI設立から常にムッシュ熊谷の片腕として活躍する。

月四回の休日は、好きな読書や美術館めぐり、雑貨屋などをのぞいて過ごす。またドライブ、オートバイで山野に出掛け渓流釣りを楽しむなど、生活に動と静をバランスよく配分させている。今年は津軽三味線と真夏の海を満喫できるダイビングに挑むつもりだ。

購読プランはこちら

非会員の方はこちら

続きを読む

会員の方はこちら

関連ワード: カスミ