シェフと60分:旬菜とワイン「彩季」オーナシェフ・佐藤浩二氏

1998.02.02 145号 5面

いつのころから料理人の道を歩んだかは、定かではないという。多くの料理人がそうだったように、幼いころから料理に慣れ親しんでいた生活環境によるのかもしれない。

「いわゆる鍵っ子だったので、毎日二〇〇~三〇〇円を食費として与えられていました」

当時一〇歳。この年ごろでは近所の駄菓子屋で菓子を買うか、でき合いのおかずを買って来るかだろう。

「誰に教えられるわけでもなく、ごく自然に料理本をめくりながらおかずを作っていたんです」

肉を焼くのに油をひくなど知るよしもないから焦げ付かせたり、盛り付けから想像するミートローフに挑戦するなど、知らず知らずに創造の世界にはまりこむ。生来の料理好き人間の片鱗を、すでにこのころからみせている。

また、例え失敗しても、母親には何喰わぬ顔をしておいしかったと報告する負けん気の強さも合わせ持つ。こうして過ごした幼少期が、以後の料理人として幾多の難関を乗り越える精神的支柱を形成したのだろう。

三〇歳で独立する。東京・奥沢に「彩季」を出すが、それまでの期間、「自分が思い描いていたものとは違う」として七~八回、店を変わる。

一つの店で一通りのメニューが出た後、大きく変わることなく次の年も繰り返し同じメニューが出され、また、ヒラメやフォアグラも季節に関係なく通年メニューになっている。疑問を抱くが、ひと言「いわれたようにしろ」で片付けられる。

こうした現実に目をつむり、師と仰ぐ人も持たず、経験のためガムシャラに働いたのも、ひとえに自らが思い描いている店を持ちたいがためだった。まさに孤高の人である。

店とお客の関係は、「恋人同士と同じ。お互いの相性、フィーリングの世界です」

店の戸を開け入った瞬間、誰しもが感じる雰囲気。お互いの感じ方で、お客に料理はそれほどでもなかったが、また行ってみたいなと思わせることにもなる。

これは、お客が店を選ぶと同じように、店もお客を選ぶ関係にある。

「歓迎する客、嫌な客、ハッキリ態度に出します」

ある時、常連客が一人の客を連れてきた。この客は、料理が一品変わるごとに箸を替えろとか、醤油をくれとかいう。うるさい客だと思ったが、連れてきた人が謝り一件落着。

ところが、日も経たないある日の6時ごろ、かの客がほかの客を連れてやってきた。「もちろん、予約でいっぱいですと断りました」

それから数日後、再び現れたが、この時は実際に満席だったので断りたかったが、態度が今までのような傲慢さも見られず、また、気迫に押された感じでカウンター席の客とした。

出会いはぎくしゃくしたものだったが、以後、足繁く通ってくる客の一人になったという。

「うちはステーキはやりません」と言いきる。良い肉を使い、焼き方さえ守ればおいしく食べられる。これは専門店にまかせ、牛肉ではホホ肉とかタンなどを使い、ここならではの味を提供したいという。

「意外性のあるものを出し、喜んでもらえると嬉しい」

最近のヒット商品に白子にパン粉を付けて揚げたものがある。感触が嫌で絶対食べなかったという女性客に大好評だとか。

看板はフレンチだが、姉妹店のヌーベルシノワ「エピセ」と食材、調理法などの情報交換により、お互い切磋琢磨する。

旬と鮮度を大事にしたいから、できる限り自ら市場に出掛けるほどだが、基本的にフランス産直品、国産品へのこだわりはない。「合わせた調理法をすれば良いのです」。

ただ、魚介類は国産にかぎるという。値段は、三~四倍はするが鮮度が違い、また、国産でも産地により品質、味に差が出る。

「お客の良いもの、おいしいものへの要望が強く、高くても良いものを入れてしまいます」

「何に感激したかといえば、奥沢の常連客のほとんどが、ここ六本木の店にも来てくれることです」

それだけに常連客へのメニューには気を使う。おまかせメニューなので、その日の入荷状況と客の好みなどを照らし合わせて作っていく。そのため、日ごろから食べたもの、好みなどをできる限り書き留めておき、「今日は何が食べられるか」と期待に胸ふくらませてやってくる客に応えるようにする。

それでも失敗はある。たまたま鶏肉を食べない客に、突き出しとして鶏肉をだしてしまった。案の定、小さな声で鶏肉は駄目なんだといっているのが聞こえた。

次回、四人連れでの来店時、何喰わぬ顔をして意識的に三人に鶏肉、さる客には違ったものを出す演出をやってのける。

「わが身に置き換え、自分の好みを覚えてもらっているのは嬉しいもの」

こんな小さな気配りも、常連客にとり思わぬ感動を与えるものだ。

「ガムシャラになって働くのが一流の料理人という風潮があるが、決してそうではない。料理に関係ない趣味を持ち、気持ちをうまく切り替えることが逆にすばらしい料理を作っていくと思う」

現実はどうか。付き合いでお客と食べに歩いていても、店のことが気が気でない。こんな思いをするなら出掛けなかったほうが良いと思うほど理想と現実はかけ離れている。

一人でやっていた奥沢店の延長に今があり、席数が増えても「スタッフに教えながらやるんだったら、自分でやったほうが早いと思っているんです」

従業員を抱えるオーナーシェフとなり、初めて遭遇する関門。「これではいけない、仕事が遅くても徐々にステップアップするよう教育しなくては」。

新しい試練にどう立ち向かうかが、今後の展開の鍵を握っているように思われる。

文   上田喜子

カメラ 岡安秀一

一九六四年、神奈川県生まれ。一八歳で料理人を志し、三〇歳で自店「彩季」を持つまでさまざまな店で修業するが、基本的に料理は独学という。

地域に密着した奥沢店から、さらに多くの客に自らの料理を味わって欲しいと六本木に店を移す。また昨年は、ヌーベルシノワとワインの店「エピセ」を出店するなど、和・洋・中の素材を自由自在に駆使した「おいしい料理」作りに日夜励む。

今後、食のシーンをウエディングにまで入れ、思い出の場となるレストランの展開も構想中だ。

・所在地/東京都港区六本木七-八-二五永谷リュード六本木

・電 話/03・3401・4137

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