座談会・どんな野菜が欲しい こんな野菜が欲しい
出席者=
日本農林社社長・近藤宏
オテル・ドゥ・ミクニオーナーシェフ・三國清三
日本料理「紫水」調理長・長島博
植物工場普及振興会会長・赤木静
こんどう・ひろし=1946年、兵庫県生まれ。早稲田大学を卒業後、(株)日本農林社に入社。営業本部・海外部門・管理部門を経て1981年社長に就任。現在、(社)日本種苗協会理事と、野菜にかかわる人々の集まりである「野菜と文化のフォーラム」の世話役も務める。
みくに・きよみ=1954年、北海道生まれ。札幌グランドホテル、帝国ホテルで修業後、8年間フランスで修業、30歳で現在の店を開店。国内ばかりでなく海外でもミクニフェスティバルを開催、活動域は広い。
ながしま・ひろし=1946年、横浜市生まれ。浅草のウナギ屋を皮切りに数々の料亭、割烹で修業後、現職の築地本願寺内の冠婚葬祭用会館「紫水」調理長として勤務。伝統の精進料理に自らの創意工夫を加え「おいしい」長島流精進料理を打ち出している。
あかぎ・しずか=1940年、岡山県生まれ。静岡大学農学部卒業後、キユーピー(株)に入社。現在、植物開発センター所長のかたわら植物工場普及振興会会長として業界をとりまとめる。
昔食べたトマトの味、キュウリの味が懐かしいという声を聞く。全国どこへ行っても同じ顔、同じ味の野菜に出くわす。本来の味を持った野菜、その土地ならではの野菜はどこへ行ったのか。お客のニーズに敏感な料理人にとり、野菜は大いに関心あるところ。そこで使い手が本当に欲しい野菜は何か、また作り手はどんな野菜を作ろうとしているのか。お互いの胸の内を語ってもらうことにした。
三國 かつては栄養補給だった食べ物も今は健康によいものへと変化してきています。健康イコール野菜のイメージは強く、動物性タンパクや油脂はとらない。うちは極端に言えば野菜がメーン。メニューの六~七割が野菜で占められ、肉はボンボンと付いているだけ。だから野菜を食べた時、「これはうまい」と言っていただけるのを使いたい。そのため、お客さまが喜ぶもの、求めているものを手に入れようと努力し、手に入らなければ北海道でも沖縄でも自分で出掛け農家と直接交渉します。
料理人の才能は九九%技術より素材の目利きとこれを手に入れることにある。あとは料理の技を加えお客さまに出し、うまいとなればリピーターになる、それ以外のなにものでもない。流通がどうこうは関係ない、大手のホテルと違い一日一ケースあれば良いんですから。
流通と共同して有機や契約栽培
近藤 昔は市場が一方的に野菜のサイズや色などを決め、生産者はこれに従っていました。それが今では生産する人と流通させる人がリンクし、有機野菜などニーズに応えたものを漬物業者とか加工業者などに納入するようになってきました。
また最近は契約栽培も増えてきており、いろいろなニーズに応えたものが少量でもやっていける時代が来るかなという気がします。
さらに今まで野菜生産地は補助金をあてにしていたが、これをなくそうと若い生産者が損得抜きで頑張っています。この値段で買わなきゃ出さないよというところまでもってきており、未来は明るいとみています。
赤木 オブザーバーとして発言させてもらいますと、使う人と作る人がイコールになっていない(笑)。
三〇年前は八百屋がお客から欲しいものを聞き、取りに行っていた。今はスーパーになりお互いが見えずバラバラになっている。このへんをどうかしようとわれわれは「野菜と文化のフォーラム」という会を作り、安全でおいしい野菜を啓蒙しようとしていますが。
本当に欲しい物が手に入らない
長島 今市場に来ているものは大体がトラック便で運ばれ、もぎたてのフレッシュなものを手に入れるのは困難な時代。飽食だ、一億総グルメといわれた時、すべて規格品化された野菜が大量に流通し、われわれが本当に欲しいものが手に入らなくなりました。
例えば、冬ガンはもともと皮はかたいが塩と重曹で擦ると皮はむけたものです。今は包丁でむいた後、塩と重曹で擦ってもまだ固い。これは保存しやすいよう出荷する側の便宜で作られたものです。また、うちでは冬ガンの上にそぼろあんを掛けたり、芋の上にフォアグラをのせたり目先を変えたメニューを出しますが、長期滞在の客は筑前煮とか煮しめを所望します。こうした料理は素材の良さが要求されてきます。
また市場の八百屋にクレームをつけたくないが、本当の旬がなくなってきたことです。ウルイは5月末まであったのが今は全然ない。使ったら遅れているようで恥ずかしくなる。
三國シェフのように納得して出してらっしゃるのがうらやましい(笑)。
三國 店はお客さまあっての商売。私はオーナーですからどんな手段をとってでもやらざるを得ない。ここにいて良い材料が来ないからといってたんではお客さまは来なくなる。自分で行かざるを得ない。
私が思うのに、純粋に野菜を作っている人は偏屈で、納得できないからと出さない人が多い。また量も多く作れない、そういう人と交渉するんですよ。
長島 農家も良いものを作りたいが生活のため規格品も作らなくてはいけない。われわれは本当のおいしさを求めているのに、文明の便利さが生んだ不幸ですね。結局、消費者のためにできたシステムが逆に足かせになっている。今となっては構造的なこと、システムを変えることはできないでしょうが。
赤木 今、その反動といいましょうか、スーパーでも他店との差別化として契約農家との新しい流れをつくっています。私のところも良い原料でないと良い製品はできないという考えが基本にあるため、契約栽培を何十年とやってきました。こうした動きは少しずつ増えてくる傾向にあります。
農薬を使ったら日付まで教える
三國 今、健康と安全がいわれているが、たとえば安全といわれる有機の場合、何をもって安全といえるか作る者、売る者、買う者、だれも分からない。
近藤 以前は有機という箱の中に入れれば有機野菜で通った(笑)。実際、日本で流通する一六〇〇万tのうち一〇〇万tが有機野菜。残りの一五〇〇万tの半分の七〇〇万tが有機として必要とされているが、現実問題として不可能なこと(笑)。
ただ最近は、生産する人と流通する人が共同で栽培の情報をつけてものを動かすようになってきました。特に加工業者からの要求もあり、どういう栽培をしているか、農薬は使っても良いが出荷何日前に散布したのかなど。生産者のマインドはどんどん上がってきています。
長島 飽食の時代、大量生産、大量販売で農家の人はいじめられてきた。本当に安心できるものを知っているのは農家の人、今ここで本当のものを作ってもらえればと思います。
品種改良でニー ズをつかめるか
三國 最近は品種改良された目先の変わったものが出回っていますが、ニーズから外れていると思います。消費者が求めているのは単一のものでよいから安全で健康に良くおいしいもの。食べ飽きた時代はそれでよいのかもしれないが、今の食は貧しい、豊かさが足りない。みんな食にホッとするものを求めています。そうした時、品種改良ではないと(笑)。
赤木 種屋さんは種屋さんでこんな料理にはこんなものをと工夫を凝らして種を作ってきた。安全と健康だけではちょっと寂しい。
三國 それはちょっとずれている。私は変わったものは欲しくない。農家の人が愛情を込めて作ったものはわかります。品種改良は味をぼけさせ、本質から遠のけさせる(笑)、時代のニーズをとらえる意味では間違っていると思います。
安全・量産性+おいしい味交配
近藤 われわれの目的は確かに味もあるが、それ以上に安全に作れ、耐病するもので量産性あるものを基本においています。その中でおいしい味を交配させながら作っていく。その部分での接点はあると思います。
種屋はあまりにも品種改良し過ぎるといわれるかもしれませんが、これからは遺伝子組み換えも大きな問題です。多くの人口を養っていくには仕方のないことで、すでにアメリカ、インド、中国では研究が進んでいます。日本では厚生省のOKは出ているが気分的にはまだ――。
三國 消費者と料理人は少し違うかもしれないが、例えばキュウリの場合、締まってジューシーなものがあればわれわれ料理人は技術を持っており、これを駆使して何百、何千というレシピが作れる。本質的なピュアなものがあれば後は創造力で広げるのです。レシピの作れない者はバリエーションを欲しがる。一般消費者はそれで良いんでしょうが。
品質改良、遺伝子組み換えは避けて通れない道でしょうが、われわれに選択肢を残して欲しいですね。あまり変わったものを出したらお客さまも疲れてしまう(笑)。
一〇年前、フルーツトマトを持ってこられたが、これはうま過ぎる、何の手を加えなくても食べられ、レストランでは使えないと断りました。料理人は足りないものを足してあげるのであって、素材そのものを使ってそのまま出すのは素人芸。一〇回に一回は良いでしょうが。
ところで、フルーツトマトはどうなったんでしょうか。
近藤 お客のニーズはあったのですが値段的に合わず、結局一部だけに止まってしまいました。
渋み、えぐみのない野菜なんて
赤木 フルーツとして食べるんだったらほかにうまい果実はたくさんあります。ただトマトのうまさ、本質を追求すれば別のものになるといっているんですが。
三國 甘いトマトにマヨネーズではけんかします。マヨネーズが売れなくなりますものね(笑)。
赤木 一個三〇〇~四〇〇円のフルーツトマト。それより普通のトマトを一個でも多く食べて欲しいですね。
長島 トマトでないラインにいっていますね。われわれが求めているトマトは甘いトマトではなく、若干酸味のある子供のころ、水がわりにガブリとかぶりついたものです。甘いものイコールうまいものという錯覚に陥っている。
三國 イチゴはもともと果物ではなく野菜の一種だった。野菜に甘みは必要なんでしょうか。「アクも力なり」を信じ、渋み、えぐみを大事にしたい。甘みは抵抗を感じますね。
テレビの番組で、子供はサンマを食べないと味覚がなくなるという話があった。子供はサンマの内臓を食べて味覚が開花されるらしい。だから昔の人は子供に必ずサンマを食べさせたと。
赤木 スーパーさんがどんどん味を変えられた(笑)。すべての野菜がクセのないものになった。ピーマン臭さ、ニンジン臭さがなくなった。
三國 苦み、えぐみがなくなったらどうなるのか。甘みは一番幼稚な味覚といわれている。
長島 クセのないものが良いということになっていくのが怖い。味覚音痴になるのが。
食べ物ほど人間に感動を与えるものはない。満足感だけでなく生きるに必要な根源であること、これは本来、家庭で教えていかなくてはいけない。今の親は簡単に手に入るものがおいしいものと錯覚させている。
三國 かたいものを食べさせるのも人間形成には必要なことらしい。
長島 そういう意味では野菜も今は軟弱ものに品種改良なさっているのでは。
近藤 かたい方が輸送性はあるが、基本的に野菜のかたいものは嫌われる。ただこれから高齢化社会になれば、やわらかいものの必要性は求められると思いますが。
三國 私も含めて日本人のいけないのはすべてに合わせてしまうこと。お客さまが喜ぶものを作るのは前提になるが、喜ばれるからとすべて甘いものにしていったらどうなるのか。
私は一九歳から二八歳までフランスにいましたが、この一〇年間の生活を支えてくれていたのは日本人というアイデンティティーです。そういう意味で、野菜においてもこういうものだというものをしっかりつかみ、あとは次の世代に選択させていかないと日本の良さがなくなってしまう。
インターナショナルといわれるが、われわれがアメリカ化、フランス化するより逆に、日本人としての強いアイデンティティーを持つほうが彼らが認めることになるんですがね。
近藤 おっしゃるとおりです。野菜がそのアイデンティティーを持てる価値があるということを、今の若い人はわからない。ホウレンソウも小松菜も見分けられないのですから。
長島 種の選択はどうしているのですか。
近藤 われわれは消費者教育なんておこがましく考えていないが、どうやっておいしく食べてもらうかの情報発信です。あとは市場なりスーパーさんなり、そちらのカテゴリーでやってもらうしかない。
生産者としては作りやすく、病気に強いものが先にきます。ただそれだけでは問題があり、その中から比較的質の良いものを残していくしか貢献できない。
料理は真剣勝負選ぶ時は厳しく
長島 本質を追求したザ・タマネギとかザ・キュウリと広げていくことはできないのでしょうか。
近藤 一〇年間西武さんなどでやったのですが、どちらかといえば値段でチョイスされます。
三國 供給側は根底にはニーズに合わせる意識を持つ必要がありますね。
うちもミクニが作るから安心して食べられる、ミクニの所へ行けば間違いないという信頼関係を作る、これが大切です。だから私もお客さまを裏切りたくないから選ぶ時は慎重です。よく三國さんは怖いといわれるが、本当は厳しいだけです。料理は真剣勝負ですからね。
長島 そうした時、選択するものがあれば良いんですが。
赤木 今までは流通問題もからみ、この品種が良いとなると日本人の特性ですべてそれに傾く(笑)。
今ここにきて、流通段階でもそれじゃあいかんよという流れができはじめてきた。いろいろなものを差別化しながら良いものを出そうという雰囲気が出てきた。生産者も少しずつだがこうした意識が芽生えはじめており、今までの画一的な食材だったのが少しずつ変わってきている。
長島 話を戻すようですが、フルーツトマトという名称は否定しないのですが、果物なのか野菜なのか迷いますね。トマピーなどというおもしろい野菜も出てきていますし(笑)。
三國 どういう根拠でトマピーなんて出るのでしょう。私はああいうものを発想すること自体、後進的だと思いますよ。本質から離れている。
近藤 これも流通の側が話をのっけているからでしょう。
三國 かたいことを言いましたが、私のような料理人がいても良い、そういうものを好んで使う料理人がいても良い。本質追求といわゆる大衆志向、ニーズは常に二分化されるんですから、提供は両方すべきであって、選択をゆだねる。
ただ出しても不思議なくらい自然淘汰されます。残るものは理にかなっており、伸びないものは伸びない。
近藤 そうですね。伸びるものは作る方も良いし、流通も良いし、食べる方も良い。
売り手一つにも細やかな気遣い
長島 生産者側も近ごろ失われつつある旬の味を大切にし、こだわりをもって素材本来の味を味わうことのできる作物を作っていただきたいですね。農業がゆがめば食もまたゆがみますからね。
赤木 今ではスーパーでの売り方が変わってきています。寝かすとストレスでビタミンが失われるからと、野菜を立てて売るなど気を使うようになってきました。それだけ消費者も厳しくなったんでしょうね。
三國 そういう意味で厳しい消費者、厳しい料理人が増えなくてはいけない(笑)。
近藤 それが声にならなくてはいけない。
三國 今後も、こうした生産者と使用者が場を一つにして話し合う機会を設けていきたいですね。