シェフと60分:草の家赤坂店・木元三男料理長

1999.08.02 184号 12面

「全くの素人」として、厨房のスタートを切った。

「まずは包丁の練習から始めました。先輩に『これいいですか』って、野菜の破材なんかをかき集めては切っていました。まかないは厨房に入って二、三ヵ月くらいしてかな、料理長に『そろそろつくれ』って言われて。でも、これがまた困りました。だって、とにかく料理を知らないんですから。本屋さんにいって買いましたよ、主婦向けの料理本や基本の料理書を。でも今振り返ってもまかないは勉強になりました。酢をこのくらい入れるとすっぱいといった味加減や、組み立てがしっかり学べましたから。上になって新人にまかないをつくらせますが、まかないをうまくつくる子は、やはり上達していくのが早いですね。食べてうまい時は『この子はうまいものをつくるようになるんだな』と思いながら食べますよ」

二四歳で料理長になった。

「それまでの修業時代の方が楽でしたね。上に立ったらまず、全体を見て把握しなくちゃならないし、経験においても自信なんかなかったですから。年上の人に指示を出すことにも抵抗がありました。スタッフの手が休んでいればしかることもありますから、スタッフに信頼されるのは大変なプレッシャーです。信頼する側にいたほうがよかった、と思うことがあります。そのせいでしょうか、料理長になってからの方が積極的で、韓国へ行って本場の料理を食べて勉強したりしています」

料理とは無縁の子供時代に、きっかけを与えたのは兄の友人だった。

「その人は調理の専門学校に通っている人だったんですが、ある日うちに来て、ササッと食事をつくってくれたんですよ。かっこいいって思いました。それで、その時からなんとなく自分でも『料理』というものを意識するようになって、家でラーメンやチャーハンをつくっていました」

普通高校に進学するものの、どこか物足りなさを感じる。

「で、中退しちゃったんです、二年生の時に。それから兄のつてで『草の家』に入ったんです」

宮崎から上京したこともあり、とまどうことも多かったが、なかでも従業員のほとんどが韓国人や中国人だったのは一番の壁となった。

「一時は私以外は全員韓国人、ということがあって、言葉の壁には困りましたね。日本語で会話なんてしませんからね。でもおかげで自然と韓国語が理解できるようになったんですが……」

韓国料理そのものにもカルチャーショックを受けた。

「面接でユッケビビンバを出されたんです。びっくりしましたね。『なんだろうこの料理は』って。焼き肉以外の韓国料理なんてほとんど知らなかったですからね。ユッケビビンバを混ぜながら内心『これ食べるのか』って、半ば無理矢理食べたので、味はよくわかりませんでした。今でもユッケビビンバは得意じゃないというか、ユッケとビビンバは別で食べたい方ですね」

「それともう一つは、あの辛さです。正直言ってはじめは、辛さで味なんかわかりませんでした。その時は洗いものやホールをしていましたが、将来これを料理することを考えると不安でしたね。しばらくして、上の人を見ていると、味付けしてから辛さを調節しているのでホッとしましたけどね。それに辛さって慣れるものなんですよ。うちにアルバイトで入ってくる子たちも、はじめキムチなんて食べられないって言うんですが、何ヵ月かたつとバリバリ食べてますよ」

不況のため一万円の客単価が七、八〇〇〇円に落ち、ここ数年厳しい状況が続いている。固定客を逃さないのはもちろんだが、新しい客に足を向けてもらうことが課題となる。

「今、先着二〇人に八五〇〇円のコースを五五〇〇円でお出ししているんです。自分の財布で焼き肉店で食べるなら、五〇〇〇円くらいだろうと想定しています。ですから、輸入肉もうまく取り入れて、自分の予算にあった料理が組めるようにメニューの方も見直ししています。また、一ヵ月前からユッケ・レバー・牛刺しの三点盛りを始めました。少しずつ三種類のものが食べられるお客さんのメリットと、そのうち一品でも追加で注文が入れば、というこっちの希望が合わさったメニューだと思います。ほかに単品メニューも半分だけとか、三分の一の量でオーダーできるようにしています」

一品韓国料理に力を入れる。

「韓国料理って焼き肉だけではないですよね。今、そのことを改めて広めていきたいというのが店の目標であり、私の目標でもあります。ただ、残念なことに韓国料理ってすごく手間がかかるんですよ。例えばクジョルパンという料理。クレープみたいな皮に自分たちで好きな魚介や野菜を巻いて食べるんですが、小さめのクレープは三〇枚くらい焼かないといけないので、予約が必要です。もし予約なしのメニューにすると気軽にお客さんに食べてもらえますが、つくりおきということになって無駄もでます。でもやっぱりお客さんの要望にこたえたい気持ちも大きくあるので、試行錯誤の毎日です」

「焼き肉」「辛さ」それだけじゃない韓国料理を広げていくのは、全体に課題といえるかもしれない。

◆プロフィル

昭和40年宮崎県生まれ。宮崎県で高校に通っていたが中退し、料理の世界へ飛び込む。知り合いのつてを頼って上京し、「草の家」に入る。はじめはホールでスタート、しばらくして厨房に入る。入社して3年が経ったころ、高校を卒業したいという気持ちからアルバイト扱いにしてもらい、3年して卒業。卒業後、再び社員に戻り今に至る。

焼き肉以外のうける韓国料理をメニューに入れていきたいと考える。最近では、薬草を八種類使ったビビンバが内部でも評判がいいが、試作の段階だという。メニューに並ぶ日が楽しみだ。

文   石原尚美

カメラ 岡安秀一

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