料理の鬼人・私のスパルタ教育:「麻布長江」オーナーシェフ・長坂松夫さん
人はそれぞれ顔も考え方も違うのと同様、教え方も違ってくる。そのことを踏まえて長坂さんが新人に対してまず行うのは、何をしに、何のために料理人になったのかを確認することだという。
「料理人、特に新人にとって大切なことは『なぜ?』『どうして?』と思う気持ち。それがあるのかを、まず確かめる。私は新人を教育するというのではなく、自問し、自答できるレベルになるための援助をしているんだと思う」
新人はだれでも、人のまねからスタートする。まねをするには、当然、先輩の仕事を見なければならない。
「例えば包丁の研ぎ方一つをとってみても、先輩の示した手本を見て、『どうして?』と思う気持ちが大切。客観的に判断できるようにならなければね。それを繰り返しているうちに、『さらによくするには?』と自分で考えるようになるはずなんだ」
そのためには、とにかく見ることが大事であり、見ながら「見抜く能力」を養うのだという。
「学校の授業では、『予習、実践、復習』の繰り返しをしてきたでしょう。それを実社会の中で、できるかどうかだよね」
先輩に言われたことを頭の中で処理でき、実行に移す。すると自分の中で「なぜ?」が生まれてくる。その「なぜ」を自分なりに考え、調べることが復習になり、必ず次の実践の場で生かされるのだ。
あるいは、理論武装をするために本などで知識を得て、自分自身の知恵となれば、これも実践できるようになる。そして、また実践の中から物事を考える、という繰り返しが修業期間には常に行われるのだ。
今の状態よりも、さらに高めていくことを考え、その考えを行動に移させるという作業が長坂さんの新人教育の柱だ。
「一番だめなのは見ないこと。そして自分のやっていることは正しいと、高慢に料理を作り続けること。そういう子は結局伸びなくなる。もちろん、知識が介在せず、単なる与えられた作業としてこなすだけというのも問題外。どんな作業においても、考えることによって磨かれていくものだから」
新人の間には、「食べ歩きをさせる」のも大切と長坂さん。いろいろなものを食べなければ、「おいしい」という判断はできない。つまり、「おいしい」の基準を自分の中に作るのだ。
例えば芸術家ならば、ものを見て「きれいだ」と感じ、そして「なぜ?」と思う。同じように料理人も「なぜおいしい?」と考えられなければいけない。さまざまな料理を食べることにより、人間の持つ五感を磨くのだ。
「味覚だけではなく、例えば、プロの料理人は隣りにある鍋を見ていなくても、その揚がり具合を音の高さなど耳で判断する。それができるようになるには、五感をフルに使って、身体の持っている可能性を高めることが必要なんだよ」
新人は、朝早くから夜遅くまでと長時間働くことが多いので、時間給にすればとても低い。
しかし長坂さんは、そういった修業の期間は、自分に投資をしていると考えている。そして、投資をしたからには利益として回収しなければならないのだが、その回収する手段が、独立する、またはセコンド料理長クラス以上の腕前になることだそうだ。
また、長坂さんは、新人の一年目は三万円、二年目は三・五~四万円と計画的に貯金をさせている。貯金という習慣がなかった子でも、三年目からは自分で貯金する能力がついてくるという。
しかし、これは何も独立資金を貯めさせるためだけではない。同時に、積み重ねの大切さや、計画性を身につけさせるためでもある。特に計画性は、常に段取りを考えていなければならない料理の仕事において、必要なものなのだ。
「でも、せっかく積み立ててきた金を使ってしまう子もいるんだよ。一回目は注意をするけれど、二回目からは何も言わない。同じ過ちを繰り返す子は、結局は料理人として中途半端に終わってしまうし、責任のある立場には置けない可能性が高い。だから、たとえ独立できたとしても、麻布長江のグループとして協力してあげるということはないね」
謙虚さも必要
こういったことは素質だから、いくら注意してみても、わからない子はわからないまま、と長坂さん。今までに何十人もの新人と接してきたが、きちんとその計画を実行できた子は、ほんの十数人しかいないらしい。
料理人は、サービス、料理といった客に対するすべてのものに対して謙虚でなければならない。しかしそれは迎合するということではない。自分の主義主張、そして自信を持つことも必要だ。
客に喜んでもらうために、どこの店であっても自分らしさを持っていなければ、と長坂さん。
「『自分らしい料理』が料理人としてのその人の価値になるんだよ。それができるようになるためにも、修業している間は自分をいじめて、それに打ち勝たなくてはね」
◆プロフィル
昭和24年愛知県豊田市生まれ。香川県高松市で育つ。三三歳のときに故郷高松市に「中国菜館・長江」をオープンし、さらに姉妹店「シーサイドチャイナ長江」を開店。平成9年には東京・麻布に「麻布長江」をオープン。東京進出を果たす。
多忙な業務のかたわら、イタリアンやフレンチなど、ジャンルの異なるシェフら五人で結成した私的グループ「テイスト・オブ・ファイブ」のメンバーに名を連らね、あらゆる料理の研究に精を出す。
「いわゆる古典料理にはとらわれたくない。食材や調理法など、いいもの、新しいものを積極的に取り入れていきます」と語る。