痛快!脱サラ成功一直線(15)五十嵐義人さん 失敗にめげない不屈の精神

2002.09.02 259号 11面

「大学も、除籍なのですよ。僕の人生は、こんな頓挫(とんざ)の連続です。だから今度の閉店も、あまりこたえてはいませんヨ、ハッハッハッ……」

と、あっけらかんと言い放つのは、五十嵐義人(46)さんである。五十嵐さん(通称ガラさん)は、筆者の主宰する横浜「開業羅針塾」の塾生として、二年前に三ヵ月ほど学んだ脱サラ飲食開業志望者である。その後、東京・日本橋のビジネス街に飲食店を開業。季節の食材を使った、ベタープライス(少し高級路線)の和食店「九門」を開店したのである。

しかしビジネス街は、見た目以上に商売をやるには厳しい場所である。何しろ休みが多くて商売にならない。土・日・祭日は完全週休二日制、年末年始休み、ゴールデンウイークの一〇連休、長い夏休み、今ではワークシェアリング(雇用調整)のための一時帰休など、この街のビジネスマンはいつ働くのかと思えるほど休みが多い。

一方、植木等の時代と違い、彼らは気軽な稼業などではなくなっている。交際費全面禁止、リストラで賞与が大幅にカットされるなど、ビジネスマンの財布の中身もお寒い限り。ビジネス街は、経済の低迷と歩調を合わせたどん底マーケットになり下がった。

そんな現実を前にガラさんは奮闘した。しかし奮闘むなしく報われず、慙愧(ざんき)の念で閉店に至ったのである。しかし、ガラさんはそんなことでくじけるような人ではない。また新たな物件を射止め、今年の秋の開店を控え、今再起を目指し大いに燃えているのである。

大学を除籍になってから、銀座のコンパでバーテンダー、キャバレーチェーンの幹部ら飲食の世界に入ってきた。居酒屋「北の家族」の幹部マネジャーとして、若者たちに大受けだった「大学イモ」という安い大型居酒屋を立ち上げたこともあった。

この「イモ……」はめちゃくちゃ売れてもうかった。夕方5時の開店と同時に満席になり、朝5時までズーッと満席が続いたという。この「イモ……」は、筆者も十数年前訪問したことがあったが、まともなサラリーマンには二度と行きたくない店だった。

料理は一〇〇%冷凍食品。従業員は極端に少なく、接客サービスは皆無。酔って大騒ぎする若者たちの、まるで遊園地のような居酒屋だったからである。しかし、売上げはすごかった。月商六〇〇〇万円売ったこともあったという。

以後、日清食品の外食事業部に入社。日本経済がバブルを迎えようとしていた矢先である。入社後、「麺じゃ」といううどん店事業部のマネジャーとなった。食品メーカーが主導し、成功した飲食事業は今まで一つもないなか、ガラさんの豊富な飲食経験を麺じゃ事業に注ぎ込んだ。

麺じゃは一時三十数店舗に拡大、年商五〇億円超の急成長チェーンとして、マスコミにも大いに注目された。しかし、バブル崩壊に伴って外食事業は精算され、ガラさんは日清食品を離れることになる。

筆者の主宰する横浜「開業羅針塾」の塾生となったのは、ちょうどそんな時期、平成12年の秋であった。そこで三ヵ月間の開業コースを卒業し、平成12年の暮れに日本橋に一五坪のいきな和食店「九門」を開店したのである。

九門という変わった店名は、SF作家の夢枕獏氏の小説に出てくる主人公の名前からとった。“ちょっと粋な和食店”というハイクラスなコンセプトは、バブル崩壊後通用しなくなりつつあった。天然ブリや軍鶏(しゃも)という、高級食材を使った料理は値段も高い。九門の四〇〇〇円という客単価は、交際費のレベルだ。

しかし、交際費は全面カットの時代になりつつあった。閉店にいたる経緯は前文で書いたが、現在ビジネス街での商売は大変厳しいものとなっている。

さて再起の件だが、東京・渋谷の外れ、三軒茶屋との間に三宿(みしゅく)という国道二四六号線に面した高級住宅街がある。ここが今、おしゃれな街として先端的な飲食店経営者たちに、大きな注目を浴びている。

この三宿に、一五坪のイタリアンレストランがあり、ガラさんはこれを居抜で借りて、多少手直しし高級炉端焼き店としての開店を目指し、入念な準備に入っているという。さまざまな飲食事業経験をしてきたガラさん、今度こそは大きな花を、ここ三宿で見事に咲かせるに違いない。

((有)日本フードサービスブレイン代表取締役・高桑隆)

●閉店店舗

「九門」(東京都中央区日本橋)/業種・業態=和食居酒屋/客単価=四〇〇〇円/店舗内容=一五坪、内装・設備を入れて、初期投資一八〇〇万円

●再起を賭ける店舗

店舗名未定(東京都渋谷区三宿)/業種・業態=和風ダイニング/客単価=3500円/店舗内容=15坪、居抜なので初期投資は安くあげられた

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