痛快!脱サラ成功一直線(16)石川保さん 「パン工房・いしかわの石窯」
いよいよ、この連載も最終回となった。そこで、昨年脱サラをして、ぶどうの丘でパンを焼いている石川保さん(57)をご紹介したい。久々に、甲府のファミレスで会った石川さんは、以前より血色もよく元気そうだった。店が繁盛している証拠である。筆者は、電話で聞いた石窯で焼くパンの話を聞きたくて、わざわざ甲府まで出かけてきた。
石川さんは、子供のころからいつか独立して商売をすることが夢であった。それはそもそも、実家が商売をやっていたからである。しかし、東京で学生生活をおう歌していたころ、繊維業を営んでいた実家が、多角経営に失敗し倒産。それまで「長男だから跡をとるのが普通」と考えていた彼は、帰るところを失い途方にくれるのである。
しかし独立志向は変わらなかった。飲食業なら割合簡単に独立できるのではと考え、居酒屋の「天狗」、(株)テンアライドに入社。現場からたたき上げ本部の教育マネジャーまで勤めたが、二代目社長の気まぐれ経営についてゆけずに退社した。その後、コンサルタント事務所、人材派遣会社と渡り歩き、五年前甲府へ帰ってきたのである。
「五年前、甲府に帰ってきて入社したディスカウントストア(デイバイデイ、年商一五〇億円)は、当時大変な快進撃を続けていました。私は総務部長としてそれなりに頑張りましたが、無理な成長路線がたたって、デイバイデイは二年前あえなく倒産。その倒産の後始末や、新しい会社への転職などで疲れがたまり、しばらく休職して人生のやり直しを考えていた時、偶然高校時代の旧友に出会い、彼が独立のチャンスを与えてくれたのです」
その旧友とは河口湖畔や鎌倉、湯布院、岐阜の黒壁、小樽運河などに、きれいな石や低額の宝石類などを上手にアクセサリーに加工した商品を大量陳列して売るお店、「石ころ館」をチェーン展開している(株)タンザワの丹沢社長であった。
「今度、甲府の勝沼ぶどうの丘に、『ワイングラス館』という宝石とクリスタルガラスの大型店を開店するのだけれど、その横で石の窯で焼いたパンを作って売ってみないか」と勧められたのである。
話を聞いてみると、滋賀の観光名所「黒壁」に、そうした石窯でパンを焼く店があり、若い女性客で繁盛しているという。話を聞いて石川さんは、子供のころからの「いつか独立したい」という夢に火がついた。
「この話を丹沢社長から聞き、思わず二つ返事でOKしました!」
それから、石窯パンの店に修業に出向き、およそ二ヵ月間かけてパン焼き技術を習得したのであった。建物は(株)タンザワが建ててくれた。あとは自分で石窯や機材を買いそろえた。初期投資は、一二〇〇万円かかった。土地を担保に、国民金融公庫から借りることができた。
平成13年11月、いよいよ建物が完成した。ヨーロッパ片田舎のパン屋さんのような、素朴で地味な店である。店の横には、大きな石のパン焼き窯が併設され、ブドウの廃木が山のように積んである。石窯は、まきを使った窯である。ここはぶどうの丘、だから当然古くなったブドウの木がまきになる。ブドウの木で焼いたパンは、周りがカリカリで中がしっとりした、本当においしいパンである。
パンの種類は二種類。何も入っていないプレーンと、勝沼の山で採れた山ブドウを使った山ぶどうパンである。この山ぶどうパンが人気で、店の名物になっている。
火をつけ、まきをくべてから、窯の温度が徐々に上がりだす。二時間かけ窯の温度が二二〇度Cになるまで、じっと我慢しなければならない。そうして窯を十分温めなければ、本当においしいパンは焼けない。
作業は、朝4時過ぎから始まる。窯の温度があがるころ、夜が明けてくる。天気が良いと、鮮やかな朝焼けがぶどうの丘を照らし、店や窯が茜色(あかねいろ)に染まる。ひんやりとした山の空気が心地よい。
「サラリーマンなど、辞めてよかった。この朝のすがすがしい空気に浸っていると、嫌なことなど忘れてしまう。上司のご機嫌をとりながら暮らした、胃の痛くなるような会社勤めの日々は遠い過去のことだ。もういい、思い出すまい。私はこうして今、一人のパン焼き人になったのだから、過去のことは忘れてしまおう」
ブドウの木のまきをくべると、火の粉がパッとあがった。石窯の中から、香ばしいパンの焼けるにおいが漂いだしてきた。
さあ、もうすぐパンが焼きあがる。こうして、忙しい一日がまた始まるのである。
((有)日本フードサービスブレイン代表取締役・高桑隆)
◆「パン工房・いしかわの石窯」概要
「パン工房・いしかわの石窯」/面積=14.5坪/代表者=石川保(57)/所在地=山梨県東山梨郡勝沼町休息1708‐1/初期投資=約1200万円/年間売上高=約2000万円/従業員=妻の千恵美さん、アルバイト/取扱品目=石窯パン・プレーン(600円)、石窯パン・山ぶどう(800円)、飲食店カフェVINHO(ワイングラス館内にあるカフェで、この石窯パンを食べさせてくれる)
(おわり)