シェフと60分 赤坂・璃空 総料理長・周富徳氏 広東名菜・味の伝道師

1992.05.04 3号 5面

「旅が大好きで、休暇をみつけては国内だけでなく海外にも出かけるようにしている。日本にない素材を入れることと、料理人との交流を図るためだ。それから、香港から日本に腕のいいコックをスカウトするのも大事な仕事で、月に一回は香港に出かける」。

日本の中国料理でいま一番人気の高い広東料理、そのメッカの香港では“新派料理”が大きなトレンドになっているが、その“新派料理”を日本に伝えているのが周富徳氏。“味の伝導師”と称される所以だ。

「最新のメニューは伊勢エビのマヨネーズ和え。西洋料理からヒントを得た」という。周氏が腕をふるう東京・赤坂の『璃宮』の人気メニューになっている。

中国料理の巨匠の料理のルーツは意外にも「おふくろの味」。横浜の中華街に生まれた。周氏の両親は広東省順徳県出身の名料理人で、母親が作った家庭料理が広東料理との出会いだった。「僕の料理の基本は広東料理の長老から学んだもので、“伝統”を基礎にしているが、ルーツはおふくろの味だ」。周氏がいま傾注している家庭風広東料理は、氏のルーツに由来しているのかもしれない。「璃宮は僕の新しい料理の味と、子供の頃に食べていた家庭風の広東料理を提供している」という。

外食産業は不景気風をモロに受けて、高級店が不振をかこっているが、『璃宮』は盛況を極めている。同店の採算分岐点は、月商五〇〇〇万円だが、純益で七〇〇〇万円もあげている。ディナータイムは予約しないと席をとれない状態が続いている。周調理長の味とサービスを求めて遠方からの来店客が多い。「当店は赤坂周辺のホテルの宿泊客の利用が多い。北海道、九州から仕事で上京した際に寄ってくれる。ホテルにちゃんと中国料理店があるのに」だ。

周氏の料理へのこだわりは、単に味の追究だけにとどまらない。接客にも心をくだく。「調理場にこもっていられない。お客さんの顔を見て、満足してもらっているかどうか自分の目で確かめる。また、お客さんがオーダーに迷っているときに的確にアドバイスしてやる」。周氏の肩ひじを張らないおおらかで気さくな人柄が料理の味を一層引き立てているようだ。

周氏の魅力を映して「料金だけを指定して、メニューを僕に任せる“おまかせ料理”が多い」という。オーナーシェフ以上に接客に心を配っている。

「しかし、調理場に入れば真剣勝負の世界。力を入れて調理しているかどうか、出来上がった料理を見れば分かる。当店にはコックが一八人いるが、僕が調理場に入ると、空気がピンと張りつめる」。調理場の中に広東語と日本語が機関銃のタマのように飛び交い、さながら戦場のような緊張感がみなぎる。

国際派広東名菜の巨匠、これからどんなメニューを開発してくれるか、期待度ナンバーワンである。

文・富田 怜次

写真・新田みのる

1944年横浜中華街で生まれる。18歳から東京・新橋の「中国飯店」で10年間修業、その後、京王プラザホテルで副料理長に。1981年「聘珍楼」料理長に。1991年『璃宮』の取締役副社長・総調理長に。

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