シェフと60分 ホテルエドモント総調理長・中村勝宏氏 客が育てる料理人

1993.07.19 32号 8面

「まずい料理をまずい、と指摘してくれるお客さんを何人もっているか。その数が店の格を決めていく。私はプロだから、お客さんにおいしい料理を提供するのは当然と考えている。何故まずかったか追求していかなければ進歩しない。だから本音で料理を指摘してくれるお客さんをだいじにしている」。

客が料理人を育てる‐‐と心得ている。そんなだいじなお客さんの一人が元NHKの磯村尚徳さん。フランス修業時代からのつき合いが続いている。

一四年間のフランス生活を経て八四年にフランスから帰国してホテルエドモントに入社したが、テレもあって帰国したことを磯村さんに連絡しなかった。「ところが半年前に磯村夫妻が仲人となった婚礼がうちで行われて、磯村さんが料理を食べてびっくりし、“これは婚礼料理ではない。料理長は誰れだ”と騒ぎになった。そしてその披露宴が終わったあと、磯村さんが私に手紙を残していったのです。“何故、帰国したことを知らせてくれなかったのか”と。それ以来、磯村さんとのおつき合いも再び始まり。駐日フランス大使や多くのフランス人が来てくれるようになった」。

エドモントの婚礼料理はいま評判がうなぎ登りに増している。一般の結婚式場のお座なりの料理を嫌って、素材を厳選して、中村流フランス料理に仕上げる。「季節感を出すことをだいじにしている。そして素材の長所、短所を知り尽くした上で、最良の料理に仕上げることだ」。だからできるだけ旬の素材を集める。和・中華の食材もフランス料理に合うと思えば積極的に採用していく。食材納入業者泣かせでもある。

「八百屋を五軒使っているけれども、その八百屋に厳しい注文を出す。八百屋は注文された野菜を手当てするのに苦労して泣きごとをいっていた。しかし、今は逆に喜んでいる。エドモントに納入していることをセールストークに使うようになっているからだ」。

客が料理人を育て、料理人が食材納入業者を育てている。三位一体の関係を中村さんはエドモントで作りあげた。

フランスにカバン一つで修業に行き、日本人で始めて“一つ星”を得た名料理人が何故ホテルに入ったか。

「エドモントの経営理念を納得したから。つまり奉仕の精神を原点にし、本来のホテルのあり方を追求する経営者の姿勢に打たれた」。

「いま大きなホテルの宴会料理はシステム化されすぎて質が落ちている。三日前に仕込んだものを冷蔵庫や温蔵庫に入れておき、料理を出す直前に温め直すということをやっている。また、外食産業の工場に外注したりしている。これでは心のこもった良い料理は提供できない」と業界の現況を厳しく批判する。エドモントはシステム化した料理法をとらず、手間をかけている。だから宴会場はすべて中規模以下にしている。それでも料理人は一三八人もいる。一般の大型ホテルの料理人は八〇人ぐらいだ。

「経営者が私の考えをよく理解してくれて、信頼されている。ありがたいことだ」。料理人名利に尽きる、というべきだ。

1944年、北京に生まれ、二歳から郷里の鹿児島県阿久根市で高校まで過ごす。卒業後、「ホテル小涌園」と「横浜プリンスホテル」で修業し、七〇年に渡欧、チューリッヒの「ホテル・アスコット」で一年間働いた後、フランスに移り、帰国するまで一〇軒のレストランで腕を磨く、無名のレストラン「ル・ブールドネー」を「ミシュラン」の一つ星を与えられ、一躍名料理人と評価を高める。八四年に帰国、「ホテルエドモント」の取締役総調理長に。ことし4月に講談社から随筆「ポワルの微笑み」を刊行、ベストセラーに。

購読プランはこちら

非会員の方はこちら

続きを読む

会員の方はこちら