シェフと60分 相撲茶屋「寺尾」主人・福薗好政氏 基本はシンプル
ちゃんこ鍋がいま、ブームだ。中・高年のサラリーマンだけでなく、若い女性もちゃんこ鍋屋に足を運ぶ。相撲人気の高揚で相剰作用をもたらしているようだ。
「一般の人はちゃんこ鍋を何か特殊な鍋料理と思っているようですが、とくに変わっているわけではありません。相撲さんが作る料理をちゃんこと呼ぶわけで、カレーライスも相撲さんが作ればちゃんこ料理というわけです。ただ、実際に相撲部屋で作る鍋料理は激しい稽古の後で食べるので塩分を濃くしています。それで、当店では一般のお客さんが食べやすいよう塩分を抑えています」。
“井筒三兄弟”の長男、福薗好政さんが相撲茶屋「寺尾」を開店したのは平成3年9月、折からの相撲人気にも支えられて開店以来、ずっと盛況をきわめている。幕内現役で活躍している末弟の寺尾関のファンも多く来店する。「開店当初は寺尾ファンの女性客がたしかに多かったのです。しかし、マスコミの取材を受けるようになって知名度があがり、寺尾ファンだけでなく、サラリーマン、家族連れが多くなり、客層はバランスよくなりました。土、日曜日はほとんど家族連れのお客さんでいっぱいです」。長引く不況にもかかわらず、客足は伸びる一方で落ち込まない。
客席数は五〇で、昼間は12時~午後1時30分まで、夜は5時~10時までの営業で、とくに予約制はとっていないが、予約してくる客が多くなっている。繁盛している証拠だ。メニューは醤油、味噌、ポン酢の三種類の鍋がメーンで、箸休め程度に一品料理を数品揃えているだけだ。
「うちの鍋はよその店に比べてシンプルにしています。味噌味の場合には肉類は豚肉といわしのつみれだけで、それに野菜をつけています。醤油味の場合は鶏肉と鶏肉のミンチだけです」。一般にいまのちゃんこ鍋は鶏肉、魚介類などを何でも入れた寄せ鍋風にしているところが多いが、「寺尾」ではあえて時流に乗らないメニューにしている。“シンプル・イズ・ベスト”というわけだ。一品料理も七品ほどしかおいていない。開店当初は一品料理を品揃えしたが、「客の目当ては鍋」というわけで、七品程度に絞った。
店で出す鍋のほか百貨店のギフトとして要望があり、これを本格的に展開するかどうか検討している。「二年前に東京の京王百貨店から要望があって鍋セットを“寺尾”のブランドで販売したら好評をいただき今年も注目をいただきました。さらに東京と横浜の高島屋さんでも今年からギフトセットとして販売しています。昨年の歳暮ギフトとして12月中に一〇〇個販売しました。ほかの業者の方からも引合いが多く、年間を通してやるかどうかいま検討しているところです」。
たまたま百貨店の要望に応えて販売した鍋セットが予想以上に人気になったわけだが「本格的にやるとなると、新しい部署を作り、人材も育てなければならない」というわけで現在、その検討を重ねているところだ。
人材の育成、教育に関しては、これまで相撲社会に長くいただけにとまどうことが多い。相撲はタテ社会で、親方、先輩の言うことは絶対の力をもつ。外食ビジネスの社会は勝手が違う。「一日で辞めていく者がいる」という。「ちゃんこ料理屋の洗い場の仕事はきつい、と前もって従業員に説明しているのですが、それでも、もたなくて辞めてしまいます。いま幸い従業員、アルバイトの人材に恵まれて定着していますが、人を使うのはたいへんです。目下、従業員の教育については私自身が勉強中です」と謙虚だ。
開店以来、客層が若い女性からサラリーマン、ファミリーと広がり理想的な展開をみせており、順風満帆な経営を続けている。しかし、課題がないわけではない。夏場の対策だ。昨年6、7月は好調だったが、8月は一週間盆休みをとったこともあって売上げが落ち込んだ。「何か対策を考えなければいけない」と知恵を絞っているところだ。
着実に、店の基礎を固めることに専念している。「店を広げていくことを考えた時もありますが、まずこの店をしっかりと固めることがだいじだと今は思っています。ギフトセットが好評で鍋以外の料理も“寺尾”のブランドで作ってくれ、という要望もありますが、本業を固めなければいけません。もし、本業以外の仕事で失敗したら、本業の信用も失ってしまいますから」。経営者として、着実な考えを築きあげている。“正攻法”といえる。
文 冨田怜次
カメラ 岡安秀一
昭和34年、東京都墨田区に生まれる。父親で親方の井筒部屋に入門、“井筒三兄弟”と注目されたが、ケガに泣き平成2年1月に引退。その後知り合いのちゃんこ料理屋で修行、一年半後に墨田区石原に相撲茶屋「寺尾」を開店。両国国技館から歩いて約一〇分の立地。「もっと国技館の近くに出したかった」というが、本場所中は毎晩予約で満席になる。屋号は母親の旧性からとった。若い女性ばかりでなく広い層をファンに取り込んで“白星”を重ねている状態。