シェフと60分:クイーンアリス・オーナーシェフ・石鍋裕氏

1994.09.05 59号 9面

フランス社交界は一輪の花からでも、一つの器からでも会話を膨らませてくれる。「そこに遭遇した人は未知の国に誘われて、とてもいい食卓に案内されたことになる。食べ物が自分にフィットしているともっと盛り上がる」。このような体験ができる場所をたくさんつくってあげたいと思ったのがフランス料理レストラン「クイーンアリス」誕生のきっかけだ。

食事をとりまく環境をとても大事にする「いい気持、いい一時を過ごすことによって人間は新しく考えることができたり、気持の余裕ができたりする」「自分のレベルをもっと上に持っていってくれるのが食事であり、会話である。いい時間は胃袋だけでなく、ハートにも頭にも満足感を与えてくれる。居酒屋など、慣れた環境ではグチや悪口しか出てこない」。レストランにとって大事なのは料理の「おいしい、まずい」より前向きな会話をいかに膨らませてくれる環境であるかという。

もちろん「料理人が料理をおいしく作るのはあたりまえ」という自負がある。フランス料理を本格派でいくと日本人にとっては、「脂っぽい。もたれる」の条件が出てくる。世界の中の東洋、しかもはずれに位置する日本にスポットを当てると脂の使い方、コクの出し方、だしの使い方など、すべて独自で、従来と違う方法を取らなくてはいけない。その中で、料理のバランスが必要となってくる。

クイーンアリスでは前菜から魚、肉、デザートまでのコースで食材五〇品目の摂取をクリアする。これらを食べてくどくないような調理方法、組み合わせで、「素材をいじらずに表に出してあげ、食べ易く料理する」のが石鍋流フランス料理だ。

大勢に支持されるポイントは味覚ゾーンのクオリティの高いところに味を持っていくこと。

では、おいしいと高くても良いのか。そういうことではない。クイーンアリスはオープン以来一三年間、ランチコース三五〇〇円(税・サ別)、ディナーコース七五〇〇円(同)の価格を変えていない。

「料理長はどうやったら自分の欲しい物を本来の適正な値段で購入できるのか知っていなくてはいけない」という自論を実践している。

仕入れルートを多数持ち新たなルートも開発中だ。「商社に高いマージンを取られることに憤りを感じる」からだ。一流シェフが集う「クラブ・デ・トラント」でも共同仕入れを試みている。農家との契約栽培は農家への保障問題で暗礁に乗りあげている。一方、種を持ってきて栽培してもらい、売れる方法を検討したりコンテナで輸入した場合の食材の販売など、いろいろトライしている。「コンテナで輸入した場合、大量に消費を伸ばさなくてはいけない。たとえばフォアグラだったら、テリーヌだとあきる。どうやったら喜んでおいしくたくさんの人に食べてもらうことができるかメニュー開発する。オマールやフォアグラ、香草類は売れて成功している例」と特に輸入食材は現地の事情を知らないから高く買わされていると嘆く。

「料理人のほとんどは食材の現地事情・価格を知らない」これからの料理人は世界にも精通していなくてはいけないと、人材教育には力を入れる。その一つに六年働いて見込みのある者を一~二年間かの地の二つ星か三つ星レストランに修業に出すというのがある。先方のオーナーには「あなたにとって大事な存在になったらお金(給料)を与えてくれ。そうでなかったらナッシング」とお願いする。

「全く違う空気の中で人間はもろい。その中で強さを試すことと、どれだけ役に立てる人間になれるかが大事。フランス料理のエスプリもその中にいてこそ育くまれるもの‐‐」だが、なかなか希望に適う人材が少ないのが現実だ。

これからの夢を語り始めると、とめどなく続く。「“夢”は可能性はないけど、常に考えていると道が開ける。“こんにちは”の会話から昨年オープンしたクイーンアリス迎賓館の物件の話が生まれた。店内の装飾品も近所の人から安く譲り受けたものが多い」と“夢”の効用は数知れない。

夢には現実のストレスを楽しく消化しようという作用もある。石鍋さんの目下の夢は「海外に出ること、ここち良い自宅が集合したような小さなホテルを作ること」。中には「地方自治体からのがれて夢の楽園を作りたい」というような悲痛なものもある。

いくら「美しいゴミ処理、道端には花、美観を損なわない安全なレストラン」にと自己資金を投じて努力しても日本の行政は杓子定規に管理下にものをまとめようとし、「レストランには醜いワッペンや消火器を目立つ所に置くよう指導する」。まだまだ日本には「居酒屋」型飲食店が多く、新たな発想を促す「レストラン」が少ないのだと諦めることにしている。

石鍋さんの淡々とした語り口に「鉄人」の底力を見た。

文   福島 厚子

カメラ 小林  亨

48年横浜生まれ。63年料理人を志し、横浜、東京、広島などでコックとパテェシェの修業をする。71年渡仏。「マキシム」「ヴィヴァロア」「ムーラン・ド・ムージャン」「オーベルジェ・デュ・ペール・ビーズ」などで研修を積む。76年帰国。六本木「ピストロ・ロテューヌ」の料理長となる。82年西麻布に「クイーン・アリス」を開店。91年プランタン銀座7Fに「クイーン・アリス銀座店」を開店。93年西麻布の本店近くに「クイーン・アリス迎賓館」をオープンし、現在に至る。著書多数。

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