シェフと60分 「エスカール」須藤義廣 店長兼調理長
「フランスに二年間行って三星を食べ歩き、それまで蓄えた一〇〇〇万円を全部食べ、さらに五〇〇万円の借金も作りました」。フランスに行きたくて行きたくて、行ったらどこに行って何を食べるというメモをノートに取り溜め、三二歳でやっとその夢を果たしたというほどフランスに入れ込んでいる。
「メニューには何年のワインで味は最高と書いてあるが、それに合う料理の記述がなかったのが不思議」だったと、食よりワインの伝統を重んじるレストランを目の当たりにして、がぜんワインと料理の相性を自分の舌で探し当てることに情熱を燃やした。
もう一つ不思議だったのは、先輩達がロクなものを食べていなかったということ。日本人同士集まって日本料理を作って食べたり日本から明太子が送られたからと皆で食べたり。「日本に帰国するとどこそこで働いたということがステータスになっているが、そこでどんな過ごし方をしたかはあまり関心を向けない」。
須藤さんは「自分が食べて感じたことを自分なりに表現したい」とオリジナルにこだわる。「昼夜フランス料理を三日続けて食べると四六時中お腹いっぱいの状態になり、それ以上は食べられなくなる。だったら、どうしたら軽く、消化が良くなるかを考えてお客様に料理を出す」とフランス料理三昧の効用を話す。
おりしも本場フランスでも美食だけでなく“健康”にも関心が高まっている。伝統的な高級料理のオートキュイジーヌに対しバターやクリームに頼らずサッパりと素材の持ち味を生かしてヘルシーさを唱える新フランス料理のヌーベルキュイジーヌが台頭し、支持されている。美食の功罪を身を持って体験したことから、より身近に“健康”の必要性を感じている。
料理人のスタートは彼の渋谷・代官山のレストラン「小川軒」である。専門学校を卒業してすぐに小川軒三代目、小川忠貞氏に弟子入りする。当時は「殴る蹴るはあたりまえ」の時代。その代わり、従業員の食事及び休憩するスペースなどは整っており、職場環境は最高によかった。
ここで料理人としてのあるべき姿、基本的な心構えをたたき込まれた。ある時、従業員の食事を若い者が作り、少し焦がしてしまった。小川氏はテーブルごとひっくり返した。「料理人がこんなものを食べるんじゃない」ということである。他にも、掃除や外に出る時は着替えることなど料理人としての躾はことに厳しかった。その厳しさは一〇人の新人が一年後には三人しか残らないことからも想像がつく。しかし、名シェフを多数排出しており、須藤さんも「気がつくと、小川軒で自分が育てられたようなことを若い者に指導している」とシェフの王道をゆく小川流で現場を治めている。
「フランス料理にかぶれてはいけない」ともいう。
数年前、七〇歳を過ぎた母が息子がどういう店で、どういう料理を作ってどんな人に食べてもらっているか見てみたいというので、公休を利用して店に同伴した。ひと通り食べ終わり、最後にコーヒーと紅茶のどちらが良いかとたずねたら「お茶がいい」との返事。お茶を飲んだら「ああ、ほっとした」と一言もらした。
この言葉に「自分の作っているフランス料理はこんなものなんだろうな‐‐」と一杯のお茶の偉大さを前に、日本人を相手にするフランス料理のあり方を再認識する。以来、年輩のお客にはコーヒーの後にお茶もサービスする。それはフランス料理にあるまじき行為とする人もいるが、「あくまでレストランはサービス業。サービスの方法がたまたまフランス料理であるだけで、日本人のお客が満足してくれるのであれば心配りの部分のサービスは必要」と無理強いするサービスではなく、お客の求めるサービスを第一に考えている。
また、「どうしても日本人とフランス人の感性は一緒になりえない」ともいう。修業中フランス人のシェフに試作料理を出すと「アラ・ジャポネーズ」だといわれた。「基本に忠実に、食材も全部フランスなのに」と思った。セルフィーユを少し料理の上にのせると盆栽となる。フランスに「カスクート」というバケットにパティをはさんだサンドイッチがある。フランスではこれが本場のサンドイッチなのだとおいしく食べた。しかし、日本で食べたら、やたらと噛みちぎれずのどが乾きおいしくない。フランス人は肉食であごの力が発達しているが、草食の日本人には不向き。食べ易く薄くしたり、スープを付けるなどの工夫が必要になってくる。
習慣、文化の違いから、必然的に感性も違っており、いくら日本人がグルメで世界の食べ物を食しているとしても「何でもフランスのコピー」ではお客の満足は得られない。
四〇代を迎えるにあたり、皆がそうであるように須藤さんも「サラリーマンか職人か」で揺れている。売上げ第一の企業化したレストランでは料理の追求はむずかしい。しかし、生活もある。いずれにしても「料理ができることが一番の自信」であり、答えは五〇代までじっくり考える。今は一年前にオープンした「エスカール」を立ちあげることに全力をあげている。
この一年で九五キログラムの体重が八〇キログラムに減った。
文・カメラ 福島厚子
須藤義廣(すどう・よしひろ)氏=昭和30年生まれ、千葉県出身。調理師学校を卒業後小川軒に入社。その後「ヴァンセーヌ」「ヴィスコンティ」「カサドール」を経て三二歳で渡仏。二年で帰国し、東京魚国(株)に入社。現在は同社のレストラン立ちあげに奮闘する。同社に入り、産業給食と営業給食のギャップが狭まりつつあることを感じ、同店の成功がその一助になることを期待している。