DATAにみる外食マーケットの動向 持ち帰り寿司FC 完全な成熟市場

1995.10.16 87号 6面

持ち帰りずしのフランチャイズチェーン(FC)は、七〇年(昭和45年)に「小磯寿し」が始めたといわれるが、この業態が確立したのは「小僧寿し」チェーンがFC展開を本格化した七一年からといっていいだろう。

小僧寿しは七一年5月にFC一号店を出して以来、その後の四年間は倍々ゲームを展開、七六年末には九五〇店舗、売上高一五一億円をあげるまでになった。同社はその後も急成長を続け、FC開始一〇年目にあたる八一年末には二〇〇〇店舗、六四六億円の規模に拡大した。その二年前の七九年末には外食産業ランキングで第一位に上りつめている。

小僧寿しの成功をみて、この分野への参入が相次いだ。七六~七九年の四年間に実に一三チェーンが誕生している。もっとも、それらのほとんどは五~六年、長くても一〇年の寿命であった。その典型的な例が「小銭すし」チェーンだ。同社は七六年12月にFC一号店を開設、その五年後には八五〇店、一八四億円という規模にまで成長した。しかし八〇年に加盟店とのトラブルが発生し、それがこじれてチェーンが分裂、八三年ごろには地方でサブフランチャイザーが細々と営業を続ける姿になってしまった。

このほかのチェーンも八五年ごろまでには姿を消してしまう。原因は、持ち帰りずしよりほんの少し遅れて誕生した弁当チェーンが、ちょうどそのころ急成長したためである。すでにこのシリーズで取り上げたように、弁当チェーンは八〇~八四年に急成長、八一年なかばには、店舗数・売上高ともに持ち帰りずしを追い抜いてしまった。持ち帰りずしと弁当では顧客層も利用動機も若干違うといっても、重なる部分もかなり大きかった。

弁当チェーンという強力なライバルの出現により、もともとモノマネでスタートし、ノウハウも人材力も財政力もない後発チェーンはひとたまりもなく潰されてしまったというのが実情である。その後、小僧寿しを脅かすようなライバルは現れていない(直営方式の「春陽堂」「京樽」といったチェーンはあるが)。

小僧寿しが成功した要因は、(1)すしの持ち帰りという新しい業態を開発したこと(=全く新しい市場を開拓したこと)(2)ファストフードと同じようなシステム志向をしたこと(=パート・アルバイトでも加工できるような仕組みにしたこと)(3)加盟店を友人・知人の紹介という形にしたこと(=信頼ができ、やる気のある加盟店を選んでいったこと)(4)出店コストがかからない低投資業態であったこと‐‐などが主なところである。

もっとも、その小僧寿しも、店舗数は八九年の二三四七店をピークに、その後は店舗数を減らしている。売上高こそ一〇〇〇億円台を維持しているものの、ここ五年間は完全に低迷しているといっていいだろう。八〇年代前半は弁当チェーンに市場を食われ、後半は急成長してきたコンビニエンスストアに市場を侵されてしまった。

その一方で、回転ずしチェーンが店舗を増やしてきており(彼らは持ち帰りずしも扱うことが多い)、また最近は百貨店の食品売り場ですしのテークアウト販売に力を入れてきている。さらにこの二~三年のことだが、すしの“宅配”という業態も現れ、すでに数チェーンが多店舗化を進めている。こうした情勢をみると、持ち帰りずしの市場はますます狭められ、これ以上の成長はあまり期待できないと言わざるを得ない。

もちろん、こうした情勢に小僧寿しが「座して動かず」というわけではない。同社ではすでに一〇年以上も前からデリカショップを展開してきたし、一昨年あたりから弁当メニューも取り入れるようになってきた。また店舗を大型化、ファッション化してきたし、一部の地域本部では回転ずしやカレーショップの開発に乗り出している。むしろ、動きとしては活発といっていいだろう。ただし、活発であるが故に、本業だけではもう成長が見込めなくなったともいえる。

購読プランはこちら

非会員の方はこちら

続きを読む

会員の方はこちら

関連ワード: 京樽