5月11日。今日はスパイスの日
毎月11 日は、ケンタッキーフライドチキンが制定したスパイスの日。カーネル・サンダース秘伝の11スパイスにちなむ。
歴史を動かす原動力となったスパイス
人類とスパイスの付き合いは大変古く、すでに古代エジプトのピラミッド建設にあたって、労働者が大量のにんにくを食べていたことはよく知られた史実である。この頃からにんにくは、優れた滋養があると考えられていたのだろう。ピラミッドとともに語られることが多いエジプトのミイラにもスパイスが使われていた。古代エジプトでは、人は死んでもその魂は再び死者の体内に帰ると信じられており、王や高貴な人たちの遺体を腐らないようミイラにし永遠に保存しようとした。そのために、 腐敗を防ぐ目的でシナモンやクローブが遠い国から運ばれ、死者の体内に詰められていたのである。
中国では紀元前2500年もの昔、スパイスを加えた香酒や香飯を供えて神をまつっていた事実も知られている。時代が下って漢の時代には、宮廷の官吏が天子に政事を奏上する時に、一本のクローブを口に含んで吐息を清めるための香薬として用いていたという。このように、人類の歴史においてスパイスにまつわるエピソードは枚挙にいとまがない。
ここでお気づきであろうが、 過去のスパイスの使われ方は現在といささか趣きを異にしている。すなわち現代では主に食用として知られているスパイスも、 過去の長い歴史においては、薬用、香料、神仏祭事用、媚薬、保存用などさまざまな目的で使われてきたのである。
しかし中世以前のヨーロッパにおいては、スパイスは大変高価な貴重品として取り扱われていた。たとえば肉の臭み消しや防腐などの目的で使われていたこしょうは、その一粒が銀貨一枚と同等の価値をもって取引されるほど希少価値の高いスパイスであった。
こしょうを含めナツメッグやクローブなどの当時のスパイスは、産地であるアジアの諸国・島々から、さまざまな物資とともに東西を結ぶ長い陸路・海路を通ってヨーロッパにもたらされていた。スパイスは、これらの交易を担う幾多の商人の手を経るうちに高騰し、ヨーロッパにたどり着いた時は、法貨の一つとして扱われるほど価値を高めていったのである。 この過程でアラビア商人は巨額の利益を手にし、ヨーロッパとオリエントの中間に位置するビザンツ帝国や、ヨーロッパ内陸にスパイスをはじめさまざまな物資を供給する中継基地であったイタリアの商業都市は繁栄を極めた。
このように当時のスパイスは、今日でいえば石油にも匹敵するであろう経済的価値があり、大航海時代、地理上の発見、スパイス戦争を通じて、ヨーロッパ の活動範囲を著しく広めた時代にあって、重要な役割を演じた。
すなわちスパイスは、アラビア商人やイタリア商人を経由することなく、直接産地を目指す情熱を高め、コロンブスやバスコ・ダ・ガマ、マゼランという大航海者達を歴史の舞台に送り出した。さらにスパイスは、アジアを舞台にポルトガル、スペイン、続いてオランダやイギリスへとつぎつぎ歴史の主役が交替していく激しいスパイス戦争の時代へと導く経済的動機となったのである。もちろん、経済的動機はスパイスだけではなかったにせよ、スパイスが歴史を 動かす一つの原動力になった時代が存在したのである
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:服部 博))