店主の本音・プロが訪ねる気になる店:中国料理の今昔を語る

2002.01.21 244号 12面

日本の中国料理が高い評価を得ている。中華街から広まった中華料理は、さまざまな形で浸透しながら日本独特のものを作り上げてきた。最近では中国本土、香港から料理人が来日するようになり、激しく交流する中、さらにブラッシュアップされ、海外からも注目されている。そこで中華街から料理人としてスタートしたホテルオークラ中国調理梁樹能総料理長を、香港に始まり料理人としてカナダ、日本などグローバルに活躍する横浜ロイヤルパークホテル中国料理「皇苑」尹達剛料理長が訪ね、ともに歩んできた中国料理の今昔について語り合った。

‐‐お二方が料理界に入ったきっかけを。

尹 一三歳で中国から香港へ行きました。料理人の世界は食べることが保証されている、生き残れるとの思いで入ったのですが(笑)。好きでこの仕事に入ったのではなく、入ってから仕事が好きになった口です。

梁 一九五九年に料理の世界に入りましたが、当時の中華街はお客が多く、華やかでした。この世界は一生懸命やればそれだけの見返りがあると信じ、料理人を目指したのですが。

中華料理といえば、中華街の広東式のかに玉、酢豚、ワンタンとか鯉の丸揚げと決まっており、香港式の「中国飯店」に入り、カルチャーショックでした。十何人の料理人は全員香港人。言葉が分からないからわれわれ華僑が雇われたのですね。

尹 私が初来日したのは、一九七〇年の万博の年でした。

香港と日本を行き来し、その後、カナダに渡り自分で店を持ちましたが、商売はたいへんでした。引き上げるとき、店を売ってやっと儲かりました(笑)。

‐‐いろいろな店、国を回っていらっしゃいますが、中国料理はどう違うのでしょうか。

尹 私の生まれは、中国・広東省。広東料理は、豊富な魚や野菜をふんだんに使った料理で、小さいときからなじんでいる味です。

梁 中国の料理と日本の中国料理は根本的に違います。日本人が中国へ行っても、脂っこいとか味が違うとかで満足できないが、地元の人はおいしく感じます。

日本で繁盛している中国料理店は、お客の好みに合わせており、一〇〇%本場中国の味を出したら、店はつぶれてしまいます。

尹 スタイルは同じですが、少しアレンジをします。味付けは、同じ広東料理でもコックさんによって異なります。

梁 おいしいかまずいかはお客が決めることです。われわれは夢を売る、信頼を売る商売です。料理の値段が高い、安いに関係ありません。どんなに高い料理でも、大勢で食べれば安くなるのが中国料理。一〇〇〇円、二〇〇〇円の料理を食べて、これが中国料理と思われては困ります。

安いからとお客がどんどん来ても売上げは上がりません。かえって悪循環になり、良いコックさんも雇えず良い料理ができなくなります。

‐‐中国のコックさんで日本に定着していく人が多くなっていますが。

梁 彼は香港のコックさんたちの兄貴分。中には有名人になる人もいますが、消えていく人も多い。賭け事に走り、自分でつぶれていく人もいます。友達を大事にすることが財産となり、結局いい仕事が回ってきます。

尹 香港の料理人もいろいろなタイプがいます。料理の腕が良くても博打を打ったり賭け事に走ったり。得てして人間性が悪いと料理も駄目で信用がなくなります。

しかし昔と違って今はだいぶん事情も変わり、私も店を繁盛させるために頑張らなくてはいけません。

‐‐日本ではどんな努力をしていますか。

尹 料理に愛情をもって仕事を一生懸命やりながら常に勉強です。今、何がはやっているのか、おいしい店と聞けばすぐに食べに行きます。語学も勉強の一つで、料理のこと、人のことなど情報交換をします。歳を重ねるごとに、こうした必要性を感じますね。

私は第一の故郷が中国、香港、そしてカナダ、日本です。「泗海兄弟」、人類皆兄弟の思想です。

どこへ行ってもいい人に巡り会え、梁さんのように素晴らしい人にも会えたおかげで、人間的にも、料理人としても成長したと思っています。

梁 彼の人柄がそういう巡り合いにつながったと思いますね。

‐‐交流後の、中国料理はどう変化したのか。

梁 基本的には変わりません。基本に新しいものを加えていくのが今の時代です。ただ新しいものだけをやったのでは底が浅く、お客は見抜きます。

人間は保守的、革新的、二つのタイプがあり、酢豚やかに玉が食べたくて来ているのにほかのものではノーサンキュー。

革新的な人はいつも同じものでは嫌だと新しいものを求めてきます。そのため調理長おすすめの料理を提供していますが、両方を満足させる腕がなくてはなりません。

尹 日本でやりたいことは、若い人に中国料理はこうですと教えていくこと。また、日本の食材を使って中国料理を作っていくこと。中華風刺身もやってみたい。

医食同源と薬膳が一緒にされているようですが、薬膳とは病気のときに食べるもので、医食同源とは、日常的に食べ物の相性を知り、季節に合わせたものを食べることです。

こうした食べて健康も大事ですが、女性に関心の深い、きれいになる食べ物を提供していきたいですね。つまりコラーゲンの多いアワビ、フカヒレなどは効果のある食材です。

また食文化の高い地域は辛いものを食べません。次に食べるものの味が分からなくなるからです。

梁 私もそう思います。流行だからといってあおられてはいけません。食事はバランスのよさが求められ、レストランでも腹八分目がちょうどよい。

日本は食材の宝庫。香港は逆に日本から入れているくらいです。

中国は広大な土地なので、収穫期にものが集中するので保存法が発達しました。今後こうしたものと、日本の野菜などを合わせた料理がおもしろい。

尹 中国、香港、カナダに長く住んできたのでメニューは豊富にもっています。

日本の食材を勉強しながら、もっているノウハウを生かした料理を作っていきたいと思っています。

◆訪ねる人 中国料理「皇苑」料理長 尹達剛氏

(わん・たっこん)=横浜ロイヤルパークホテル中国料理「皇苑」料理長(横浜市西区みなとみらい二‐二‐一‐三、電話045・221・1111(代))

一九四九年中国広東省生まれ。六二年一三歳で料理修業に。香港に帰り「新都酒楼」を皮切りに「悦盛酒家」「高陞酒家」を経て六九年、大阪「東洋ホテル」の招きで来日。七六年再び香港「華盛頓酒楼」副料理長。七九年再度来日し徳島「ロイヤル八仙閣」料理長、大阪「東洋ホテル」料理長を経て、「金牛苑酒家」料理長としてカナダに渡る。三度の来日で神戸「花咲く街角」総料理長、九三年に「横浜ロイヤルパークホテル・皇苑」厨房長、続いて佐世保「弓張の丘ホテル」中国料理料理長を経て再び「皇苑」料理長に招かれ、現在に至る。

◆迎える人 ホテルオークラ中国調理総料理長 梁樹能氏

(りょう・じゅの)=ホテルオークラ中国調理総料理長(東京都港区虎ノ門二‐一〇‐四、電話03・3582・0111(代))

一九四〇年横浜中華街で生まれる。五九年東京「中国飯店」に入社、中国料理修業に入る。六二年現ホテルオークラ前身の大成観光(株)に移り、七七年同ホテルレストラン名古屋の中国調理長として出向、八七年帰京し、中国調理長に。九七年中国調理総料理長に就任、現在に至る。(社)日本中国料理調理士会専務理事、大阪あべの辻調理師専門学校講師などを務め、また、東京都優秀技能者(江戸の名工)、(財)日本食生活文化財団より食生活文化賞銀賞など多数の受賞・表彰を受けている。

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