夫のいない食卓・食事観と食生活の実態調査
食生活を語る時には、もはやテーブルの上に何が並んで、どう食べているか、ということだけでは意味をなさなくなってきた。複雑に絡みあう生産から最終の消費までのプロセス、供給サイドの巧妙な戦略、家族の関係の変化、そして男女ともに働き方と自分や家族の生活全般をどう組み立てるか、など多様な視点からの観察と分析をベースにすべきだと考える。九九年に筆者が所属する研究所主宰の研究会で行った二五~三四歳の女性の食事観と食生活実態調査を行い、その時には「後ろめたいって何?」という手作りにこだわらなくなった実態を明らかにした。九九年の調査を受けて、二〇〇〇年、二〇〇一年と、日本生活協同組合連合会の「くらしと商品研究室」が主体となって調査を行ってきたが、夫のいない食卓、フルタイムで働く主婦の健闘ぶりが浮き彫りになった。
((財)生協総合研究所研究員・近本聡子)
◆団塊ジュニアは“ちゃっかり派”
九九年に生協総合研究所主宰の研究会で行った二五~三四歳の女性の食事観と食生活実態調査では、消費者の価値の変化を前提にした分析で、「食事はこうあるべき」論ではなく、きちんと実態を析出した。
簡単に再度結果を述べておくと、手作りについては「きちんと作らないと後ろめたい」ではなく「後ろめたさって何?」というくらいに強迫観念がなくなりつつある。だが、手作りは悪いことではないという認識はある。
健康に関する意識では「体に良いもの」「体に悪いもの」という二分法で帳消しになるように、あるいはいいものが多くなるように食べるという発想がみられる。
実家のサポートはあれば必ず利用する。実際に三〇歳代の生協組合員の六割が、自分または配偶者の親のだれかと同居・近居しているという結果となっている。平均寿命が長くなったこと、住宅の問題などが影響を与えているが、団塊ジュニア世代の主婦は「ちゃっかりしている」印象を与える。
二〇〇一年の食品ニーズについての定量調査、写真・メニュー調査からみえることは、合理化志向は引き続き、さらに家族全員で食事を食べるのは大変に頻度が低い。
特に夫が食卓には不在であることははっきりとみられる。
定量調査では、朝夕の食事について平日・休日どのような傾向にあるかを聞いているが、家族で同じメニューで同じ時間に食べる生協組合員(九五%女性)はかなり少ない(図1、2)。平日の朝食では三五%、夕食でも四七%だ。
このように生活時間の家族内の統合すら困難である条件で、手作りうんぬんということはあまり意味がないかもしれない。
日本では、フルタイムワーカー(長時間型の有職)の母親が少しずつ増加してきているが、これまではフルタイム層はアメリカなどでみられるような食の合理化への寄与をほとんどしていなかった。
子どものためにかなり頑張る意識の高い層であった(九四年働く主婦の食品ニーズ調査)。しかし、今回の調査では忙しい日常からかなり合理化志向が強くみられるようになり、就業時間が食の合理化に影響をかなり与えるようになったことが判明した。
過重の家族責任の負担を女性が担わなくなり(担いたくなくなり)、外部化に流れているということだと考えられる。
就労のタイプ別で三〇歳代をみてみたところ、「家族の生活時間の統合」がもっとも良好なのは、予想に反してフルタイム層であった。夕食の家族全員同席率も高い(図3)。
ほかの社会調査を分析してみると、女性のフルタイムワーカーの場合、現状では公務員・教員・看護婦などに代表される「続けやすい仕事」の職種が多く、その配偶者の男性も類似の職種でワークシェアリングしやすい職業の可能性が高いと考えられる。
逆に専業主婦と仕事専業の男性のカップルがもっとも家族一緒の夕食からはほど遠い。企業側の要請から、あるいは一人で家族分を稼ぐ必要から長時間労働が避けられないからと推定している。
このデータからみると、調査対象となったフルタイム女性のカップルは、先進的な「仕事も家庭も」を実現しているよい例ではないだろうか。男性も女性も労働時間は従来の基本労働時間程度で夕食を用意できる時間に帰れることが多い。そして家事を分担し家族で食事を囲めるという生活スタイルだ。
このような未来型の生活スタイルであれば、一人で食事責任の負担を背負うストレスも軽減し、食を楽しむ余裕がでてくるのではないだろうか。ちなみに、「料理が楽しいか」という項目でも専業主婦層がもっとも「楽しくない」率が高く、ストレスのある状況がみえる。
◆健闘するフルタイム主婦
日本の食生活は、七〇年代まで一手に専業主婦が担ってきた。欧米に比較しても調理技術が高く、知識もかける時間も高水準だった。しかし、性別による役割分担の弊害も大きく、社会全体では少子化に代表されるように、問題が多出する。
ワークシェアリングが難しい現状下で、若年層の結婚の忌避や生活そのものの拒否などを、プラスの(楽しめる生活という)方向にするためには、筆者はさらに食生活を外部化する必要があるだろうと予測している。もちろん、供給サイドのきちんとした安全管理や健康配慮の食品の提供が前提であり、消費者には幅のある選択肢(メニュー、価格、味、どこまで手を加えるのか、などさまざまな点で)が用意されていることが前提だ。
今までの食生活の研究では「子どもを中心にした家族の食事」がメーンになされてきた。税金や社会制度でよく利用される「標準世帯(夫婦と子ども二人)」にとらわれている研究が非常に多い。
国勢調査では、世帯ベースでみると三人以上の「家族」は半数をきっている。若年層・高齢層が動因となってシングルタイプの生活が主流となってきている。この流れでは、家庭の食事について論じることは、小さな部分をみているにすぎない。CVSのシェアがスーパーを抜いているように、時代の趨勢は、家族というとらえ方だけでは古いことを示している。
また、“食は文化”だから、必ず価値判断がともなうのも一般的だ。「米食が減ってきているのは由々しいことだ」「子どもには手作りの食事を」「食事は家族で」なども、戦後半世紀に強調されていたものだが、近年は実態にそぐわない、むなしい標語になりつつある。
文化的な問題はたいてい、世代間による違いが大きいものだが、食生活に関する価値観についてもこれがよくあてはまる。
つまり「子連れでCVSにきて。お昼買って行くなんてとんでもない」というような価値判断をする背景には世代特有の反応がかなりあるはずであり、それ以前に分析をする際にはその行動がどのような頻度で、どういう背景あるいは文脈をもったものなのかを見ることを前提としなければならない。
九九年の調査では「手作りにこだわらない」という結果が出ているが、今回の調査でも意識ベースから食事づくりの家庭でのプロセスは合理化・簡便化の一途をたどっている。
供給サイドも主婦のアンペイドワーク(対価が支払われない仕事)を市場化して、サービスを現金化することで生き残りを図ろうとする戦略をもって展開しているので、双方の動きは一致している。これは衣料品がほぼ家庭から外部化し、店で買うものになったプロセスと同じだろう。だが、筆者は自由な時間が多少でも増加することはだれにとっても歓迎すべきことなのだと実感している。
●専業主婦(35歳)の朝食・夕食実態例
35歳、専業主婦。8歳と1歳の子供がいる家庭の食事。朝食は徹底的に省力化、家族がそろわないときの夕食も省力化
木曜朝食/カレーピラフ、ヨーグルト、お茶
木曜夕食/午後9時に家族全員でご飯、エノキ味噌汁、ナスとひき肉の味噌炒め、サラダ
金曜朝食/パン類、アセロラドリンク、ゼリー
金曜夕食/午後7時、家族がそろわない。サケ入り雑炊、ビーンズ入りサラダ