シェフと60分 クリニカ・トラットリア・エスペリアオーナーシェフ森克明氏
「料理人は一度有吉佐和子さんの“複合汚染”を読んで欲しい」と、日常なにげなく使っている食材の再点検を促す。「フォアグラ、トリュフなど高価食材の前に、イモ、玉ネギ、ナス、キュウリなど一〇円、二〇円の食材から考え直さなくてはいけない」と、開店以来、「健康な食材と料理」に真剣に取り組んでいる。
店名に「クリニカ・リストランテ」を冠している所以だ。クリニカは診療所の意味。森さんが修業したイタリア中部の「アーナルド」は湯治場にある四〇〇年も続いたクリニカ・リストランテで、健康をテーマにした数々の料理を求めて、イタリア全土からお客が集まって賑わっていた。このレストランと、有吉氏の本が重なり、「レストランがおいしいのはあたりまえ。健康を考えた提案型レストランにしていこう」と独自のコンセプトでのレストラン展開のきっかけとなり、原点となっている。
「エスペリア」の主力食材は野菜、魚、鶏、チーズ、子羊も開拓中だ。野菜は季節性のあるものを低農薬有機栽培、水耕栽培されたもの。魚は三浦三崎より毎日届けられたもの。鶏は茨城県霞ヶ浦の“チキンズ”産。一平方メートル一羽の飼育でフランス系の鶏。出荷する一週間前は脱脂粉乳を混ぜたエサを与えているので別名“ミルク飲み地鶏”ともいわれている。
輸入品も「自ら出向いて身元の確かな食材しか使わない」と徹底している。水はアルカリ・イオン水使用だ。「同じ食材が通年あるのはおかしい」。夏野菜が終わったら“また来年の夏楽しみましょう”と旬とともに情緒も楽しむ方が自然という。
よく“クリニカ”を薬膳料理と一緒にされるが、「病気を治すレストランではない」。あくまで健康な人がより健康で安心して食事を楽しめるという意味で、決して奇抜ではなく、基本的な提案である。「食は子孫まで影響を与える。悪は基から絶たなくてはいけない」と真剣に客の健康を考える。
「料理人は人の命を預かる職業。地味だが人間的」に徹する。
価格はリーズナブルが基本だ。客に楽しんでもらう心構えと料理はミラノのレストランで学んだことが基となっている。「日常食として食べられるレストランは伸びる。イタリアンレストランが持っている庶民性、気やすさ、フレンドリーが今の時代には合っている」とイタリアンの強さを分析する。エスペリアは昼一八〇〇円、夜五〇〇〇円、一日トータルの客単価は三五〇〇円。ディナーのパーティーメニューも、コースメニューも三五〇〇円から揃っている。
「日常性の価格でないと健康はできない」。健康に良い食事も、頻度を多く食べなくては本物ではないという森さんの懐の深さがうかがえる
また、チーズについては「他に勝る食材はない。完全食品」と絶賛し、積極的に料理に取り入れている。実は、フランスの「チーズ鑑評騎士の会」から八四年にナイトの称号を授かっており、同店は「チーズをおいしく食べてもらうための普及活動」のための情報発信地となっているのだ。チーズトレーラーに一五種盛り合わせや、称号を授かるきっかけとなったナチュラルチーズに温かいチーズをかけた「サラダ革命」など、森流ナチュラルチーズ料理を思う存分楽しめる。
「チーズは醗酵でアルカリ食品に変わり、消化吸収が良くなり最高の健康食品。ナチュラルチーズの独特の香りが嫌いな人も多いが、コカ・コーラも最初は薬臭いと敬遠されていたのがこのように普及したように、馴れるとよい香りになってくる」とワインとチーズのある健康で優雅な食事も提案の一つだ。
森さんお勧めのワインはイタリア・トスカーナのロッカデラマチエ社が製造しているもの。
薬をまかず自然のままに育てたブドウを使い、酸化防止剤を使わず、真空状で特殊なボトリング工程で製品にしているという。
「私のレストランの食事を経験した人が海外に行っても通用するレストランのレベルを常に保ちたい」と、サービスや料理の比較対象は世界のレストランだ。レストランを通して「何かしら感動や影響を与えられたら人生に喜びを感じる」と根っからの職人肌の一面ものぞかせる。
「狩猟民族は農耕民族より短命だが、今は世界の情報がリンクして入ってきて、その垣根はなくなっている。WHOのようなもので、食材から健康を考える世界規模のネットワークができるといいですね」。世界各国からさまざまな食材が日本に輸入され、その規模はふくらんで、ますます「身元不確かな食材」が増える一方、良い食材を知らないチャンスロスももったいないと、ふと出た一言だ。
夢は健康を通じて仲間を増やすこと、ベッシェリアという魚専門レストラン業態を楽しく展開してみたいこと。“平和”ならぬ「“健康”は世界を結ぶ」を提案するシェフである。
文 福島厚子
カメラ 岡安秀一
昭和36年三笠会館入社、本店副料理長、伊勢丹会館新宿店料理長、軽井沢店料理長、ヴォーノ・ヴォーノ料理長、支配人を経て平成3年、28年間勤めた同社を退社。
その間、フランスへ3回、イタリアへ6回渡る。同3年~4年にかけてイタリア在住。5年エスペリアオープン。
昭和18年10月10日生まれ。51歳。













