シェフと60分 銀座・ろくさん亭店主 道場六三郎氏 国籍問わぬ和食極める

1993.08.16 34号 6面

「無理して高価な明石のタイや近海のマグロを使うよりも、捕れたてのカツオやアジを料理する。マグロの落第生よりもイサキの優等生を使った方がよっぽど良い料理ができ、お客さんも喜ぶ」。道場さんの哲学である。刺し身は日本料理に欠かせないが、いいマグロの刺し身は値が張る。一㎏五万円もするマグロを料理すると、刺し身にして一切れ七〇〇円の原価になってしまう。「寿し屋で食べると握り一つで二〇〇〇円になってしまう。うちはそういう値段で商売したくない」ときっぱり。

「料理人は安くてうまい素材を見極める目を養うことが必要。そのためにはいろいろの素材を手と目で知ること。そして食べ尽くさなければだめだ」と心構えを説く。素材の本当の味を知ることがまず第一、というわけだ。「しかし、本当の味を知っていると不幸かもしれない。何を食べても昔の味が甦ってこない。昔のキュウリは切り口からヤニのような液が流れ、調理法を工夫した。素材のよさを引き出すのが料理人の腕の見せどころだったが、いま、そういうキュウリはない」と。大豆や胡麻など輸入品が多くなり、素材の個性が変わってきている。「けれど、素材が変わってきたから昔の味を伝えられないとあまり言い過ぎると“能書き”になってしまう」と苦笑いする。

「料理人はオーナー以上に“自分の店”と自覚しているかどうかが勝負の分かれ目」と言い切る。「お客さんは素人なりの感覚で、とてつもないようなことを質問したり、意見を言う。その発言をチーフが感じとらなければいけない。料理人は板前であり、かつギャルソンでなければいけない。マニュアルで接客するようでは落第だ」客が料理人を育てる、と心得ている。

雰囲気をだいじにするから、“演出”もする。アワビの造りをさばく時、前もって殻を糸ノコで引いておいてご飯つぶでノリづけしておいて、やおら、出刃包丁で思いきり殻ごと切り落とす。「お客さんの目の前でやるから、お客さんはびっくりする」といたづらっぽく笑う。道場流サービスの真骨頂である。

“道場和食”を貫き、それをひとつの型にするのが夢だ。古典的な京都のお座敷料理にちょっと背を向けている。「今までの日本料理は“はんなり”した味が特徴だった。くせのある味が嫌われ、結局、何を食べても、どこの店で食べても同じようなものになってしまった。観光客相手ならそれで通用するが、銀座でそれをやっていたら客に逃げられる」。だから、道場さんの料理は一歩先を行き、注目の的になる。

フカヒレ、スッポンを使い、エスニックの味かげんにもする。イワシをナンプラーのかくし味で煮たり、鴨肉にワインビネガーを使ってみたりする。「能書きをあまり言わず、どうやってうまい味に仕上げるか工夫することだ」というのが持論。「何故、日本料理だけを守らなければいけないのか」とこの道に入った時から疑問をもち続けている。

だから“道場和食”にはツバメの巣も素材に上がる。「うまいものを作るためには国籍は問わない」主義を貫いている。新しい発見を求めて、積極的に試す。中華、フレンチの料理人とも意欲的に交流するよう心がけている。「日本料理界の人たちと話しても発展がないが、中華、フレンチ界の人と話すと楽しく、ときめくものがある」。新しい発想源を求めて交流を楽しんでいるようだ。

“遊び人”と自認しているフシがある。趣味はゴルフと小唄。どちらも玄人はだし。一年中日焼けしている。「なるべく店に出ないようにしている。“包丁一本、板場で死んでいく”という料理人がいるが、キザだ。もし、その主人が患ったら店はどうなるか。主人が長患いしても店がちゃんと開いていけるように料理人を育てているつもりだ」。計算づくで遊んでいる。

当然ながら、若い料理人には厳しい目を向ける。「あるフランス料理屋で、そこの料理をコックに食べさせて味を覚えさせている、という話を聞くが、とんでもないことだ。うまいものを食べたければ身銭を切って食べるべき。客と同じものを食べて料理人が勤まると思ったらおお間違い」。“紺屋の白袴”の精神を通している。

「われわれが修業した時代は上の者を蹴落としてでもはい上がりたかった。そのため努力は怠らなかったし、魚をおろしながらも煮方をひそかに勉強した。嫌な世界かもしれないが、上の者の“ケツをかりて”階段をのぼっていく、という気骨があった。しかし、いまの若い料理人にはそういう迫力がない。仲良くしようという意識が強い」と映る。

銀座に店を開いたのが一九七一年、すでに二二年経つ。「うちの料理には楽しさがあるから、今日までお客さんがついてきてくれる」と自負する。国籍を超えた“道場和食”はいよいよ冴えわたる。

一九三一年、石川県山中温泉に生まれる。家業が茶道具の漆器を製造販売していた。「家の中でじっとしているのが性に合わず」、知り合いの魚屋に入り、自転車で仕出しに走り回る。

一九五〇年、一念発起し上京、「銀座くろかべ」を皮切りに、神戸「六甲花壇」、金沢「白雲楼」、東京「芝浦ぼたん」、「赤坂常盤家」「銀座とんぼ」「新とんぼ」で修業を重ね、一九七一年「ろくさん亭」を開店。

〒104 東京都中央区銀座8‐8‐7

第3ソワレド銀座ビル8・9階

TEL 03・3571・1763~4

文 冨田 怜次

カメラ 新田みのる

購読プランはこちら

非会員の方はこちら

続きを読む

会員の方はこちら