シェフと60分 竹爐山房オーナー・山本 豊氏 革新的中国料理の先駆者

1992.12.07 17号 10面

「基本を守りながら、新しい感性を築いていく。そして五感に訴える料理に仕上げなければならない」。山本豊さんのモットーである。この「基本」とは、中国の料理法を意味するが、四川、広東など特定の地域にしばられず、中国全土をとらえている。だから山本さんの料理は一般が抱く中国料理のイメージをくつがえす。“革新的中国料理”の世界がそこにある。“中華懐石”とも称されているが「まあ、そう呼ばれるのも結構です」と意に介さない。常に業界の一歩先を見据えている自負がある。

日本料理、フランス料理と融合するところがある。例えば「モッテ菊と鶏ササミのゆず風味和え、マスタードソースかけ」だ。モッテ菊は山形や秋田地方でモッテノホカと呼ばれる食用菊で今が季節。日本の旬の素材を使い、その素材が最も生きる調理法を考える。

「まず、素材を大事にすること。そのためには素材を知り尽くさなければならない。そうすると、味は自然に素朴なものになっていく。衣はじゃまになる」。旬の素材を求めて山本さんは一日置きに自ら築地に足を運ぶ。そして、一ヵ月に六アイテムのメニューを替える。

こだわりは素材と調理法にとどまらない。フランス料理を思わせるプレゼンテーションで視覚にも訴える。「真鱈白子の腐乳ソース」「穴子のテリーヌ」にそれがうかがえる。「料理の提供のしかたでは中国料理が最も遅れている。二人でフルコースが食べられるように提供すべきだと考えていた」という。

竹爐山房を開く前に勤めていた知味斎で“ミニコース”をテストしたところ好評を得て自信をもった。竹爐山房で本格的にプレゼンテーションした。“革新的中国料理”と呼ばれる所以だ。

「温故知新」の漢詩を好む。「基本を守りながら、新しい感性を築いていくためには、調理を覚える前に、食文化について学者のようにならなければならない。まず、外堀を理解することが大事」という。

山本さんの料理の“ルーツ”は湯島聖堂である。昔、湯島聖堂に書籍文物流通会という会社があり、その組織の料理部に一八歳の時に入社したのが中国料理との出会い。

「料理よりもまず、学問に取り組んだ。料理とは直接関係ないような論語も勉強した。そして“随園食單”の精神を学びとることができた」と振り返る。

“随園食單”の究極の精神は“素材を最も生かした調理法”を説いており、山本さんの現在までの料理観の根底になっている。

〈プロフィル〉昭和24年高知生まれ。一八歳の時に湯島聖堂の料理研究会に入社。八年間勤めたのち、千葉県柏の「知味斎」を経て昭和62年、竹爐山房を開店。中国各地に出掛け研鑚を重ねる一方、西洋料理家との交流も深め、革新的中国料理に磨きをかける。

文 ・富田 怜次

写真・新田みのる

購読プランはこちら

非会員の方はこちら

続きを読む

会員の方はこちら

関連ワード: 白子