シェフと60分:中国料理「揚子江」池袋店調理長・海老名功氏
新人が厨房に入り一年が経つと、そろそろ賄いの仕事をさせられるのが常だ。
毎日のことだけに、創意工夫を凝らす。例えば、お新香にザーサイとエビを合わせたり、タクワンと大葉、また、山芋の千切りと合わせたり、「単純だが発想がおもしろい。若い子ならではのアイデア」と、良いものはどんどん取り上げ、少し目先を変えてメニュー化する。
採用された子は、弾みをつけて次々考えてくるし、メーンを担当する先輩たちも、助手役の副菜担当の後輩が奮闘するのに刺激され、頑張ろうと思わぬ相乗効果を上げている。
また、月一回、仕事を終えて集う会が「新生会」。約二〇人で構成されるが、自由な発想で料理作りを楽しむ会だ。ジャンルにとらわれずオリーブオイル、バルサミコなども使っていく。「店の定番メニューから離れているため、面白いものが飛び出してくる」と一緒に楽しむ。
女性向けになりそうなデザートメニューにユニークなものが登場するが、育てていくには個店では時間が掛かり過ぎ「結局、メニューは無難なものに走ってしまう」のが現実。
ただ、マンゴープリンでは、辛抱強く二年我慢し、やっと定着させている。個店での仕掛けには、かなりのリスクが伴いそうだ。
「中国の料理もうまいが、日本の中華のほうがもっとうまい。中国人も勉強しているが、日本人はもっと勉強している」というのが料理人を志し、初めて香港へ行って感じ得た結論だった。
今、香港は大きく変化しようとしている。中国へ返還が間近になり、本土からの料理人や日本からの料理人が香港に集結、料理界の動きがますます騒がしくなってきた。
ライバルが増え、切磋琢磨された料理技術は、「昔は台湾が上と思っていたが、今は香港が上、日本にそのまま持ってきても抵抗ない」ほど双方が近付いてきたと見る。
こうした洗練されていく料理を味わうのも面白いが、やはり昔から営々と続く真夜中の屋台の味も捨てがたいという。
薄暗い裸電球の下で、昼間市場で見た犬、猫、ヘビ、サルなどをどう料理しているのか想像を膨らませながらはしを動かす。隣の人がおいしそうに食べる得体の知れないものを見て、つい食べてみたくなる、これは何回か通ううちに付いてしまった習癖。
毎回「観光地はほとんど行かず、一日、四~五回、好きな酒も受け付けなくなるほど」に食べまくり、結果は、体重が一日一㎏の割で増量しての帰国となる。それでも、また行ってしまうのが香港という。
かつて熊の手をもどしすぎ、罰金として一ヵ月分の給料を差し引かれた思い出がある。
熊の手は、貴重な料理だ。何回も丁寧に香草野菜を入れ替えては煮、臭みを消していく。柔らかくなったら爪をとり、骨を抜き、形づけをしながら角煮風に仕上げる。さらに指のまわりのゼラチン質をカバーするため野菜やハムを挟み、最後の仕上げをするのが肝心。最低一週間はかかる料理だ。
「一度ドジをしたので絶対に失敗をしない自信はあるが、最近、この手の料理の要望がないのが残念」と悔しがる。
ちなみに、かつては熊の手も大きく、一〇人前片手で十分だったが、今では小さくなり両手は必要になったという。
このほか、フカヒレをもどしていた時、外の仕事に気を取られ焦げ付かせたこともある。
「みんな原価で罰金でした」
現在では怒ることなく注意だけですます。「逆にやらせた者が悪く、管理能力が問われる時代」というのも皮肉な話だ。
二年前からゴルフ好きが集まり「壱球会」を結成しているが、これを近い将来、本格的にデビューさせたいと思っている。そのために腕に磨きをかけている。といっても、ゴルフの腕ではなく、会員である料理人のレベルアップを図ってのことだ。会員は、和・洋・中を問わず幅広い層からの経営者、料理人、食材業者などで構成されている。
従来は料理人は料理人だけの会を作っていたが、結局は同じ屋根の下で働き、共に利益を求めている関係にある経営者とも「お互いの立場を認め合う間柄にしていきたい」という趣旨で結成されたのが二年前。
若い料理人のなかには、経営者と話したこともない者もいる。職場によっては交流さえないところがあり、こうした会を利用しお互いを知ろうというわけだ。
また双方が食材をテーマに勉強会を開き、新しいメニューを研究するなど「名前より実をとる会にしていく」方針。「良い方向に行けば、欲しい人材が求めている所へ派遣できる、需要供給のバランスがとれる会になる」との確信を持ち、来るべき公開の日に備え、日々研鑽を積む。
昭和29年、静岡県・藤枝市生まれ。アルバイトでウエーターをしていたころ、見よう見まねでメニューをこなしていたが、同じ食材でもチーフが作るとなぜかうまい。なんとか超えてやろうと発奮、大阪の辻調理師専門学校に入学する。在学中もあらゆる飲食関係のアルバイトに励み、最終的に、すべてが漢字の世界の中国料理に漠然とあこがれを抱き、東京・丸の内「奉鳴春」に職を定める。
たまたま自らが作った料理が芸能人にも食べてもらえる環境にあったがため、料理人冥利に尽きると以後迷うことなく料理の道を突き進む。
現在、料理人、経営者を含めたゴルフ好き人間の親睦団体「壱球会」の会長を務める。近い将来、お互いの立場を認めた上で、必要な時、必要な所へ、必要な人材が派遣できる会として公開できるよう、後進の育成に励む。
文 上田喜子
カメラ 岡安秀一