シェフと60分:プティ・ポワンオーナーシェフ・北岡尚信氏

1999.03.15 174号 7面

商家の長男として、商売を継がなくては、というプレッシャーがあった。なんとかそこから逃れたいと考えたとき、料理が浮かんだ。

「男が厨房に入ることが自然な家だったんですね。商売をやっていたから、みんな忙しい。自分の口を満たすには、自分でなんとかするのが当たり前で、父もよく台所にいました。自分でも結構やっていたと思います。ある時、母が料理しているのを見まして『あっ、自分の方が上手だ。優れてる』と思いました。それで、これを飯の種にしようと考えたわけです」

知人のつてを頼って、一八歳で銀座にあるホテルへ入社。二二歳になってホテルオークラへ。

「驚きました。それまでのホテルと全然違うんです。料理も、厨房の雰囲気も。今から三〇年も前のことですから、まだフランス料理がどんなものか、日本ではあまり認識されていなかったし、私自身もこれがフランス料理だ、という考えはまだ持っていませんでした。そんな中でオークラは、エスコフィエの教則本にのっかってやっているんです。途中、オークラのオランダ・アムステルダム開業で二年、パリのホテルプラザでの一年の修業など、本場の文化にもふれて、一〇年くらいかけて、フランス料理のイロハを学んだと思います」

三〇歳でオークラを退職し、プティ・ポワンを開店させる。

高級料理としてフランス料理をとらえ、提供してきた北岡シェフだが、二年ほど前に「テースト・プラス・オーストラリア・プログラム」というオーストラリア大使館主催のイベントで、オーストラリアの食材に出合う機会があった。

「高級フランス料理の担い手として、食文化に貢献している自負はあります。これまで私たちは素材を選ぶとき、フランス料理だからフランスのもの、という思いこみをもっていたんですが、素材にはいろいろなものがあります。今、フランス料理において、手に入りにくい高級なものが珍重されています。それはこれからも変わらないと思います。でもそれはそれとして、ごく普通に仕入れられる何でもない食材でも、われわれ料理人の特性を生かすことによって、いくらでもフランス料理に組み立てられるのではないか、いい素材、高級な素材だけが重要なのではなくて、素材自身の持ち味を引き出してあげるのが料理人の役割ではないか、という認識をしました。その考えのもとで、もっと幅広い素材に目を向けていった方がいい、と考えていたところにオーストラリアの素材に出合ったんです」

当時、北岡シェフはオーストラリア料理という、国としての料理文化がまだ浅いことから、オーストラリアの食材を一級のものとはとらえていなかったが、実際にオーストラリアに渡って素材を見て、その質の高さに驚いたという。

「このオーストラリアの食材を、フレンチというフィルターを通して客に提供してみると、とても受けたんですよ。そうすると、自分のなかでも興味が広がってきたんです」

日本でのオーストラリアの素材の定着を目指している。

同時に高級なだけのフランス料理の人々の認識も変えていこうと考えている。

「フランス料理界はグルメの人だけを相手にしてきた部分があるかと思うんです。そうではなくて、やはり広い定着を望みたいじゃないですか。それは、オーストラリアの素材だけじゃなく、シェフたちの実を見て取り組む姿勢も欲しいですね。社会全体を考えて、一部の人、一部の食材だけを考えず、社会に対しての責任があるわけで、貢献して、リードしてフランス料理本来の姿を引き出すのが、私たちの仕事だと考えています」

さらに、外食文化、料理文化にふれる者としての意識の変革も自ら行っている。

「今、食には『軽さ・バランス・安全性・速さ』が求められています。それを満たすものに、レトルト食品があります。これまでのレトルト食品は料理として軽視されてきたところがありますが、これからもっと重要になるし、もっとおいしさやクオリティーの向上が求められるんです。そうなると、これまであまりタッチしていなかったわれわれ料理人の力・知識が必要となるときが来ていると思うんですよ。例えばファミリーレストランでも、ただ規定の味をだすのではなく、クオリティーを上げるためのちょっとした工夫の指導も惜しみなく、知識を提供していきたいと考えています。

また、フランス料理はよい食べ手を育てることも大切です。フランス料理は食べる側にもそれなりの知識がないと理解ができないんです。最近マスコミでフランス料理の人気の下降が取り沙汰されていますが、そういった意味での啓蒙活動が足りないせいではないかと考えています」

料理を文化として広げ、優秀な食べ手と、腕のいい料理人を育てる、北岡シェフは料理界への新たな挑戦をしかけている。

◆プロフィル

昭和22年、神奈川県逗子市生まれ。家業である呉服屋を継ぎたくなくて、料理の世界へ。フランス料理にしたのは、ユニフォームや帽子がかっこいい、と感じたから。本人いわく「なんでも形から入る性分」。ホテルのレストランへ入社し、まかない食で出たオニオングラタンを生まれて初めて食べて、「こんなうまいものがあるのか」と思い、味の面でも洋食にひかれた。三〇年前の厨房は先輩が怖くて、封建的。「勝ちあがらないと仕事のおいしさがない」と奮起し勝ちあがってきた。「自分はそんな厨房の雰囲気が大嫌いで、後輩をいじめたりしないでやってきたけど、最近の若い人たちは、自分から積み重ねていこうとする姿勢が少ないですね。そう思うと、あのころの封建主義もちょっとは必要なのかな」と思うこともある。

オーストラリアの食材に魅了され、フランス料理に積極的に取り入れている。その縁あって、『オーストラリア牛肉読本』(料理王国社)、『オーストラリアチーズのすべて』(飛鳥出版)などの著作活動もしている。

文   石原尚美

カメラ 岡安秀一

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