忘れられぬ味(75) 森永乳業社長・大野晃 米国庶民の味

統計・分析 総合 1998.09.18 8425号 2面

昭和36年、当時東京食品株式会社(現在の東食)に勤務していた私は就航したばかりのジェット機に乗り、ハワイ・サンフランシスコを経由して、ニューヨーク支店に赴任した。

昭和33年入社の際の初任給が一万〇五〇〇円だったので、昭和36年の給与は一万一五〇〇円ぐらいではなかったかと思う。ニューヨークでは手取りで四〇〇ドル、当時の為替レートの一ドル三六〇円で換算すると、一四万四〇〇〇円と日本の給与の一四倍にも及ぶ金額を貰うこととなった。四〇〇ドル支給されたが、物価もアメリカが高く、またアパート代などを負担しなければならなかったので、それほど裕福とはいかなかったが、それでもゴルフをしたり、中古ながら自動車を購入することも出来た。一四倍にもなる給与を支払うこととなるために、当時海外に駐在する人間の数は極めて少数に限定され、私のような若い社員はありとあらゆる手伝い仕事をさせられたし、仕事もベラ棒に忙しかった。

昭和36年頃は太平洋に海底ケーブルも敷設されていなかったので電話やテレックスなどの通信は専ら無線回線を使用して行われていた。太陽に黒点が出ると電波が乱れて日本へ送るテレックスが発信出来ず、夜中の1時、2時まで回復を待たされることもあった。

忙しいこともあり、昼食や夕食には、ハンバーガーやホット・ドッグにコーラの出前を取ることが多かった。たまに外で昼食のときにはマッシュド・ポテトがたっぷり付け合わされたミートローフやクラム・チャウダーを食べていたように思う。

以来、三〇年余りを経過しているが、今でもアメリカへ出張すると一度は必ずハンバーガーとホット・ドッグを食べている。アメリカで食べると、当時を思い出すせいか、日本で食べるよりも美味しい感じがする。ケチャップとマスタードをたっぷりかけたホット・ドッグにピクルスをはさみ、かぶりつき、コーラで流し込みながらゴルフ場を駆け回るのも海外出張の楽しみの一つである。私にとっての「忘れられない味」はアメリカの庶民の味である。

(森永乳業(株)社長)

日本食糧新聞の第8425号(1998年9月18日付)の紙面

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