めざせ百歳!こだわりの食:東京都・三浦敬三さん(99歳)

2003.05.10 93号 4面

2月19日、九九歳にしてヨーロッパ・アルプス、モンブラン山系の中で最長のヴァレーブランシュ氷河滑走に成功した三浦敬三さんは、その後も手応えのあるスキーライフを送っている。今シーズンの滑走日数は4月末で一〇〇日前後、5月後半には例年通りの一二〇日、スキー行にして一五〇日になるロングツアーのフィナーレにさしかかっているはずだ。三浦さんのスキー出発点、青森・八甲田を訪ね、現在の心境を聞いたところ、世間の評価をよそに反省点を冷静に分析、心はすでに次の目標に向かっていた。

‐ヴァレーブランシュ氷河滑走成功、おめでとうございます。

ええ、本当にいい条件でした。天気にも雪の条件にも恵まれ、景色も素晴らしかった。けれど私としては半分成功したような、しないような、そんな気分です。

クレパス(亀裂)が相当ありました。一番深いのは、最初から難所と考えていたアイスフォールの所。いままでこのコースを五回滑っていますが、今回は以前とは反対側から、このアイスフォール帯を通過したんです。前よりも急斜面で状態が悪くなっていたので、横滑りで慎重に降りました。

一番急斜面はそうやってこなし、その下は緩くなったけれど逆にコブ斜面でした。先月雪崩がありブロックが落ちて一人死んでいるのだそうです。そんな危険地点だから、最小限の時間で通過しなくてはならない。息子の雄一郎(冒険家・三浦雄一郎氏)が心配して、「事故があっては大変だ。お前、おんぶしろ」と孫の雄大に言って、私も「そうか」と何の気なしにおぶわれた。雄大はオリンピックの滑降の候補選手だったくらいだから、身体も大きいし背中も広いし、非常にラクだったんですけど。後で思い返したら、そこを自分で滑らなかったのが悔しくてね。コブがあっても傾斜は緩くて、そんなに厳しい所じゃなかった。せっかくの白寿の記念、しかも親子三代の滑走だったから。

‐とはいっても、標高差二〇〇〇メートル、約二〇キロのコースを四時間で完走。テレビのニュースでは、敬三さんが家族のパーティーの先頭を滑っていました。当日は五〇〇人近い世界各国のスキーヤーたちが現地に入って敬三さんにエールを送り、終了地点では大歓声に迎えられたそうですね。

年齢が年齢だから、向こうでも珍しいと思ったんでしょう。新聞とかテレビが何社か取材に来てくれました。最初、雄一郎が「後ろをついて来て下さい」と先に行き、途中から先頭に出たんです。

私なりに今回を振り返り、反省点をいろいろ考えているのです。まずは道具です。最初は、今年ずっと履いていた自分のスキーで行く計画だったのが、練習として現地のゲレンデで滑ってみると斜面が固くて、短いこの板では不安定で通用しなかったのです。滞在中、一日も雪が降らないくらい天気が良くてね、そのせいでしょう。それで急遽、もっと固くて長いスキーを使ってみたら、非常にいいな、と。でもこのスキーはゲレンデ用に鋭くエッジを調整してあったようで、自然のままの氷河ではひっかかって。ゲレンデは毎日圧雪するけれど、氷河はそういうことはしないから、スキーがなかなか回っていかないんです。無理矢理回そうとして、一回倒れてしまいました。スキーを取り替えて二日しかなかったのも、失敗の元でした。

出だしのスキーを履く地点まで歩いて下る所が急でやせた尾根で。六回の中で一番急で長くなっていました。前はワラを敷いてあったので大股で歩いても大丈夫だったのですが。しかしガイドがアイゼンを履かせてくれて、それで私は非常にラクになりましたが、みんなで行くので難しいところは渋滞となる。ゆっくり歩いていたら身体が冷えてしまった。もっと衣類の調整をすれば良かった。

これらの教訓をいま、八甲田で生かしています。

‐どうしたらそんなふうに、モチベーションや体力を維持できるのでしょうか。食事やトレーニングのことを教えて下さい。

食事は相変わらずです。やはりスキーを生涯続けることを一番に考えて食べて、暮らしております(3面参照)。新しいものとしては、キムチを取り入れるようになりました。納豆にキムチを入れると身体に非常にいいんだそうです。テレビの情報番組で見て血液が綺麗になると知り、早速試してみたところ、おいしい。それが新作ですね。

トレーニングも従来通り、「漸増法(ぜんぞうほう)」でやっております。段々負荷をかけていくやり方です。少し早いウオーキング五~六分、そしてジョギング五〇歩、また速歩、七〇歩ジョギング。ジョギングは三〇歩ずつ増やして九〇歩、一二〇歩、一五〇歩と。そうやって段々と増やしていくことが大事なんです。この前、調子がいいものだから走るのを六〇歩から始めたらダメだった。調子が良くても、従来の五〇歩から始めた方がいいと分かった。歩く間に回復する。最初無理してはいけませんね。

とにかくスキーが好きなんですね。ただそれだけです。3月に風邪をひいて三日間点滴していたけれど、お医者の許可を得て四日目からはもうスキーをやっていました。

明日からは一緒にこの八甲田を滑ろうと、たくさんの皆さんがいらっしゃいます。私は初心者班の担当です。八甲田は二一歳の時来てから、かれこれ八〇年近いおつきあい。この「酸ヶ湯」の宿はありましたよ、その頃は小さな宿でしたけどね。私はここで自分のスキーを“発見”したんです。そういう意味で恩人です、八甲田と酸ヶ湯は。そうした楽しさをたくさんの人のお伝えしたい。

‐充実のシーズンを過ごされて、次の大きな目標は、もう具体的にあるのでしょうか。

ありますね。今回、本当は雄大の長女の三歳の里緒も一緒に滑って、私・雄一郎・雄大・里緒の親子四代で記念滑走をしようと計画していたのですが、地元の観光局と山岳ガイド組合がひ孫の滑走を許可しなかった。里緒は生まれたばかりの弟と、氷河の最後の所で出迎えてくれました。だから来年もう一回、残った「四代滑走」をやらなくてはと思っています。雄大たち一家は、アメリカのソルトレイクにいるので、向こうに行ってね。それが次の目標です。そうですね、一〇〇歳になっていますね。

向こうにいますから、ひ孫のスキーも必ずうまくなっているでしょう。四歳のひ孫を滑らせて、その後をついていこうかと楽しみにしているんですよ。

◆プロフィル

みうら・けいぞう 1904年、青森市生まれ。北海道大学卒。我が国スキー界の草分けの一人で、特に八甲田の山スキーの開拓者として知られる。60歳の還暦に初めてヨーロッパに渡って以来、70歳の古希にはヒマラヤのシャングリ氷河、77歳の喜寿にはアフリカのキリマンジャロ、80歳の傘寿にはヨーロッパ・アルプスのオート・ルート前半、88歳の米寿にはオート・ルート後半踏破と、節目ごとに冒険を敢行し、いずれも成功を収めている。

◆取材記

2001年から5回、弊紙では三浦敬三さんの取材を試みているが、信じられないことに100歳を前に氏は若返っているような印象を受けた。耳の聞こえが以前よりも良くなっているようで、器具を替えたのか質問してみたところ、「替えたのは電池だけ」と冗談を飛ばされた。大きな挑戦と次なる目標が人を輝かせるのか。影での努力には頭が下がる思いでいっぱいだ。(記・石井美小夜)

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